同盟通信社
同盟通信社(どうめいつうしんしゃ)は、かつて日本に存在した通信社である。社団法人。管掌官庁は外務省並びに逓信省。1945年、内閣情報局の設立以降は内閣総理大臣と逓信省の管轄となる。略称は同盟。岩永裕吉、古野伊之助が歴代の社長であるが、二代目の古野は中国の奥地と香港を除くアジア全域を制覇した大規模情報機構を形成している。
誕生までの経緯
1936年、同盟通信社(以下、同盟)は当時の国内における二大通信社である日本電報通信社(以下、電通)の通信部と新聞聯合社(以下、聯合)が合併して設立された。外務省の天羽英二主導による合併構想に対して電通の光永星郎社長は当初反対したが聯合の岩永裕吉専務とその番頭格である古野伊之助支配人は賛成にまわっている。
この背景には岩永・古野の悲願であった National News Agency 構想が存在する。National News Agencyとは、AP通信の初代支配人であったメルビル・ストーンが提唱した大規模通信社の定義である。
「自国の主張を世界に知らしめ国際世論を喚起しようとするなら、その国の報道機関全体で国を代表する通信社を設立しなければならない。即ち、新聞社単独であればその新聞のみの主張でしかないが、新聞が国全体の連合体としてニュースを発信すれば大きな力となる。但、その通信社が報道の中立性を守る信義ある存在でなければ、ニュースの価値としての発信力は生じない」とした上でその為に国家代表通信社 National News Agency は非営利である事。具体的には新聞などの報道機関を組合員とする組合機構である事を満たす必要があるとしている。
即ち、営利企業ではないため株主への責任および他者との利害関係を生じない。運営は組合員の負担金によるが、組合メンバーは通信社の外信、内信を自由に利用して紙面や番組を構成できる。また組合内部においてはメンバーにより構成される理事会が運営をチェックする事によりメンバー間の不公正を生せしめないとするものである。AP通信を範とする点は言を待たないが国家主義の傾向を批判する者もいる。
特権階級が専横する日本に絶望し米国への農民移民を希望していた古野が、資本の論理以前に報道の中立を守る「公正な通信社」設立に己の人生を賭ける。世界市場に君臨するロイターの「大同盟」を破り、広告取次を武器に日本の新聞界に君臨する電通を解体させ、朝日・読売の地方進出の野望を一時は挫折に追い込んだのは古野の智謀に拠るところが大きい。これらの奇跡を起こした日本史上屈指の策士である古野が太平洋戦争後に東京裁判で被告となり数万の害毒と呼ぶべき情報を流した通信社の長として起訴されたのは歴史の皮肉とされる。
電通が広告を利用した営利企業であった点に対し、聯合は朝日新聞・毎日新聞・報知新聞など八社が出資した非営利の新聞組合であった。1935年末に国際放送電報規則が改正され、国外通信の入手を「同盟」以外は認めないとする合併推進派の切り札が出された結果、ついに実現にこぎつけた。
沿革
国内有力新聞200社と日本放送協会を組合員とし、1935年12月28日の国際放送電報規則改正により、内外通信の入手と配布を独占した。「参加した全国の新聞社の自治的共同機構」とされたが、「軍国日本の宣伝機関」とする向きもある。岩永の死もあり、後継の古野は天羽から次第に以前より盟友であった鈴木貞一にシフトしている。内閣情報委員会の後継機関である内閣情報局の指導を受けている。
関聯項目
参考図書
- 中公新書『ニュース・エージェンシー―同盟通信社の興亡』里見 脩【著】中央公論新社 (2000-10-25出版)ISBN:4121015576