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真福寺 (横浜市青葉区)

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真福寺
所在地 神奈川県横浜市青葉区荏田町432-8
位置 北緯35度33分34.14秒 東経139度33分35.42秒 / 北緯35.5594833度 東経139.5598389度 / 35.5594833; 139.5598389座標: 北緯35度33分34.14秒 東経139度33分35.42秒 / 北緯35.5594833度 東経139.5598389度 / 35.5594833; 139.5598389
山号 養老山
宗旨 真言宗
宗派 豊山派
本尊 千手観音世音菩薩
正式名 養老山真福寺
札所等 旧小机領三十三所観音霊場[1]
文化財 木造釈迦如来立像[2]
法人番号 9020005001149 ウィキデータを編集
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真福寺(しんぷくじ)は神奈川県横浜市青葉区にある真言宗豊山派の寺院。旧小机領三十三所観音霊場の第二十番札所[1]

歴史

創建は不明であるが、文化13年(1816)に作成された新編武蔵風土記稿には真福寺の記載があるのでそれ以前と考えられている。また、同風土記稿によれば墓所の墓の年号より天和2年(1682)以前の可能性ありと指摘されている。大正10年(1921)ころ廃寺になっており、真福寺跡と呼ばれている。(宿自治会館付近)[3]

一方、寛政元年(1789)に造立されていた観音堂に(ただし観音堂自体は享保年間(1716~36)にあったとされている)、廃寺になった真福寺の薬師如来と釈迦如来立像および同時期廃寺となった無量寺の阿弥陀如来立像も移し、千手観音立像とともに合祀され、現在の真福寺となった。[3]

境内

真福寺跡

創建不詳で、定誉のものという天和2年の墓があったといい、開基かと疑われる[4]。場所は、現在の宿自治会付近にあったが、墓地を残して遺跡は残らない[5]

『新編武蔵風土記稿』によれば、当時の境内には薬師坐像を安置する客殿、釈迦立像を祀る釈迦堂、稲荷天神の合社があったという[4]

本堂

現在の本堂は、1789年に現在の場所に観音堂として建立された[6]。正面3、側面5間で宝形造の建物であり[6]、千手観音立像が安置されている[5]。釈迦如来立像と本阿弥陀立像が眞福寺や無量寺から移されてくると、多種の信仰を持つ堂となっている[3]

銘木

境内には、横浜市の名木古木として指定されている樹木が2つある。1つは樹齢200年ほどと推定されるイチョウ、もう1つは樹齢400年ほどと推定されるカヤである[7]

その他

  • 庫裏[6]
  • 収蔵庫 - 国指定の重要文化財に指定されている釈迦如来立像が保管されている[5]
  • 石像物[8]
    • 舟形仁王像(天和2年)
    • 宝篋印塔(文化10年)
    • 大日坐像安置角柱(旧小机領三十三ヶ所観音霊場第二十番札所)(享和2年)
    • 敷石供養塔(安政3年)
  • 地蔵堂(宝暦12年)[8]

文化財

重要文化財(国指定)

木造釈迦如来立像

鎌倉時代後期に制作された釈迦如来像である。材質はカヤを用い、寄木造りである。本像は京都清凉寺の本尊釈迦如来をもとに制作されている。清凉寺の釈迦如来像はインド、中国そして日本とその形態が伝えられたものであるとして、当時深い信仰を集めており、鎌倉時代には清凉寺の釈迦如来像をモデルとした仏像が各地で制作された。その多くは像内の銘記、納入品などで像の制作経緯が明らかとなっている事例が多いが、真福寺の釈迦如来像はそのような史料が無く、像の制作経緯ははっきりとしていない。真福寺の釈迦如来像は清凉寺の原像と比較して変容している箇所も指摘できるものの、原像の持つ異国的な風貌を表現しようとしている面も指摘できる。作成時期は鎌倉時代後期の作と考えられ、神奈川県下で清凉寺像をモデルとして制作された極楽寺称名寺のものと比較して、清凉寺の原像に近いものである[9]

重要文化財(神奈川県指定)

木造千手観音立像

藤原時代の様相を持つ、平安時代の関東における千手観音像の古い例の仏像であると考えられる。材質は頭部および本体部分をヒノキの一木から彫り出している。頭頂の仏頭、両側の四本の脇手の肘から先、両足先などは欠けたものを後に補ぎなったもの。普通千手観音は四十臂、あるいは四十二臂だが、本像は八臂となっている[10]

有形民俗文化財(横浜市指定)

荏田真福寺奉納絵馬および奉納額一括

真福寺の前身のひとつである観音堂は、小机領33か所子年の観音霊場の第20番札所に指定されるなど、真福寺は近隣の観音信仰の中心となった。特に子年の4月には御開帳が行われ、多くの信者を集めていた。その他、釈迦如来、薬師座像が安置されるようになるなど、近世、真福寺は様々な民間信仰を集めるようになっていた。このような中で、庶民の様々な願いを込めた絵馬が奉納された。最古の絵馬は1800年寛政12年)に奉納されたものであり、また観音堂が創建された1789年(寛政元年)、創建直後に奉納されたと考えられる扁額が残されている。そして子年の観音御開帳に合わせて多くの絵馬、扁額が奉納された[3]

年中行事

  • 4月8日・8月17日 双盤念仏[11]

交通アクセス

  • 鉄道
    • 東急田園都市線 江田駅下車、徒歩12分[5]

出典

  1. ^ a b 『旧小机領三十三所観音霊場 子年観音霊場巡りガイドブック』旧小机領三十三所子年観音霊場奉賛会、2008年。 
  2. ^ 横浜市教育委員会社会教育部文化財課 編『横浜の文化財』(三版)横浜市教育委員会社会教育部文化財課、1994年、56頁。 
  3. ^ a b c d 横浜市教育委員会「横浜市文化財調査報告書 第三十一輯 真福寺絵馬調査報告書」1997年、p2-3。
  4. ^ a b 『新編武蔵風土記稿』巻87。蘆田伊人編、根本誠二補『新編武蔵風土記稿』第4巻、雄山閣、1977。253ページ。
  5. ^ a b c d 『神奈川県の歴史散歩 上 川崎・横浜・北相模・三浦半島』 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会、山川出版社、2005年、66-68頁。ISBN 4-634-24614-7
  6. ^ a b c 横浜市文化財総合調査会「横浜の近世社寺建築 横浜市近世社寺建築調査報告書 II 寺院編」1991年、p73。
  7. ^ 横浜市緑政局「名木古木指定樹木一覧」1982年、p64。
  8. ^ a b 横浜市文化財総合調査会 編『横浜市文化財調査報告書 第21輯の2 緑区石造物調査報告書』横浜市教育委員会、1993年、42-46頁。 
  9. ^ 神奈川県教育委員会「神奈川県文化財図鑑」1975年、pp.77-78。
  10. ^ 神奈川県教育委員会「神奈川県文化財図鑑」1975年、p.128。
  11. ^ 横浜市教育委員会社会教育部文化財課 編『横浜の文化財』横浜市教育委員会社会教育部文化財課、1986年、41頁。 
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