コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

村木保裕

半保護されたページ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ナマポの不正受給をなくす会 (会話 | 投稿記録) による 2015年12月15日 (火) 13:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

村木 保裕(むらき やすひろ、1958年3月23日 - )は、元東京高等裁判所裁判官

経歴

岐阜県出身、岐阜県立岐阜高等学校卒業。中央大学法学部卒業

1983年、25歳で司法試験に合格。名古屋市での司法修習(38期)を経て、1986年4月から判事補として広島地方裁判所に勤務。1988年名古屋地方裁判所ならびに名古屋家庭裁判所に勤務。1991年金沢地方裁判所に勤務。1994年山口地方裁判所に勤務。

1996年4月から判事となる。1997年津家庭裁判所に勤務。1999年東京地方裁判所に勤務。

2000年4月1日、東京地方裁判所判事兼東京家庭裁判所判事に補せられる。同時に東京高等裁判所判事職務代行を命ぜられる。高等裁判所で刑事第5部を担当。

同年5月19日、東電OL殺人事件の控訴審(一審で無罪判決を受け、検察側が控訴)において、ネパール国籍の被告人の保釈請求を却下する決定を行う。2000年12月22日、上記ネパール国籍の被告人に逆転の無期懲役判決。

2001年11月28日、児童買春により、裁判官弾劾裁判所によって罷免された。刑事裁判では、すでに8月、東京地裁で懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受け、確定していた。裁判長は、山室恵であった。

関連文献

  • 『ジュリスト』2001年10月1日号
  • 『新潮45』2001年9月号
  • 『新潮45』2001年10月号
  • 『読売ウイークリー』2001年9月16日号
  • 『読売ウイークリー』2001年8月12日号
  • 『週刊新潮』2001年8月16日・23日合併号
  • 『週刊新潮』2001年6月7日号
  • 『テーミス』2001年7月号
  • 『テーミス』2001年11月号
  • 『週刊文春』2001年6月14日号
  • 佐野眞一『東電OL症候群』(新潮社、2001年)
  • 佐野眞一『新 忘れられた日本人IV 昭和の人』(毎日新聞社、2012年)

外部リンク

');