三ツ沢公園球技場
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三ツ沢公園球技場 | |
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所在地 | 横浜市神奈川区 |
開場年 | 1955年 |
収容人数 | 15046人 |
フィールド | 長さ (不明) m × 幅 (不明) m |
使用チーム | 横浜F・マリノス(Jリーグ 準本拠) 横浜FC(Jリーグ メイン本拠地) |
アクセス |
三ツ沢公園球技場(みつざわこうえんきゅうぎじょう)は横浜市神奈川区にある競技場。客席数は15,046席。
1955年に開かれた神奈川国体に備えて、日本におけるサッカー専用スタジアムのはしりとして建設され、1964年の東京オリンピックのサッカー競技の会場として使用された。その後日本サッカーリーグ(主として日産(現・横浜F・マリノス)、全日空横浜クラブ、古河電工(現・ジェフ千葉 同スタジアム前に社員寮あり)や全国高校サッカー選手権大会の会場としても使われている。
1993年、横浜マリノスと横浜フリューゲルスが本拠地になるに当たってスタンドを増築しJ1規格である約15000人を収容できるスタジアムとなった。その後1998年に横浜国際総合競技場が完成したのに伴いJ1での開催試合数こそ減ったが、1999年に旧横浜フリューゲルスのサポーター有志によって設立した横浜FCがホームとしてJ2リーグ戦を中心に使用している。
天然芝
- 1994年、当スタジアムでは芝生の張替えを行った。1993年のリーグ戦では常緑の天然芝を保つことができたものの雨天時などでは水浸しになるなど選手のプレー面での危険性が危惧されたことなどから、グラウンドの水はけの改良を含めた全面的な芝の張替え作業を行った。
- 工事は同年第1ステージ途中の5月中旬から8月初旬の3ヶ月に渡って行われ、同年第2ステージの開幕戦に間に合わせたが、同年は空梅雨と酷暑が災いし芝生に充分な水分が含有できなかったことも影響し、ところどころで芝生が腐ってしまい試合中もその芝生が跳ね上がってしまうという状況となってしまった。
- そこで急遽マリノス、フリューゲルスの主催試合を関東近郊での他のスタジアムでの代替開催、あるいは他のホームスタジアムでの変則ダブルヘッダーも検討されたが、スタジアムの調整が付かなかったことやJリーグでは変則ダブルヘッダーを認めていないこともあり、結果的に三ツ沢での開催に落ち着いた。
- 同年9月、問題となった芝生を剥がして福岡ドームでサッカー・ラグビーの試合を開催することを念頭に設計されたパレット式天然芝(詳細説明はビッグエッグターフの項を参照されたい)を購入しそれを敷き詰める応急処置を施し公式戦を開催した。その後Jリーグはアジア競技大会広島大会の開催時期でもあったため1ヶ月の中断期間があり、その間に芝生の張替えを検討したが、結局新規の張替えではなくパレット天然芝を直接地面に根付かせる形で養成しJリーグの再開に間に合わせた。
その他の施設概況
- ナイター照明設備4基(鉄塔式)
- 磁気反転電光掲示板(1993年の改装時に設置)