AK-47
AK-47(アブトマット・カラシニコフ-47、Avtomat Kalashnikov-47)は1947年にソビエト軍が制式採用した歩兵用小銃、アサルトライフル。
ミハイル・カラシニコフを筆頭に開発が行われたため、カラシニコフの名が冠されている。AK-47から発展した銃を総称してカラシニコフ銃、カラシニコフ突撃銃と呼ぶこともあるが、AK-47はその中で最も初期の銃である。ドイツ軍の開発したアサルトライフル、MP43、MP44(StG44)などに影響を受けて開発されているため、その外見は似通っているが、改良点が多く、内部の機構もより洗練されている。
AK系統の銃(後述ではAK(アーカー))は、射撃精度は特に秀でていないものの、総じて信頼性が高いことが最大の特徴で、扱いが多少乱暴でも確実に動作することで知られる。これはミハイル・カラシニコフが設計の段階で、部品同士に僅かな余裕を持たせ、多少の砂塵や、高温または寒冷地における金属の収縮、生産時の技術不足による部品精度の低下が起きてもきちんと動作するよう考慮したためである。
また内部の部品は極力ユニット化されており、野外で分解する際に部品を紛失したり、簡単に故障しないように工夫してある。このような銃の頑丈さや、簡素化は同時に兵士の負担も減らし、銃を扱うのが初めての人間でも一週間から二週間程度の短期で扱いを習得することができるという。
「人類史上最も人を殺した兵器」とも「小さな大量破壊兵器」ともいわれている。
AK-47
AK-47は7.62mm×39の口径を持つ銃で、実包は30発入りの弾倉またはドラム状の弾倉に収められている。一度弾を込めて発射すると、発射時に発生する高圧ガスを銃口手前から引き込んで、重いピストンを後方に押し下げ、その先にある部品が自動的に次の弾を込めるようになっている。この射撃と送弾を連続的に行うことにより連射が可能となり、AK-47は一分間に600発以上の速度で射撃ができる。
AK-47は当初、機密扱いの武器であったため、兵士は覆いを被せて持ち運んでいた。弾の威力や信頼性の点で当初から強力な銃ではあったが、改良は常に行われており、西側ではAK-47を生産時期と特徴からI型からIII型まで分類している。このAK-47は更に後のAKMに発展する。
AKM
AKMはAK-47を改良した銃で、基本構造はAK-47と同様の銃である。ただし、銃の本体部分(フレーム)が従来は削り出し加工で製造されていたのに対し、プレス加工を多用し、生産性を大幅に高めている。また、AK-47の傾斜した銃把(銃の肩に当てる部分。ストック)が命中精度を下げていたため、AKMではこの角度を直線的に改めて精度を高めている。さらに、銃口(マズル)部分の先を斜めにして、発射時の反動で銃口が上に向かないように改良している。
AKMS
AKMSはAKMのストックを折りたたみ式にしたもので、いわゆるカービン銃にあたる。空挺部隊や戦車部隊などで用いられる。
RPK
RPKは軽機関銃型のAKMで、歩兵分隊の支援用として開発された銃である。AK-47の30発弾倉の他、それを長くした45発の弾倉、75発のドラム型弾倉などが扱える。射撃時の安定性を高めるために、二脚が追加され、ストックの形状も変更されている。
ドラグノフ狙撃銃
AK-47の機構を狙撃銃に応用したものである。詳細はドラグノフ狙撃銃を参照。
AK-74
AK-74は1974年にソビエト軍が採用した銃で、従来のAK-47系列に替わるものである。一番大きな特徴は、口径が5.45mm×39になったことで、これはアメリカ軍が採用していたM16シリーズの5.56mm×45弾を意識したものである。銃弾の口径を小さくし、軽量のものにすると、射撃時の反動は小さくなり、弾の速度が上がることで人体などを貫通しやすくなる。
ただし、貫通力があまりに高すぎると、銃弾が当たっても殺傷力はかえって下がってしまうので、5.45mm×39は銃弾の内部に特殊な空洞を作り、命中時に人体内部で弾が留まるように設計されている。この技術は西側にも影響を与え、現行の5.56mm×45弾(SS109、M855)では、同様の構造が採用されている。
初期の物は合板のストックだったが、後にプラスチック製ストックが採用された。
AKS-74/AK-74S
AKS-74(AK-74S)は銃床を折りたためるようにしたAK-74で、持ち運びの際にかさばらない。日本では、九州南西海域不審船事件で、北朝鮮の工作船が使用した銃として知られる。
AKS-74U/AK-74SU
AKS-74U(AK-74SU)は、AKS-74の銃身を切り詰めたカービン銃で、「クリンコフ」という愛称がついている。銃身が極端に短いため、建物内部など、狭い場所での近距離戦闘に向き、特殊部隊などで用いられている。オプションとして、サイレンサーを装着できる。 レシーバに暗視スコープを装備できるAKS-74UNも生産された。 また、オサーマ・ビンラーディンが、傍らにこの銃を置いてインタビューに答える姿がしばしば報道されている。
擲弾発射器
AKには銃身の下に擲弾発射器(グレネードランチャー)を取り付ける事ができる。これは、アメリカがベトナム戦争中に開発したM16用のM203を意識した可能性が高い。
GP25(BG-15)/GP30
GP-25(BG-15まれにGB15)と、GP-30は、AK用の擲弾発射器。40mm口径で、GP-25は1970年代ごろに製造された。GP-30はGP-25の改良型で、GP-25に比べて軽量化されている。いずれも射程は150m程度で、VOG-25と、VOG-25Pと呼ばれる二種類の擲弾が用意されている。
BS-1
BS-1(Tishina)は、AKS-74Uのために作られた口径30mmの発射器。専用の空砲を撃ち、その力で擲弾が飛び出す構造になっているため、発射音が小さい。テレビゲーム、メタルギアソリッド2にも登場している
ベトナム戦争とAK
ベトナム戦争ではソビエト連邦や中華人民共和国から、北ベトナム軍(NVA)や南ベトナム解放民族戦線(NLF)に向けて大量のAKが送り込まれた。戦場は熱帯雨林を中心とする過酷な環境であったが、AKはその中でも確実に動作したことで知られている。
第三世界への流出
ソビエト連邦は冷戦期、東側友好国に対して大量のAKを供与している。また、一部の国に対してはライセンス生産という形で生産も認めた。このため、AK系列の銃は莫大な数が生産され、特に7.62mm口径の銃は世界で最も大量に生産された小銃といわれている。また、AKは構造がシンプルなことから、密造も多く、それらを含めたAKの総数は8000万丁から1億丁以上ともいわれているが、あまりに数が多いためはっきりしないのが現状である。
特にアフリカ諸国においては、1960年代の独立闘争の際や、冷戦終結後、東欧諸国などから流入したAKで銃があふれており、それが内戦の終結を難しくしているという指摘もある。近年、虐殺の発生などで小火器の脅威は強まっており、国連を中心とした対策が必要だとの声がある。
イズマッシュ社と現代のAK
ソビエト連邦崩壊後、ロシアのAK生産拠点は民営化され、Izhmash社(イズマッシュ社、または、イジェマッシ社)として再出発した。Izhmash社は銃器の他に、オートバイや自動車を生産する機械メーカーとして存続している。Izhmash社は現在もAKシリーズの生産、改良を続けており、様々なバリエーションが発表されている。輸出を意識したモデルが多く、口径も西側NATO弾に対応するものなどがある。
- AK-101 - 口径5.56mm×45。西側NATO弾に対応している。
- AK-102 - 口径5.56mm×45。AK-101の短縮型。
- AK-103 - 口径7.62mm×39。口径はAK-47と同じだが、構造はAK-74Mに近い。
- AK-104 - 口径7.62mm×39。AK-103の短縮型。
- AK-105 - 口径5.45mm×39。形状はAK-101、AK-103同様、短縮されている。
- AK-107 - 口径5.45mm×39。連射速度が向上し、一分間に850~900発の射撃が可能。3点バーストの追加。リコイル軽減機構を備える。
- AK-108 - 口径5.56mm×45。性能はAK-107同様。
- PP-19 - 口径9mm×18。AKS-74を短機関銃にしたもの。「スパイラルマガジン」という特殊なマガジンにより64もの装弾数を持つ。