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シュトラウブ・ブルノー(Straub Ferenc Brunó、1914年1月5日オラデア – 1996年2月15日)はハンガリーの生化学者・政治家。ハンガリー社会主義労働者党政権最後の国民議会幹部会議長(国家元首)を務めた。
生化学者としてはセント=ジェルジの弟子で、1942年に筋肉の主要タンパク質であるアクチンを発見し、さらに筋肉の収縮機構を研究した。第二次大戦後、セゲド大学教授となり、酵素反応機構などを研究し、ハンガリー科学アカデミー酵素学研究所を創立した。また国の科学技術政策にも参画した。
1988年、党員ではなかったが幹部会議長に推挙され、翌年には一党独裁放棄が決定された。