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井上正順

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井上 正順
時代 江戸時代末期(幕末) - 明治時代
生誕 嘉永7年7月21日1854年8月14日
死没 明治37年(1904年1月6日
墓所 染井墓地
官位 従五位下、宮内少輔、子爵
幕府 江戸幕府
下総国高岡藩
氏族 井上氏
父母 父:井上正和
正室:徳川斉昭の12女・愛子
正言(長男)
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井上 正順(いのうえ まさより)は、下総高岡藩の第11代(最後)の藩主。子爵

嘉永7年(1854年)7月21日、第10代藩主・井上正和の長男として生まれる。慶応3年(1867年)3月28日、父の隠居により家督を継いだ。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に組みした。同年5月8日、従五位下、宮内少輔に叙位・任官する。版籍奉還により高岡藩知事廃藩置県で藩知事を免職となった。

維新後の明治8年(1875年)、警視庁15等を拝命し、明治9年(1876年)には警部補に昇進した。明治17年(1884年)の華族令子爵に叙された。明治37年(1904年)1月6日に死去した。享年61。

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