コンク
Conques | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ミディ=ピレネー地域圏 |
県 (département) | アヴェロン県 |
郡 (arrondissement) | ロデーズ郡 |
小郡 (canton) | コンク小郡 |
INSEEコード | 12076 |
郵便番号 | 12320 |
市長(任期) |
フィリップ・ヴァルシ (2008年-2014年) |
人口動態 | |
人口 |
286人 (2006年) |
人口密度 | 9人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯44度36分01秒 東経2度23分50秒 / 北緯44.600278度 東経2.397222度座標: 北緯44度36分01秒 東経2度23分50秒 / 北緯44.600278度 東経2.397222度 |
標高 |
平均:m 最低:221 m 最高:663 m |
面積 | km2 (3 051ha) |
コンク (Conques、オック語:Concas)は、フランス、ミディ=ピレネー地域圏、アヴェロン県のコミューン。
中世、コンクは聖アジャンのフォワ(fr)の聖遺物を祀る地として巡礼地であった。世界遺産のサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の1つとして、サント=フォワ修道院とドゥルドゥ川に架かる橋が登録された。また、フランスの最も美しい村にも選ばれている。
地理
コミューンはドゥルドゥ川とウシュ川の合流地点にある。この地形がホタテガイに似ていたため、コンク(ラテン語ではconcha、オック語ではconcas)という名称を与えられたとされる。県都ロデーズの北にあり、サント=フォワ修道院周囲に密集する中世以来の町並みが、陽光差す山の中腹に現れる。生け垣に囲まれた住宅は、正午頃にそのファサードに日が当たる。ホタテガイの意匠が目立つ。通りの舗装、屋根に至るまで石が使われている。扉や窓の縁飾りのために切石が使われ、灰色やピンク色の砂岩、さらに花崗岩が使われることは非常にまれである。
歴史
一説によると、5世紀から、この地に聖ソヴールを祀った小修道院とそれを囲む定住地があったとされる。この小修道院は、イスラム教徒の北進で壊され、730年以降にカール・マルテルの子ピピン3世の支援で再建された。同時期、修道士ダドンが修道院を建て、819年にはベネディクト会の規則を採用した。社会組織が非常によくできていたこの修道院は、重要な領地を次第に統合し、9世紀の経済減退期に繁栄する小島のような状態となった。
864年から875年のこの時期、コンクの修道士アリヴィスクスが、アジャンの教会に安置されていた聖フォワの聖遺物を盗み出すことに成功するという、歴史的な事件が起きた。聖フォワは303年、アジャンにて12歳で殉教していた。この敬虔なる移動が、すぐに奇跡を誘発し、多くの巡礼者をコンクへ引き寄せたのだった。
同時期、聖ヤコブの墓がサンティアゴ・デ・コンポステーラで発見されたとヨーロッパ各地に伝わった。955年から960年の間、ルアルグ伯は使徒を敬い、ガリシアで報いの御礼を述べるべく最初の巡礼の一人となった。30年あまり後、彼の息子レーモンはバルセロナにてイスラム教徒を撃退した。謝意の証として、彼は大規模な戦闘を物語る贈り物をコンクへ贈った。銀に鞍の彫り物がされた祭壇飾りである。それを用いて修道士たちは大きな十字架をつくった。
11世紀の間、聖フォワは、スペインでのレコンキスタに赴く十字軍騎士たちの守護聖人であった。2人のコンクの聖職者が、ナバーラとアラゴンで司教となった。1077年以降にパンプローナ司教となったピエール・ダンドック、1100年にバルバストロ司教となったポンスである。アラゴン王ペドロ1世は、その後に聖フォワへ献堂した修道院を建てている。
コンクを出発後、クエルシーへ向かうものと、モワサックの修道院へ向かうそれぞれの道程をつなぐ巡礼路がある。最短のものはオーバンへ向かう、ドゥルドゥ川に架かる古い橋である。しかし、グラン=ヴァブル村の小集落ヴァンズルと北西のフィジャックを通過する道程が主流であった。
13世紀、コンクのサント=フォワ修道院は強力になり、その経済力は頂点に達した。しかし14世紀から15世紀に衰え、1424年12月22日、ついに世俗化された。
フランス革命後に廃れていたコンクは、1837年、当時歴史文化財の検査官でもあったプロスペル・メリメによって再発見された。宝物や教会の正門は住民の手で完全な状態で保存されていたが、教会には幾らかの補強が必要だった。
1832年、コンクはモンティニャックとサン=マルセルの一部を併合した。
1873年、ロデーズ司教ブールは、プレモントレ修道会の再建者エドモン・ブルボンによって、聖フォワ信仰と巡礼地コンクの復活を依頼された。1873年6月21日から、白い修道服をまとった6人の修道士たちが、ロデーズ司教の命令により厳かにかつての修道院に居住するようになった。フランス第三共和政初期、コンクの住民たちは、既に失われた信仰の記憶が甦るのを目撃したのだった。
1911年、中世以来の宝物を保管する博物館が建設された。聖フォワの聖遺物は1875年に取り戻され、1878年から巡礼が敬意を表しに現れた。
サント=フォワ修道院と教会
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教会のファサード
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コンクのローマ橋。1410年に架けられた
この壮大なロマネスク様式の建物は、11世紀から12世紀にかけて建てられた。ファサード両側の2本の塔は、19世紀のものである。ティンパヌムは特筆されるものである。修道院と教会には、カロリング朝美術の独特の美が保存されている。内部はピエール・スーラージュによるステンドグラスで飾られている。