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河合純一

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獲得メダル
日本の旗 日本
競泳
パラリンピック
1992 バルセロナ 50m自由形B1
1992 バルセロナ 100m自由形B1
1992 バルセロナ 200m背泳ぎB1
1992 バルセロナ 100m背泳ぎB1
1992 バルセロナ 200m個人メドレーB1
1996 アトランタ 50m自由形B1
1996 アトランタ 100m自由形B1
1996 アトランタ 100m背泳ぎB1
1996 アトランタ 200m個人メドレーB1
2000 シドニー 100m自由形S11
2000 シドニー 4×100mmメドレーリレーS11-13
2000 シドニー 100m背泳ぎS11
2000 シドニー 100m自由形S11
2000 シドニー 200m個人メドレーB1
2004 アテネ 50m自由形S11
2004 アテネ 100m自由形S11
2004 アテネ 100mバタフライS11
2004 アテネ 4×50メドレーリレー20pts
2004 アテネ 100m背泳ぎS11
2008 北京 50m自由形S11
2008 北京 100mバタフライS11

河合純一かわい じゅんいち, 昭和50年(1975年4月19日 - )は、静岡県浜名郡舞阪町(現・浜松市)出身の競泳選手。

概要

先天性ブドウ膜欠損症のため生まれつき左目の視力はなく、右目の視力も非常に弱かった。3歳の時に手術を受けることにより右目は一時わずかながらも視力を取り戻したが、15歳には右目の視力も完全に失い、全盲となる。筑波大学附属盲学校高等部を経たのちに早稲田大学教育学部に入学、卒業後は母校でもある舞阪町(現・浜松市)立舞阪中学校に赴任した[1]

来歴

水泳を始めたのは小学校の時で、トレーニングを続け17歳の時にバルセロナパラリンピックに出場、銀メダルを2枚、銅メダルを3枚獲得した。 早稲田大学入学後もトレーニングを続け、アトランタパラリンピックでは50m自由形B1、100m自由形B1で初の金メダルを2枚と銀メダルと銅メダルを1枚ずつ獲得した。教員となってからも、シドニーパラリンピックで金メダル2枚、銀メダル3枚、アテネパラリンピックで金メダル1枚、銀メダル4枚、銅メダル1枚獲得し、全盲の50m自由形の3連覇を成し遂げた。4連覇がかかった北京オリンピックではスペインエナメド・エナメドに敗れ銀メダルに終わり、他種目も銅メダル1枚に終わった。

人物

平成21年(2009年)11月、天皇陛下御在位二十年記念式典に出席した。同式典では、今上天皇皇后が関心を持つ分野の代表者の一人として、河合が紹介された[2]

映画

彼の半生を綴った「夢追いかけて」は映画化もされ、自身が本人役を演じたほか、三浦友和田中好子船越英一郎などが出演、少年時代の彼は勝地涼が演じた[3]

出典

  1. ^ [1]
  2. ^ 「天皇陛下御在位20年記念式典」『天皇陛下御在位20年慶祝行事等-詳細内閣官房内閣広報室
  3. ^ [2]

外部リンク

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