西村修平
西村 修平(にしむら しゅうへい、1950年 - )は、右派の主張に基づく日本の街頭宣伝活動家である。秋田県出身。専修大学中退。靖国会理事、英霊にこたえる会委員、主権回復を目指す会代表を務める。維新政党・新風千葉県本部・元代表(除籍)。北朝鮮に拉致された日本人を救出する千葉の会元幹事。出羽国の名門・西村氏の分家で、本家の大叔父は西村祥治海軍中将。 2009年発売の雑誌WILLによると過去に毛沢東主義者であった記述がされ、本人が抗議した。
主な政治活動
動画サイトに活動の様子をアップロードするなど、ネットを積極的に利用した活動を展開している。反中国、韓国、マスコミュニケーション、創価学会、民主党、Google、生活協同組合、外国人観光客など批判対象は多岐にわたるが、運動としてはその時々にマスコミに取り上げられた物が多い。
- 2001年には女性国際戦犯民衆法廷を取材したNHKに放送前に抗議する。その活動はNHK番組改変問題に関連してのものだった。
- 2004年には、南京大虐殺や百人斬り競争を虚構とする立場から、「集英社の不買運動を検討する会」「本宮ひろ志の歴史偽造を糾弾する会」なるグループを立ち上げ、本宮ひろ志が事実として描いた『国が燃える』を掲載した集英社への抗議行動を行っている。
- 2005年の中国における反日活動に対し中国抗議デモの幹事を務める。
- 2007年10月、沖縄県宜野湾市で、第二次大戦末期に沖縄で起こったとされるいわゆる「軍強制による集団自決」に関する県民集会に関し朝日新聞に抗議活動を行う。また「検証の結果、集会参加者が当初発表された参加者11万人には遠く及ばない1万8千人に過ぎなかった」指摘をした。
- 2008年、東村山市における街頭宣伝の際に、朝木明代万引き被疑事件の現場となった洋品店へ押しかけ、創価学会関係者であると攻撃するスピーチを行い、名誉毀損で提訴された。(矢野穂積参照)
松井やより講演会に関する事件
2001年7月7日、「従軍慰安婦」問題に関し昭和天皇有罪論を主張する「日中友好神奈川県婦人連絡会」主催による「日本軍性奴隷制度を裁く女性国際戦犯法廷」(女性国際戦犯法廷)が開かれ、同志と共にこの討論会に参加した。
その際、西村が席を外している間に同行者が空き缶を関係者に向かって投げつけたとされる。その後、討論会から排除され帰路に着いたが、予定されていた松井やよりの公演とフリー討論は「右翼団体による妨害活動を受けた」として中止された。後日、主催者側から告訴された。
4ヵ月後、威力業務妨害罪で逮捕される。取り調べでは「大声を出したが妨害するつもりはなかった」と供述し、共同謀議の容疑についてははっきりと否認した。また「自分達の行為は罪にはならないはずなのに、政治的圧力で左翼に犯罪としてでっち上げられた」と述べている。なお、この事件に関わった他の主要人物に維新政党・新風の川久保勲がいる。
2002年10月4日、横浜地方裁判所で懲役1年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決を受ける。その後、東京高裁に控訴、最高裁に上告したがいずれも棄却され、有罪が確定した。なお、本事件では、勾留が136日と長期にわたり、第154回国会 法務委員会 第15号にて、西村眞悟衆議院議員によりその事が指摘された。
有罪確定後、26年間にわたって勤務していた会社を退職。國民新聞社の記者・編集委員(既に退社)となり、現在に至る。 一部のインターネットサイトでは収入源についてある警備会社との関連が記されている。街頭宣伝活動を行う仲間、瀬戸弘幸のブログによると柏市在住。 なお、自宅二階のベランダに置かれた糞を創価学会による陰謀と考えて警察を呼んだ。その後の検証結果の報告はない。
以前は日本文化チャンネル桜・社長の水島総と懇意で、同局にも2・3度出演していたが、英霊にこたえる会幹部の倉林和男を老害と誹謗したことに水島が激怒、現在は友好断絶の状態にある。しかし、水島は主権回復を目指す会が行っている河野談話撤回のための署名運動には署名を寄せた。
関連項目
外部リンク
- 主権回復を目指す会(公式サイト)
- 集英社への抗議文(2004年)(個人のサイト「疑視倭人伝」内)