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1493年に室町幕府10代将軍足利義材が越中国射水郡放生津で樹立した幕府政権。越中守護畠山尚順、加賀守護富樫泰高、越後守護上杉定実、越前守護朝倉貞景、幕府昵近公家衆日野某、阿野実平、松殿忠顕、飛鳥井雅康、幕府奉公衆伊勢貞仍、吉見義隆、畠山政近ほかの四番衆、狩野左京介、一色視元ら二七〇人が政権を構成し、御判御教書、御内書、奉行人奉書を独自に発して義材の京都復帰運動を支えた。京都の細川政元政元政権との関係から、京都へ帰参したり、越中へ下向するなど人員には出入がある。1498年、義材が越前に動座したことにより越中での活動を終えた。将軍御所となった正光寺跡は、神保寺遺跡(新湊市八幡町)と推定される。