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湯原昌幸

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湯原 昌幸
出生名 桜井 昌幸
生誕 (1947-03-05) 1947年3月5日(77歳)
出身地 茨城県牛久市
ジャンル ポップス歌謡曲
職業 歌手
タレント
俳優
活動期間 1964年 -
事務所 ハブ・マーシー
公式サイト 湯原昌幸のホームページ
エレキブーム

湯原 昌幸(ゆはら まさゆき、本名・桜井 昌幸 1947年3月5日 - )は、茨城県牛久市出身の歌手俳優レポーターパネラーなどをこなすマルチタレント日本大学鶴ヶ丘高等学校卒、日本大学芸術学部放送学科中退。血液型B型。

妻は、女性タレント荒木由美子(本名・桜井 由美子)。

略歴

  • 江東区立深川第六中学校時代に劇団ひまわりの門を叩くが、高校受験のために断念している。
  • 銀座ACBの新人コンクールに合格した後に、東京音楽学院でボーカルを学んでいる。
  • 1964年、『ホイホイ・ミュージックスクール』(日本テレビ)への出演がきっかけで、東洋企画に入社。バンドスウィング・ウエスト』に入り、ボーカルとして歌の腕を磨きながら、MCも担当する。
  • 1970年、スウィング・ウエスト解散後に『見知らぬ世界』でソロデビューするが、売り上げは上がらず、家業の手伝いや、流しで生計を立てていた。
  • 1971年カワハラ企画に移籍後、ソロデビューから2枚目のシングルで、スウィング・ウエスト時代にも歌っていた『雨のバラード』が120万枚を超す大ヒット。一躍、歌手として脚光を浴びる。しかし、その後は本業としていた歌手としての人気が低迷。数々の曲を発表したものの、『北の盛り場』がややヒットしたのを除き、なかなか売れない時期が続く。
  • 軽快なMCの経験を生かし、コメディアンにも挑戦。30分の間に30曲分のショートコントを一挙に放送する『せんみつ・湯原のドット30!』(TBS)などに出演しお茶の間の人気者になる。『ドット30!』でのせんだみつおとのコンビは大人気を博した。その一方で、スウィング・ウエスト時代から手がけている作詞・作曲の腕を生かし、せんだに“加山雄三調”のシングル曲「高原の二人」を提供した(作曲のみ)。
  • その後は、俳優として数々の映画テレビドラマに出演する一方、『うわさのチャンネル!!』(日本テレビ)などで司会者としても活躍。また『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ)のパネラーレポーター、『わくわく動物ランド』(TBS)のパネラーとしても活躍し、どんな仕事にも対応できる器用なマルチタレントとして重宝される。
  • 1983年、タレントで女優の荒木由美子と結婚。36歳にして23歳の美人女優と結婚したことで、世間から羨ましがられ、時には「この犯罪者!(笑)」(本人談)などと周囲にからかわれるも、当時としてはめずらしい13歳の年齢差の結婚により、世間からの注目がさらに増し、独身の中年男性の星のような存在になる。
  • 2003年、本業である歌手として『冬桜』を発表。歌詞の内容が団塊の世代に受け、有線放送から火がつき、CDの出荷数が徐々に増していき、数年かけてCD出荷総数が10万枚を超すロングセラーとなり、現在でも有線放送では欠かせない曲となっている。
  • 2004年、『冬桜』にて、第37回日本有線大賞・有線音楽優秀賞を受賞。
  • 2006年2月、新曲『都忘れ』を発表。
  • 2007年10月、新曲『柚子』を発表。
  • 2008年7月、『人生半分』『冬桜』など一連の楽曲の作曲者でもあるすぎもとまさとと結成したユニット“ルービー・ブラザーズ”として「ふたりで竜馬をやろうじゃないか」をリリースした[1]

音楽作品

シングル

  • 見知らぬ世界/二人で歩こう
  • 雨のバラード/今にわかるわ
  • 愛があれば/ある雨の日の想い出
  • 愛の影/霧の街角
  • 裏窓/あなたに捧げる詩
  • 君はいない/二人の教会
  • 求婚(プロポーズ)/ある夜の出来事
  • 北の盛り場/女の部屋
  • 街はずれの酒場で/涙の最終便
  • エアポート/非恋ホテル
  • 昨日の女/私の意地
  • がんばれ長嶋ジャイアンツ/男・長嶋ジャイアンツ(1975年長嶋茂雄現役引退後の監督初采配の時に湯原が歌った応援ソングであるが、今の巨人ファンではなかなか知らない人が殆どである。しかし長嶋本人はこの曲を歌った湯原に感謝をしている。)
  • 旅占い/本気にならないで
  • 横浜こぬか雨/決意
  • あなたセ・ラ・ヴィ/ステップ・バイ・ステップ
  • 黒い花びら/酒場の女
  • 笑ってくれるな/鯉太郎華の旅
  • 時間(とき)を止めて/主役
  • 嘘でもいいの/あなたに薔薇よりくちびるを
  • 人生半分(テレビ東京系・愛の貧乏脱出大作戦・エンディングテーマ曲)/ラーメンどんぶり流れ唄
  • 夢なかば/雨のバラード
  • 冬桜/ナツメロBOY'S
  • 都忘れ/一途人
  • 柚子/道

アルバム

  • 雨のバラード
  • 輝く愛の世界
  • 街はずれの酒場で/北の盛り場
  • 湯原昌幸/エアポート
  • ゴールデンメモリアル・アルバム/ザ・コントラスト
  • スーパーベスト/人生半分

現在のレギュラー番組

テレビ

よくゲスト出演する番組

テレビ

ラジオ

過去の主なレギュラー番組

テレビ

ラジオ

映画

CM

舞台

  • ゆめ花火(座長公演)  

人物

  • とにかく人に優しい性格である。特に13歳年下の夫人を「由美ちゃん」と呼び、娘のように可愛がっている。
  • 誰にでも好かれる性格で、芸能界でも悪評がたったことがない。
  • 涙もろい。第37回日本有線大賞・有線音楽優秀賞を受賞した際、夫人が見守る中、感極まって涙声で歌いきった。
  • ギャグを考えるのが得意で、せんだみつおが後に自分のギャグとした「ナハ」は元々は湯原が考えたギャグである[2]
  • 2007年に還暦を迎えたが顔が40~50代と若く見られる。

趣味

  • 作詞、作曲、ゴルフ、釣り、スキー  など

結婚後の私生活

湯原は、母・吉の(よしの)と母子で生活していたため、荒木由美子は湯原との結婚と同時に芸能界から引退専業主婦になり(1990年代まで主婦タレントとしてCMなどに出演することはあった)、母と同居することになる。結婚して2週間後、母が糖尿病からくる足にできた血栓のため入院。退院後は荒木による食事療法が始まったが、5年後の1988年幼稚園児になっていた長男が、母の奇行を荒木に告げ、湯原の耳にも入る。病院での検査の結果、母は認知症であることが判明。ここから湯原・荒木夫妻のすさまじい介護生活が始まる。

母の介護は主に荒木が担当するも、症状が日に日に悪くなっていく毎日であるため、湯原も仕事場では笑顔であるが心労が隠し切れない日々が続く。帰宅すれば「生き地獄」「壮絶」という言葉しか当てはまらないほど、母の認知症は悪化していた。あまりの症状の悪化で、精神的に滅入っていた湯原が母の首に手をかけるところまでいくが、荒木の悲痛な叫びによって最悪の事態を免れる(荒木談)。自宅での介護を諦めて、荒木が母を連れて紹介された介護施設を訪れるが、そこは精神科の施設で、窓に鉄格子が取り付けられている施設だったため、さすがの荒木も「あまりに可哀想…」と、母を連れて自宅へ戻る。

その後、母は病院に入院することになるが、転院のたびに病状は悪化。認知症との壮絶な闘いは14年間続くも、その間、湯原は荒木に対し常に「由美ちゃん、ありがとう」「悪いね」といった感謝の言葉を欠かさなかった。そして2003年1月、母は急性白血病で死去。母が意識をなくす3日前には認知症であるとは思えないほど、嫁である荒木に感謝の言葉をかけ、長男にも「昌幸にそっくり」などと、まもなく訪れる最期を知らせるかのように、夫妻と長男の3人にやさしい言葉を残した。

母が死去したことで、結婚して2週間後から始まった夫妻の壮絶な20年間の介護生活は幕を閉じる。荒木は母の死去で生きる気力を一時失うが、2004年、母の20年間に渡る壮絶な介護生活を執筆した『覚悟の介護―介護20年 愛と感動の家族物語』[3]の発売を機に、20年ぶりに芸能界へ本格復帰。湯原も「冬桜」のヒットで各方面からの出演依頼があり、結婚20年目にして、歌手として初めて荒木と夫婦揃っての共演を果たす。

近況

タレントしては首都圏限定だが、チバテレビやテレビ東京などで軽妙な司会ぶりを見ることができる(上記参照)。また、芸能界おしどり夫婦として、旅番組テレビショッピングなどに多数出演している。先述の荒木の著書が話題になり、荒木が介護体験を語る福祉番組に出演する際にはゲスト出演することもある。2008年11月公開の『GSワンダーランド』で、久々に映画にも出演。

本業の歌手としても、2006年2月、約3年ぶりの新曲『都忘れ』をリリースした。翌2007年5月30日には、ミニアルバム『途中駅~Never Ending Life~』を発表、その収録曲である『千年の旅人』は、芸能界デビュー時はアイドル歌手だった荒木との初のデュエットソングである。また6月10日には『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ系列)に夫婦で出演。20年にわたる実母の介護生活などの想い出を、2人は涙ながらに語っていた。

脚注

  1. ^ ルービー・ブラザーズ「ふたりで竜馬をやろうじゃないか」公式サイト(テイチクエンタテインメント)
  2. ^ せんだみつお『ナハ』 東京書籍、2002年 ISBN 4487797144 92頁
  3. ^ ぶんか社 2004年 ISBN 4821108674

関連書籍

スウィング・ウエスト時代について語るインタビューを掲載。

外部リンク

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