アレックス・ラミレス・ジュニア
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | フロリダ州 |
生年月日 | 1983年9月1日(41歳) |
身長 体重 |
183 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2004年 |
初出場 | 四国・九州IL / 2008年4月28日 |
最終出場 | 四国・九州IL / 2008年7月18日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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アレックス・ラミレス・ジュニア(Alex Ramirez Jr.、1983年9月1日 - )は、野球選手(投手)。
プロ野球選手のアレックス・ラミレスは義理の父。
来歴・人物
- 2004年、義父のアレックス・ラミレスを頼って来日。練習生としてヤクルトの2軍の練習に参加した。
- 2004年末、交渉が難航したラミレスの契約の一環として、ジュニアとも選手契約が行われた。義父・ラミレスが2005年からの3年契約の為、ジュニアも3年契約である。
- 野球経験がないまま投手扱いで入団した。入団当時の直球は130km/hに満たず、制球もままならなかった。
- 当初は右投とされていたが、左でも投げられることが判明したため、投手をするときは左で投げるようになった。
- 2005年の春キャンプでは、2日目で太ももの張りを訴えてダウン。運動不足によるただの筋肉痛であった。
- 2005年3月18日、2軍の教育リーグ(湘南シーレックス戦)で実戦初登板。1回を投げ3四球1失点という結果に終わっている。
- 2006年、2軍公式戦初登板を果たす(1/3回を投げ2失点)。同年の登板はこの1試合のみであり、防御率は54.0となった。結局1軍での出場は無かった。
- 2007年、2軍戦ながら奪三振(石橋尚登から)も記録した。球速も130Km/hを超すようになり着実に成長していたが、同年11月30日に自由契約公示された。3年間の2軍の通算成績は3試合、0勝0敗、防御率10.80。
- 自由契約後は帰国し企業家を目指し勉強中であったが、2008年4月23日、四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団。8月17日付で、本人の申し出により退団した。在籍中の成績は6試合に登板し、22イニングを投げて1勝2敗、防御率6.95であった。
エピソード
- アレックス・ラミレスの結婚相手の連れ子である。血縁関係は無いのだが、父子での同一チーム所属は極めて異例の事であった。
- ヤクルトとの契約は、戦力としての計算があってのものではない。ポジションも仮に投手としての契約だったが、内野手(二塁手)も場合によっては行うという話であった。その場合、左投では支障が出るため、野手で出場の場合は右投で出場するという。勿論内野経験などがある訳ではなく、野球は素人である。要は初めて野球をやるので、投手なら左投が良いだろう、野手なら右投で練習する、という程度の話であった。
- 魚アレルギーがあり、かなりの偏食家である。
リグスと口論になり、親(ラミレス)にチクリ、ラミレスとリグスが喧嘩した。
ガイエルととても仲が良くいつも合同キャンプを行っていた。
彼の趣味はプレステであり好きなゲームは龍が如くである。
背番号
- 49(2005年 - 2007年)
- 5(2008年)