コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アレックス・ラミレス・ジュニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。210.230.138.235 (会話) による 2009年2月9日 (月) 06:00個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (エピソード)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

アレックス・ラミレス・ジュニア
Alex Ramirez Jr.
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州
生年月日 (1983-09-01) 1983年9月1日(41歳)
身長
体重
183 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2004年
初出場 四国・九州IL / 2008年4月28日
最終出場 四国・九州IL / 2008年7月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

アレックス・ラミレス・ジュニアAlex Ramirez Jr.1983年9月1日 - )は、野球選手投手)。

プロ野球選手のアレックス・ラミレスは義理の父。

来歴・人物

  • 2004年、義父のアレックス・ラミレスを頼って来日。練習生としてヤクルトの2軍の練習に参加した。
  • 2004年末、交渉が難航したラミレスの契約の一環として、ジュニアとも選手契約が行われた。義父・ラミレスが2005年からの3年契約の為、ジュニアも3年契約である。
  • 野球経験がないまま投手扱いで入団した。入団当時の直球は130km/hに満たず、制球もままならなかった。
  • 当初は右投とされていたが、左でも投げられることが判明したため、投手をするときは左で投げるようになった。
  • 2005年の春キャンプでは、2日目で太ももの張りを訴えてダウン。運動不足によるただの筋肉痛であった。
  • 2005年3月18日、2軍の教育リーグ湘南シーレックス戦)で実戦初登板。1回を投げ3四球1失点という結果に終わっている。
  • 2006年、2軍公式戦初登板を果たす(1/3回を投げ2失点)。同年の登板はこの1試合のみであり、防御率は54.0となった。結局1軍での出場は無かった。
  • 2007年、2軍戦ながら奪三振(石橋尚登から)も記録した。球速も130Km/hを超すようになり着実に成長していたが、同年11月30日自由契約公示された。3年間の2軍の通算成績は3試合、0勝0敗、防御率10.80。
  • 自由契約後は帰国し企業家を目指し勉強中であったが、2008年4月23日四国・九州アイランドリーグ高知ファイティングドッグスに入団。8月17日付で、本人の申し出により退団した。在籍中の成績は6試合に登板し、22イニングを投げて1勝2敗、防御率6.95であった。

エピソード

  • アレックス・ラミレスの結婚相手の連れ子である。血縁関係は無いのだが、父子での同一チーム所属は極めて異例の事であった。
  • ヤクルトとの契約は、戦力としての計算があってのものではない。ポジションも仮に投手としての契約だったが、内野手二塁手)も場合によっては行うという話であった。その場合、左投では支障が出るため、野手で出場の場合は右投で出場するという。勿論内野経験などがある訳ではなく、野球は素人である。要は初めて野球をやるので、投手なら左投が良いだろう、野手なら右投で練習する、という程度の話であった。
  • アレルギーがあり、かなりの偏食家である。

リグスと口論になり、親(ラミレス)にチクリ、ラミレスとリグスが喧嘩した。

ガイエルととても仲が良くいつも合同キャンプを行っていた。

彼の趣味はプレステであり好きなゲームは龍が如くである。

背番号

  • 49(2005年 - 2007年)
  • 5(2008年)

関連項目

');