橋本聖子
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参議院議員 橋本 聖子 | |
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生年月日 | 1964年10月5日(60歳) |
出身地 | 北海道勇払郡早来町(現:安平町) |
出身校 | 駒澤大学附属苫小牧高等学校 |
学位・資格 | ‐ |
前職 |
会社員 スピードスケート選手 自転車競技選手 |
所属委員会 |
参・環境委員会理事 参・行政監視委員会委員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 3回 |
所属党派 | 自由民主党(町村派) |
党役職 |
前女性局長 前北海道支部連合会会長 |
会館部屋番号 | 参・議員会館302号室 |
ウェブサイト | 参議院議員 橋本聖子 |
橋本 聖子(はしもと せいこ、本名:石崎 聖子(いしざき せいこ)、1964年10月5日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(3期)。スピードスケート、自転車競技の選手。オリンピック日本代表として出場。アルベールビル冬季オリンピックスピードスケート女子1500 m銅メダル。
政治活動
- 1995年7月 - 第17回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、初当選。
- 2000年7月 - 北海道開発総括政務次官就任。
- 2001年
- 7月 - 第19回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、当選。(2期目)
- 8月 - 参議院文教科学委員長就任。
- 2003年9月 - 自由民主党副幹事長就任。
- 2004年9月 - 自由民主党副幹事長退任。
- 2006年6月18日 - 日本スケート連盟会長。
- 2007年7月 - 第21回参議院議員通常選挙に比例区から立候補、当選。(3期目)
- 北海道トライアスロン連合会長/トライアスロン議員連盟 幹事長
- 2007年9月 - 2007年自由民主党総裁選挙にて、立候補者の福田康夫元官房長官の20名の推薦人のうち、推薦人代表となる。
- 2008年9月 - 麻生内閣で、外務副大臣に就任。
概要・エピソード
- 北海道勇払郡早来町(現:安平町)出身。4人兄弟の末っ子。
- 実家はマルゼンスキーで知られるマルゼン橋本牧場。
- 東京オリンピックの直前に生まれ、聖火にちなんで「聖子」と名付けられた。この事から、後にマスコミで「五輪の申し子」と呼ばれるようになった。
- 父親の方針によりわずか3歳でスケート開始。
- 小学3年の時、腎臓病にかかる。2ヶ月間入院。2年間のスポーツ禁止令が出る。
- 中学3年の時、全日本選手権を初制覇。
- 駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学。全日本スプリント、全日本選手権で優勝。
- 高校1年で世界ジュニア選手権の日本代表に選ばれる。
- 女子高校生で太ももが62 cmもあることを指摘され、コンプレックスとなっていた。
- 原因不明の呼吸器系の病気にかかり生死をさまよった。だが、見事に復活し全日本選手権で「4種目完全制覇」を達成。
- 1983年、高校卒業後、富士急行株式会社へ入社。スケート業に専念する傍ら、1988年には自転車競技へも挑戦し話題となった。
- 夏冬とオリンピックに出場を果たした橋本であったが、当時のマスコミからは「五輪オタク」とバッシングされて悩んでいたという。
- 1994年、富士急行株式会社退社。
- 1998年、元ラグビー部で島村宜伸農林大臣のセキュリティポリス(SP)にもついていた警視庁警備部警護課所属の巡査部長の石崎勝彦と結婚。
- 2000年8月、園田天光光以来51年ぶり、現役国会議員として2人目、参議院議員としては初の出産を経験。これに先立ち、妊娠が判明した後の同年3月、出産による本会議欠席を認める参議院規則改正が行われ、国会議員の産休制度が事実上認められた。[1] なお、橋本自身は直前まで議員活動をし、入院後わずか2時間で出産。初の子供を授かった。現在、三男三女あり(実子3人)。
スポーツ活動
オリンピック
オリンピック | ||
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女子 スピードスケート | ||
銅 | 1992 | 女子 1500 m |
- 1984年 サラエボ冬季オリンピック出場。
- (スピードスケート女子:500 m 11位、1000 m 12位、1500 m 15位、3000 m 19位)
- 1988年 カルガリー冬季オリンピック出場。
- (スピードスケート女子:500 m 5位、1000 m 5位、1500 m 6位、5000 m 6位、3000 m 7位、全5種目入賞を果たす)
- 同年 ソウルオリンピック出場。(自転車競技)
- 1992年 アルベールビル冬季オリンピック出場。
- (スピードスケート女子:1500 m 3位入賞、銅メダル獲得。1000 m 5位入賞、5000 m 9位、500 m 12位、3000 m 12位)
- 同年 バルセロナオリンピック出場。(自転車競技)
- 1994年 リレハンメル冬季オリンピック出場。日本選手団の主将を務める。
- (スピードスケート女子:3000 m 6位入賞、5000 m 8位入賞、1500 m 9位、1000 m 21位)
- 1996年 アトランタオリンピック出場(自転車競技)
1988年、関ナツエとともに本職でのカルガリー冬季オリンピックに引き続き、ソウルオリンピックにて自転車の代表選手として出場し、日本人として男女を通して史上初めて冬・夏のオリンピックに出場したことで話題になった。 1992年のアルベールビルでは日本人女性史上初の冬季オリンピック銅メダル(スピードスケート女子1500 m)を獲得。合計7回のオリンピック出場は、世界最多タイ記録。 その後、現役を退き、後進の指導に当たる。 個人の芸能マネジメント事務所「セイコ・ハシモト・インターナショナル (SHI) 」を設立し代表になる。2006年7月1日付けで日本スケート連盟会長に就任する。 また、日本オリンピアンズ協会の理事も務めている。
賞
- 1985年 北海道民栄誉賞
- 1986年 エイボン女性スポーツ賞
- 1988年 山梨県民栄誉賞
- 1988年 北海道新聞スポーツ賞
- 1989年 朝日体育賞
- 1989年 日本ユネスコフェアプレー賞
- 1994年 文部大臣賞
(*オリンピック出場7回は女子として世界最多記録)
親族
政治的スタンス
政治的スタンスは右派である。2007年12月7日に行われた右派団体主催の『南京の真実を検証する国民の集い』にもメッセージを送った。[1]
著書
- 「聖火に恋して」(日刊スポーツ出版社、東京、1995年2月 ISBN 978-4-8172-0138-6)
参照
関連項目
- 日本の冬季オリンピック銅メダル
- 高齢出産
- 関ナツエ
- 島崎京子
- 岡崎朋美
- 大菅小百合
- 沖美穂
- クリスタ・ルディンク
- マルゼンスキー
- 日本オリンピアンズ協会‐理事を務めている。