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間寛平

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 間寛平
本名 間 重美
生年月日 (1949-07-20) 1949年7月20日(75歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県宿毛市
血液型 AB型
言語 日本語
事務所 吉本興業
活動時期 1974年 - 現在
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間 寛平(はざま かんぺい、男性、1949年7月20日 - )は、日本のお笑いタレント俳優歌手吉本興業東京本社所属。レゲエシンガー活動名義および本名は間 重美(はざま しげみ)。通称「寛平兄やん」「寛平ちゃん」、血液型AB型、星座は蟹座、干支は丑年。

来歴

高知県宿毛市出身。私立柏原高等学校卒業。既婚者。1男1女の父。ミュージシャンの間慎太郎は長男である。娘は既に結婚し、子供がいる。妻の光代は元吉本新喜劇の団員、趣味はマラソンゴルフ競馬パチンコ

師匠は花紀京吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。「かい~の」などのギャグで有名。

弟子に塩野一平(廃業)、シベリア文太本田みずほなどがいる。2005年、この2人をも従えて石田靖山田花子たちと『よしもと大爆笑劇場~寛平劇団&バラエティー全国巡業中!!』で全国巡業した。

プロフィール

  • 12歳の時に大阪市住之江区に引越した。
  • 1968年 - 高校卒業後、石原裕次郎に憧れて上京。歌手を目指すが、挫折して大阪に戻る。
  • 1969年 - すっとんトリオの紹介で新世界「温泉劇場」(新花月の前身)で修行を積む。
  • 1970年 - 喫茶店のアルバイトしていた時に、その店主の紹介により吉本興業に入り、吉本新喜劇の研究生になる。同期に桂文珍らがいる。
  • 1974年 - 木村進とのコンビで入団から4年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格。
    • 実際上は1973年10月より平参平班では平・木村、そして間の「三枚看板座長制」と言う形を採っており(但し正式にその班を統率し、脚本・演出内容にも強い発言力を有するという意味での座長には昇格していない)、平の座長勇退→専科入りを機に1974年4月より正式に木村とのコンビで座長へと正式昇格。そして1976年4月からは木村、間それぞれ別の班を統率することとなった。
  • 1975年 - 『ひらけ!チューリップ』で念願の(?)歌手デビュー。100万枚のセールスを記録[1]
  • 1978年 - 同じ新喜劇の団員だった光代夫人と結婚。当時の週刊誌の見出しが大きく取り上げられ話題を呼ぶ。
  • 1986年 - アメマバッジ10万個作成し6千万円の借金(街金だった為、返済利息金は月420万円もの額だった)。
  • 1989年 - 吉本新喜劇を退団し東京進出(但し家は宝塚)。バラエティー番組からテレビドラマまでこなす。
  • 1990年から放送を開始した日本テレビクイズ番組マジカル頭脳パワー!!』のレギュラー解答者として1991年3月から最終回まで出演し、成績はあまりよくなかったが、珍答を繰り広げた。
  • 2008年 - 12月17日に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に人類で初めて挑戦する。この間、日本には一度も帰国しない予定なのでレギュラー番組は降板することになるが、地球を走る姿はさまざまな番組で放送される予定。

エピソード

  • 元々寛平と奥さんは先輩後輩の間柄。奥さんは萩本欽一の大ファンで萩本の追っかけをしており、萩本とも顔見知りであった。奥さん曰く、萩本との結婚も本気で考えていた。だが、後に萩本の結婚を知り大ショック。寛平が奥さんを慰めたのが付き合いの始まりであった。
  • 奥さんの実家が大きな家だった為、いつの間にか寛平が奥さんの実家に住み着いた。
  • 人柄が良く、芸人仲間や後輩からも信頼される。明石家さんま島田紳助村上ショージダウンタウン雨上がり決死隊も今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している。特にさんまは当時大忙しだったにも関わらず、寛平がスパルタスロンマラソンを走る番組で、「兄さんの為なら」と付き添いの為に(さんまの付き添いは、プロデューサーが番組制作の条件として出された物であった)、無理やり10日間スケジュールを開けた事がある。また芸人ではないが『マジカル頭脳パワー!!』で共演した所ジョージ千堂あきほなどからも信頼されている。
  • その反面、生来、お人好しと無知が災いして次々と他人の借金の連帯保証人になってしまう。付いたあだ名は「歩くハンコ屋」。他にアメマバッジの失敗により多額の借金を背負うが、奥さんの光代さんが必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、街金の金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話がある(『いつみても波乱万丈』で光代さんがゲスト出演した時に明らかになった)。普通の人間なら、利子を免除してもらえないのだが、当時、寛平も売れ出し始めた事もあり、寛平自身が家族を養う事が厳しかった事から光代さんが必死に訴えた努力の甲斐が実り、利子を免除する事が出来た(現在は完済)。
  • アメマバッジの件では、バッジを製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判沙汰となる(通称「アメマ裁判」)。この口頭尋問で、裁判官から「『アメマ』とは何ですか?」と聞かれ「『ア~メマァ~…』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と聞かれたため、再度「『ア~メマァ~…』です」と答えた。このやり取りが尋問中何回も繰り返された。なおアメマバッジは、『いつみても平平凡凡』に出演したゲストにプレゼントされ、『痛快!明石家電視台』では会場の観客に、さらに『進め!クリフハンガー冒険隊』では出演した親子全員にプレゼントされていた。
    • 当時は売れなかったアメマバッジであったが、2006年5月の『世界バリバリバリュー』の企画でYahoo!のチャリティーオークションに出品された際には入札が36件あり、25,501円で落札された(元の売り値1500円)。これを作った当時は「ICが入っているから高い」と聞かされていた寛平だが、実はICは入っていなかった。
    • 「アメマ~」とは、本人いわく幼児が母親に対して言う「あ~ママぁ…」が転じたもの、とのことである。
  • 過去にB&Bのメンバーとして島田洋七に数度コンビを組まないか誘われている。しかし吉本は寛平を新喜劇で売り出そうとしていたため実現に至らなかった。ただ池乃めだかとは何度かコンビを組んで舞台に上がった事がある。
  • 10代の頃、左官屋の見習いをしていたが、風呂場のタイル貼りを命じられ、下地を濡らさずにタイルを貼ったために、後で全て剥がれてしまい、大失敗をしたことがある。また、新人の頃は経済的に苦しく、吉本に内緒でトラック運転手のアルバイトをしていた時期もあったそうで、地方でうっかり事故をしてしまったエピソードなどを時折披露している。
  • TV進出のきっかけは、当時の出演番組がABCラジオの『ポップ対歌謡曲』(週1本のレギュラー)しかなく、さんまとの会話で、「兄さん、そのギャラじゃアメマの借金返せまへんやろー!」と言われたことがきっかけで、さんまが出演しているTV番組に共演するようになったことである。
  • ハゲ頭のカツラを被ったおじいちゃん役(通称:最強ジジイ)での出演は非常に多く、吉本新喜劇での名物キャラの一人であった。膝をカクカクさせながら杖を振り回し、最後に「がんばっとるか~」と言う姿は多くの観客の笑いを誘ったが、調子に乗ってあまりにも膝をカクカクさせすぎて、本当に膝を痛めたことがある。また、多額の借金を抱えていたとき、その姿を見た妻から「アンタは杖の先にハンコつけて(判をつきながら)歩き回っているのか!」と言われたことがある。ちなみに、大日本住友製薬が老人用の薬の宣材にこのキャラクターを起用した。
  • 野球は筋金入りの福岡ソフトバンクホークスファン(南海時代から)で、現在でも年に数回福岡Yahoo!JAPANドームまで観戦に足を伸ばす。映画「ファンキー・モンキー・ティーチャー」シリーズで主人公(戸沢康平)の役を演じた時には、毎回福岡ダイエーホークスのウインドブレーカー(黒とオレンジが基調のホーム用)を着て登場していた。
  • 笑っていいとも!』に出演の際には、タモリと必ずサルの喧嘩の真似を行う。
  • 趣味としてマラソンをしており、ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」では246kmを3度も完走、『24時間テレビ』の24時間マラソンでも200km(1995年神戸-東京間、約600kmを7日間で完走)を完走するほどの健脚の持ち主でもある。
    • 彼自身もこの震災で、宝塚市に建てたばかりのマイホームを失ってしまった。また、寛平がアメマバッジの作成や連帯保証人として長年にわたって請け負った全ての負債を完済したのも阪神大震災のほんの数日前で、そのほっとした矢先での被災であり、また地震保険にも加入していなかったため家の再建費用などでその後もまた予期せぬ形で債務を負うことになってしまった。
    • もともと寛平がマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためであったが、マラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上選手並みになったという。
    • マラソンから転じて、鉄人レースにも参加するようになり、毎日走って仕事を行き帰りするようになった。やがて運動量の多さから食欲がなくなり、「ビールなら麦から作ってるから米と同じだろう」と、食事を採らずにビールを飲んでいたという。そのうちに身体がだるくなり、診察を受けたところ栄養不足と診断され、「ビールしか飲まないなんてとんでもない、普通の人間ならとっくに筋肉がずたずたになってるはずだ」と、医者はびっくりしていたという。
  • オールスター感謝祭』のマラソン競技でも、50代半ばにして一般男子以上のハンデがある。しかし近年はミニマラソンの高速化により、ミニマラソンではなく駅伝の方での参加が多い。
  • 芸風からは想像も付かないが音感にも優れ、昔から歌唱力には定評がある。かつて「ひらけ!チューリップ」がヒットしたこともある。2000年には、間寛平withアメマーズとして、フジロックフェスティバルに出演している。『痛快!明石家電視台』ではアドリブで作詞作曲した歌を歌い出すこともしばしば。
  • 忌野清志郎↑THE HIGH-LOWS↓真島昌利からアルバム『ジャングル野郎』の楽曲提供を受けた関係で2001年6月6日SHIBUYA-AXにて行われた↑THE HIGH-LOWS↓のライブアンコールスペシャルゲストとして登場。短い時間で様々なギャグを披露し会場を沸かせたあと、↑THE HIGH-LOWS↓の演奏でヒロトと一緒に「天国野郎ナンバーワン」(↑THE HIGH-LOWS↓と間寛平のバージョンがあるが、「天国野郎」を提供した↑THE HIGH-LOWS↓側がわけあってセルフカバーした際に「天国野郎ナンバーワン」と改題した)を熱唱した。この日のライブでは普段は入場時に配られるフライヤーが配られず、退場時に「ジャングル野郎」の広告と一緒に配られたことから、寛平の登場はシークレット扱いだったと思われる。この模様は後に日本テレビ系列の深夜番組で放送された。
  • また、『ジャングル野郎』に収められている真島昌利提供の曲は、リリースの際、寛平の所属事務所側に一部歌詞を変更されてしまった。変更前の歌詞は、↑THE HIGH-LOWS↓バージョンを聴くことで知ることが出来る。また、寛平バージョンは寛平ならではの台詞が入っている。
  • 寛平は『さんまのまんま』に忌野清志郎と出演した際、「ハイロウズが曲を提供してくれたんですよ。」と、とても嬉しそうに話していた。
  • 2006年2月24日に長女が初孫を出産。56歳にして名実共に「おじいちゃん」(祖父)となった。「ついにおじいちゃんになりましたが、いくつになっても甘えまくります!」とのコメントを発した。
  • マジカル頭脳パワー!!』内にあった「マジカルアート」で毎回他のメンバーが解答できないほどの絵を描いて(動物には鳥の足しか使わないなど)、それが原因で絵の勉強のためにフランスに留学した。しかし復帰第1回でシロクマを指示されたものの、今までの癖は直っていなかった(解答できずパスとなり不正解)。現在も『痛快!明石家電視台』の中の素人参加のクイズコーナーでお絵描き問題が出る時には意味不明の絵を描いて解答者を混乱させ、さんまをあきれさせている。
  • 脳内出血に倒れ、今もリハビリを続けているかつての同僚・木村進とその家族への様々な支援を行っている。
  • 近年は、志村けんと同じくコメンテーターとしての活動が多い。これには、チャリティーマラソンなど、彼の素が出ている場面がよくテレビで流れているためという見方もある。
  • 無類のビール好き。1回に500mlのビール10缶を飲み干したことがある。
  • 犬と寒さが大の苦手。南極に行くことになった時も“南”と“温泉”という言葉で「暖かい所だ」と勘違いしたかららしい。
  • 東京で頑張りたいと独立を考えた(本人曰く、仕事先の宿のの目が「東京行け、東京行け」とささやいたからとのこと。また奥さんにも相談無しでの決断だったが、奥さんは文句を言わず送り出した)時に、当時、吉本の社員だった木村政雄に懸命に説得され、慰留が決まり、吉本興業東京本社(当時は東京事務所)に所属する事になった。同時に吉本新喜劇を退団する。
  • 東京進出の理由として、実はアメマバッジの件も関わっていたとの話もある(『いつみても波瀾万丈』より)。東京では萩本欽一に師事し、干されても3年はがんばると約束していた。
    • 吉本を辞め上京、東京で仕事を探すも、関東での知名度が低いため苦労する。そんな時に奥さんが萩本の所へ行けと言われ、寛平が萩本の所へ行き、助けを求めた。寛平との面識が無かった萩本は、最初は驚き困惑したが、萩本の仲介で吉本の東京支社に所属、自分の番組に寛平を出すなど、手助けをした。のちに萩本は「奥さんと一緒に来ていたら断っていた」と語っている(金スマより)
  • 2006年&2007年の『24時間テレビ』内では十種競技にも挑戦。改めて鉄人振りをまざまざと見せ付けた。
  • 吉本以外の後輩では波田陽区を大変かわいがっている。そのため2006年、2007年の『24時間テレビ』で十種競技に挑戦する寛平を、村上ショージ、シベリア文太、レギュラーらと応援に来ていた。
  • 母親と顔がそっくりである。『探偵!ナイトスクープ』などをはじめとしてよくネタにされている。
  • 2007年2月27日に、将来的に芸能活動を3年間休止して世界一周マラソンに挑戦する意向を表明。本人はその理由を「目立ちたいから」だと語っている。
  • 2008年、モロッコ東南部のサハラマラソンに挑戦。食料などが入った重さ14キロのリュックを自ら背負い、総距離245キロメールのコースを、3月30日〜4月5日までの7日間をかけて、51時間46分5秒のタイムで完走。
  • 2008年8月19日、1999年から続いていた寛平まつりを2008年10月12日の10回記念公演を以って幕を下ろすことを公表。理由は2007年2月27日に公表した地球一周マラソン(KANPEI EARTH MARATHON)を2008年12月~実行に移すためというのが実情。2008年8月31日にKANPEI EARTH MARATHONの概要について公表された。

主な持ちネタ・ギャグ

  • 「おっさ~ん、おっさんアホか、アホかおっさん、おっさん、アホかぁ。」
  • 「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」 舞台からハケる時に使用される
  • 「誰が付けたかインベーダー ビッビビッビ」
  • かい~の」(大道具の角・自分の持っている杖などに尻の割れ目をこすりつけて上下運動)
  • アヘアヘアヘアヘ…」(快感を表すときなど用例多数)マネージャーの妻から5000円で購入
  • 「なめなめくじくじなめくじくじ」(なめくじ運動で地面を這う)→「塩かけないでね、粗塩はいやよ」と付け加える。
  • ア~~~~メマ!!」(困ったとき・追いつめられたときに咄嗟に放つ一言) ※明日があるさ (テレビドラマ)稲森いずみが8回連続NGを出した時にこのギャグを放ってハマりのループから救った。
  • 「血ぃ吸うたろか」(息子(間慎太郎)から奪ったギャグ)
  • 「止まると死ぬんじゃ」(おじいちゃん役の時)
  • 「だ~れ~が~じゃ」「ど~~してじゃ」「な~ぜじゃ」(おじいちゃん役の時)
  • 「お礼のプ~」(「俺のプ~」のバージョンあり)
  • 「いくつになっても、甘えん坊~」
  • 「脳みそパ~ン!」
  • 「じゅとじゅでにじゅ、あとじゅでさんじゅ」(10と10で20、あと10で30)
  • のマネをしながら、池乃めだかの形態模写との掛け合い。めだか猫と一緒にボールにじゃれついたりするが、そのうちにらみ合い、大喧嘩を始める。しかしいつの間にか寛平猿がめだか猫を押さえ込み、交尾を始めてしまう。
    • 暴れているうちにめだか猫と向き合う形となり、2人ともビックリして腰を抜かすパターンもある。
  • 池乃めだかとの掛け合いで、果てしなく池乃めだかの言動を真似し、そのまま以下のやりとりに流れ込むパターンがある
  • (めだか)「ちょっと話がある」(寛平)「誰が放し飼いやねん!」
  • (めだか)「えもんかけ(ハンガー)取って」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)やねん!」
  • (めだか)「本気で言うてるんですか?」(寛平)「誰がモンキーやねん!」
  • (めだか)「またそんな得手勝手言うて…」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)飼ってるねん!」
  • (めだか)「折り入って相談がありまして…」(寛平)「誰が檻に入って相談せなあかんねん!」
  • (めだか)「本当はええとこの子なんですやろ?」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)の子やねん!」
  • (めだか) 「ええとこ連れて行ったる言うねん」 (寛平) 「誰がエテ公やねん!」
  • 「月は雲間に隠れたし、雨戸も閉めたしガキも寝た」→「おまいさん今夜もかい?」→「あったぼうよ!」(以上、一人芝居)※本人曰く、中学生の頃に考えたネタ。
  • 「かかかか堪忍な~」
  • 「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」(パキューンに合わせて腰を前後運動)
  • 「しっかりできたらぼさっとするかいな!」(後輩芸人などから「しっかりして下さいよ~」と言われた時)
    • 井上竜夫も「しっかりできたらうっかりせんわい!」というギャグを使う。
  • アメママン(アメマバッジのモデル) 通常バージョンとロックバージョンがある。
  • 先っちょマン
  • ホレホレレンジャー「ホーレホレ掘れ」「おったまげったんよー」
  • 引きずり女
    • 十二単姿、白塗りで額に「引」の文字、髪の毛にいろんな物をヒモで結びつけて引きずっている姫。「引きずり女は福を呼ぶ」と書かれた扇子を常に持っている。娘の結婚式の余興で、娘の友人(素人)が引きずり女をやろうと用意していたのだが、寛平は本家本元の引きずり女をお色直し後の新郎新婦入場時に娘の友人より先にやってしまい、娘の友人の演し物は台無しに。本人曰く、「娘に頼まれた」とのことだが、真相は不明。
  • 「まいど~!」(鼻声で)
  • 「フェー」(鼻声)
  • 「ふひは!」(鼻声)
  • 「ちょっとしたミスさ」
  • (突然怒り出した後に)「きつく言ってごめんね」
  • 「○○って言った」「○○って言った、言った」→「結構言うのね」
  • 「じいさん、ばあさん、山のぼろ~」
  • 「うんばらばー」
  • 「イカルスピークサンシン」(呪文のように唐突に唱える。一瞬で空気を変える力を持つ、不思議なギャグ。大阪ほんわかテレビで登場)
  • (ギャグではないが、『痛快!明石家電視台』での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「うめだ花月から宝塚の自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私は県庁所在地について語れる」、など。いずれの発言もさんまからツッコミが入り(特に耳クソでは大説教された)、エンディングコーナーの投げ手・すくい手に採用された。
  • (両乳首を両手で引っ張って)「乳離れしたくなーい」
  • (両手を肘から前に出し、機関車のように前後して)「ぐぐかか、ぐぐかか、ぽっぽ~」
  • セリフはないが、右手を頭の上に持ち上げた状態で手先だけを前に倒し、手に不規則な動きを加える。
    • 本人曰く、アルバイトでパワーショベルを操縦していたことがあり、その動きからヒントを得たとのこと(『痛快!明石家電視台』での発言より)。
    • アレンジとして、ダチョウのような動きになることもある。

  • ひらけ!チューリップ山本正之作詞作曲。この曲を元にしたロマンポルノ映画も制作された)
  • ヘビおんな物語(「ひらけ!チューリップ」のB面) ※寛平のコント中のネタとしても良く使われる曲。
  • ゲイボーイ ブルース
  • わたしは宇宙人
  • アタレ!宝くじ
  • Jijy(c/w:カルマは急に止まれない)
  • 大阪で生まれた男(BOROの同名曲とは異曲)
  • なめくじ君 (寛平作詞、河島英五作曲、コーラスに萬田久子が参加している)
  • Go!Go!たまご丼
  • ジャングルジム
  • 天国野郎
  • やどもり
  • 月光バスボーイ
  • コスモス
  • TALKIN' BLUES

レギュラー番組

映画

TVドラマ

過去の出演

関連項目

外部リンク

24時間テレビ チャリティーマラソンランナー(2年連続)
1991年
-
1992~1993年
1994年
24時間テレビ チャリティーマラソンランナー
1994年
ダチョウ倶楽部
1995年
間寛平
1996年
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