唐犬権兵衛
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唐犬権兵衛(とうけんごんべえ、生年不詳 - 貞享3年)は、江戸時代の侠客。幡随長兵衛死後、町奴の頭目としておもきをなした。
旗本の士大道寺権内の屋敷前を通行するおり、手飼いの唐犬2匹をけしかけられたとき、権兵衛は土足で犬を踏み殺したというので、「唐犬」の異名をとった。へいそは紅裏甲斐絹の裾縁をとった着物を身にまとっていたという風流男で、そのころ唐犬組の壮漢のなかには、額を広くして髪を結う流行があり、世にこれを唐犬額といっていきなもののひとつにかぞえられた。明暦元年11月盗賊改役の中山勘解由が浪人遊民狩りをくわだてて、町奴34人をめしとり処分したとき、唐犬もまたねんらいおとこだてを業とし、かつて水野十郎左衛門をてごめにしたという罪でとらえられたが、いったん免され、そのご20数余年ふたたび町奴の検挙があったとき、町奴200余人とともに罪に問われ、貞享3年9月27日、伝馬町牢屋敷に下り、まもなく江戸中引回しのうえ鈴ヶ森で打首、獄門にさらされた。
歌舞伎その他に脚色された。