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'''玉置 豊次郎'''(たまき とよじろう、[[1899年]][[7月13日]] - [[1984年]][[10月9日]])は、[[大阪市]]出身の日本の[[建築学者]]・[[都市計画家]]。[[大阪工業大学]]名誉教授。元[[技官|内閣技官]]。元[[大阪府]]建築監督官・[[愛知県]]建築部長。[[勲四等瑞宝章]]受章<ref name=":0">{{Cite web|title=玉置豊次郎|url=https://www.cpij.or.jp/com/50+100/his/tamaki.pdf|author=光崎育利|publisher=公益財団法人日本都市計画学会|accessdate=2022-01}}</ref>。
'''玉置 豊次郎'''(たまき とよじろう、[[1899年]][[7月13日]] - [[1984年]][[10月9日]])は、[[大阪市]]出身の日本の[[建築学者]]・[[都市計画家]]。[[大阪工業大学]]名誉教授。元[[技官|内閣技官]]・[[帝都復興院]]復興局技師。元[[大阪府]]建築監督官・[[愛知県]]建築部長。[[勲四等瑞宝章]]受章<ref name=":0">{{Cite web|title=玉置豊次郎|url=https://www.cpij.or.jp/com/50+100/his/tamaki.pdf|author=光崎育利|publisher=公益財団法人日本都市計画学会|accessdate=2022-01}}</ref>。


== 経歴 ==
== 経歴 ==

2022年11月4日 (金) 13:39時点における版

玉置 豊次郎(たまき とよじろう、1899年7月13日 - 1984年10月9日)は、大阪市出身の日本の建築学者都市計画家大阪工業大学名誉教授。元内閣技官帝都復興院復興局技師。元大阪府建築監督官・愛知県建築部長。勲四等瑞宝章受章[1]

経歴

1923年(大正12年)、東京帝国大学工学部建築学科を卒業後[1]内務省から都市計画地方委員会事務取扱を委嘱される[1]。同年、関東大震災は発生し、帝都復興院の設置により復興局技師に転じ、復興計画にあたる[1]1925年(大正14年)大阪府警察技師、1927年(昭和2年)地方技師・大阪府建築監督官を勤める[1]。この後、約15年間は土地区画整理事業等の指導に当たる[1]。1942年愛知県警察部建築課長となる[1]

1947年(昭和2年)、内閣技官兼地方技官に就任した後、戦後復興院愛知建築出張所長となり、愛知県建築部長も兼任した[1]。1948年、東京帝国大学から工学博士の学位を授与される(論文「地方都市建築の史的研究」)[1]。1951年(昭和26年)8月、官界を辞す[1]。同年ユタカプレコン(現:トヨタT&S建設)取締役就任[2]

1929年から1942年まで関西高等工学校(現:大阪工業大学)非常勤講師、1956年から1979年まで大阪工業大学工学部建築学科教授に着任[1][3]。1969年、勲四等瑞宝章受章[3]。1971年、大阪工業大学名誉教授[1]。1976年、財団法人大阪住宅センター理事長[1]。1984年、逝去[3]。没後、正五位が追贈された[3]。死後、蔵書は玉置文庫として大阪工業大学に寄贈された[3]

著書

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 光崎育利. “玉置豊次郎”. 公益財団法人日本都市計画学会. 2022年1月閲覧。
  2. ^ 玉置豊次郎『出身県別 現代人物事典 西日本版』p933 サン・データ・システム 1980年
  3. ^ a b c d e 本学の所蔵コレクション:蔵書について | 図書館 | 大阪工業大”. www.oit.ac.jp. 2022年1月9日閲覧。
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