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2022年2月4日 (金) 07:29時点における版

渋沢 雅英(しぶさわ まさひで、1925年大正14年〉2月27日 - )は、渋沢栄一記念財団相談役(1997年から2020年までは理事長を務めていた)。 父は渋沢敬三、祖父は渋沢篤二、曾祖父は渋沢栄一。(いずれも父方)。母方の曾祖父に岩崎弥太郎がいる。

しぶさわ まさひで

渋沢 雅英
生誕 1925年2月27日
大日本帝国東京府東京市
職業 軍人、平和活動家
子供 2人
父・渋沢敬三
母・渋沢登喜子
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経歴

1925年、渋沢敬三の長男としてイギリスロンドンで生まれる。名付け親は曾祖父の栄一であった。幼い頃は渋沢家の嫡男として曾祖父、祖父の愛情を受けて育ったという。雅英誕生直後に敬三一家は日本に帰国。東京大学農学部卒業後は様々な仕事に就く。2003年からは曾祖父・栄一が創立した東京女学館12代館長も務めている。高齢となった現在も渋沢家当主として様々な活動をしている。

2022年現在において生前の栄一と実際に面識のある数少ない子孫の一人でもある。同年放送の栄一を主人公としたNHK大河ドラマ青天を衝け」放送時、12月26日放送の最終回では番組終盤において生前の栄一について述懐している他、自身の誕生場面や幼少期時代も作中で描かれている。

人物

武蔵高等学校 (旧制)前橋陸軍予備士官学校陸軍少尉を経て東京大学農学部卒業、東京食品ロンドン駐在員を一年で辞し、米国キリスト教系の道徳再武装(MRA)運動に専従、帰国後MRAアジアセンターの語学学校経営など同団体の活動を続け、1994年から2003年には、曾祖父・渋沢栄一が設立に関わった東京女学館の第12代館長に就任。

著書

共編著

  • 『東南アジアの日本批判 <シンポジウム>アジア共同体を考える』斎藤志郎共編. サイマル出版会, 1974
  • 『太平洋アジア 危険と希望』ブライアン・ブリジェス, ザカリア・ハジ・アハマド共著, 渋沢雅英 訳. サイマル出版会, 1991.9
  • 渋沢登喜子『遥かな国遠い昔 遺稿』編著. 創栄出版, 1994.4
  • 『シヴィル・ソサエティ論 新しい国づくりを目指して 慶應義塾大学法学部渋沢栄一記念財団寄附講座』山本正,小林良彰共編. 慶應義塾大学出版会, 2005.6
  • 『政治改革とシヴィル・ソサエティ 慶應義塾大学法学部渋沢栄一記念財団寄附講座』山本正,河野武司共編. 慶應義塾大学出版会, 2006.6
  • 『東アジアにおけるシヴィル・ソサエティの役割 慶應義塾大学法学部渋沢栄一記念財団寄附講座』山本正,小此木政夫,国分良成共編. 慶應義塾大学出版会, 2007.6
  • 『日本の世界貢献とシヴィル・ソサエティ 慶應義塾大学法学部渋沢栄一記念財団寄附講座』山本正,添谷芳秀共編. 慶應義塾大学出版会, 2008.7
  • 『地球的課題と個人の役割 シヴィル・ソサエティ論総括編 (慶應義塾大学法学部渋沢栄一記念財団寄附講座)』山本正,国分良成,細谷雄一,西野純也共編. 慶應義塾大学出版会, 2009.7

翻訳

  • タウフィック・アブドゥラ編『真実のインドネシア 建国の指導者たち』土屋健治共訳. サイマル出版会, 1979
  • チャールス・E.モリソン『東南アジア五つの国 その生存戦略』サイマル出版会, 1981.7

登場作品

脚注

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