コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ノート:人間宣言」の版間の差分

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
削除された内容 追加された内容
三島由紀夫: 新しい節
62行目: 62行目:
* {{コメント}} 率直に言って、よく分からないご提案だと感じました。確かに、詔書の発表当日、新聞の見出しでは神格についてふれていないし、昭和天皇ご本人も1977年8月23日の会見で、「神格の放棄(※人間宣言のことでしょう)はあくまで二の次」「民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す」と明言なされています。過去の議論でも、「人間宣言は勅書の一部分で、主目的も別にあるのに、記事の内容は詔書の全体を扱っているのは問題」と私は申し上げました。「日本人には当たり前のことだったから、人間宣言はニュースとしての価値がなかった」という学術書も記事に書いてありますね。(追記したのは私ですが。この学者さんの専攻は近現代の日本史だそうです。)
* {{コメント}} 率直に言って、よく分からないご提案だと感じました。確かに、詔書の発表当日、新聞の見出しでは神格についてふれていないし、昭和天皇ご本人も1977年8月23日の会見で、「神格の放棄(※人間宣言のことでしょう)はあくまで二の次」「民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す」と明言なされています。過去の議論でも、「人間宣言は勅書の一部分で、主目的も別にあるのに、記事の内容は詔書の全体を扱っているのは問題」と私は申し上げました。「日本人には当たり前のことだったから、人間宣言はニュースとしての価値がなかった」という学術書も記事に書いてありますね。(追記したのは私ですが。この学者さんの専攻は近現代の日本史だそうです。)
: ただ、それがどうして「主語のない文章とはなんぞや?」「『天皇(陛下)の人間宣言』とすべき」という話になるのか全く理解できません。「だから[[新日本建設に関する詔書]]に戻せ」というのなら話は分かるし、賛成するのにやぶさかではないのですが。--[[利用者:伏儀|伏儀]]([[利用者‐会話:伏儀|会話]]) 2014年10月15日 (水) 07:28 (UTC)
: ただ、それがどうして「主語のない文章とはなんぞや?」「『天皇(陛下)の人間宣言』とすべき」という話になるのか全く理解できません。「だから[[新日本建設に関する詔書]]に戻せ」というのなら話は分かるし、賛成するのにやぶさかではないのですが。--[[利用者:伏儀|伏儀]]([[利用者‐会話:伏儀|会話]]) 2014年10月15日 (水) 07:28 (UTC)

== 三島由紀夫 ==

三島由紀夫の反応について、明確に本人の言であるものはともかくとして、小説を出典とするのは適切でないと思い、後者は除去しました。 --[[特別:投稿記録/2001:268:C085:C109:BC58:687F:1779:6C12|2001:268:C085:C109:BC58:687F:1779:6C12]] 2021年11月10日 (水) 03:34 (UTC)

2021年11月10日 (水) 03:34時点における版

過去ログ

2008年10月10日 (金) 14:05 (UTC)で削除した文章について

以下の文章を削除しました。

詔書は当日発行された新聞各紙の一面記事による活字での「人間宣言」名称から、天皇による超人思想の否定であり、天皇の人間宣言であるとして、検閲可能な占領下での一斉報道で名称固定され、以後はそのまま通用することになった。

「超人思想」、「名称固定」なる意味不明な言葉が使用されていることもあって、意味が通らない文章になってしまっています。「人間宣言という用語は、新聞報道で使用されることによって一般化した」ということでしょうか? しかし、それだと、「1946年1月1日、この詔書について新聞各紙の第一面で報道された。しかし、…人間宣言にはほとんど触れていない。」という出典を付けた私の記述と矛盾してしまいます。これでは、削除した文章を復帰させても要出典の文章になってしまいます。この文章を復帰させる場合は、私見でなく研究者による研究を出典としていただけますでしょうか。よろしくお願いします。--伏儀 2008年10月10日 (金) 14:24 (UTC)[返信]

「田中上奏文への信仰と確信」という記述について

「当時の状況」節にある「田中上奏文への信仰と確信」とはどういう意味でしょうか。私は、田中上奏文の記事に「田中上奏文は怪文書・偽書である」とあったので、「田中上奏文が本物であることへの信仰と確信」と理解しましたが、この認識で正しいでしょうか。さらに、「信仰」という言葉もどういう意味なのか分かりません。「(本物であると)信じ込んでいる」ということでしょうか。意味が通るよう修正していただきたく思います。--伏儀 2008年10月10日 (金) 14:34 (UTC)[返信]

上の節とは別案件なので、タイトルを追加して節を分けました。--伏儀 2008年10月10日 (金) 15:08 (UTC)[返信]

上記の記述を「起草の経緯」節に移動しました。「田中上奏文への信仰と確信」について、ご意見をお待ちしています。--伏儀 2008年10月23日 (木) 19:07 (UTC)[返信]

加筆し、重複する記述を削除する編集に伴い、「田中上奏文への信仰と確信」という記述も削除しました。GHQが人間宣言の作成を決心したきっかけは田中上奏文に限らないと思うので、特に触れる必要はないのかなというのが、今の私の印象です。--伏儀 2008年11月14日 (金) 18:38 (UTC)[返信]

「人間宣言の影響」節における118.240.25.230殿の記述について

IP118.240.25.230殿により追記していただいた以下の文章を要出典としました。

「日本人にとっての神(=天皇)とは、一神教の西欧社会における全能の絶対神とは異なり、あくまでも民族の歴史と文化のアイデンティティーを担保する象徴的な存在に過ぎなかったからである。」

人間宣言がセンセーションを巻き起こさなかった理由は、「象徴的な存在に過ぎなかったから」という仮説を発表している研究者は誰なのか、IP殿から提示していただいておりません。そもそも、「日本人にとっての神(=天皇)とは、…象徴的な存在に過ぎなかった」という仮説も要出典ですね。現状の記述はIP殿の持論・新説の発表となってしまっています。出典を明記して下さい。--伏儀 2008年11月14日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

そもそも、人間宣言が「当たり前のことを示した」「センセーションを巻き起こさなかった」のであれば、どうして三島由紀夫はあれだけ人間宣言を呪詛するような言葉を書いたのでしょうか(→三島由紀夫#三島の天皇論)。--彩華1226 2009年5月28日 (木) 15:54 (UTC)[返信]

三島由紀夫にとって、人間宣言は当たり前でもセンセーションを巻き起こさないものでもなかったということでしょう。出典としたシロニー氏の著書にも、三島について「日本という国を神として具現する存在としての天皇を敬慕し、…」という説明があります(『母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来』370頁)。人間宣言で三島について説明するとしたら、「大原康男と伊藤陽夫の疑義」節に加筆して、節名を修正するのが良いかもしれません。--伏儀 2009年5月29日 (金) 10:51 (UTC)[返信]

いわゆる『人間宣言』勅書の目的について

新日本建設に関する詔書、いわゆる『人間宣言』について、これは昭和天皇本人の証言にあるとおり五箇条の御誓文の意義を再確認するものですが、必ずしもWikipediaの編集者全てに共有されている事実ではありません。利用者:伏儀さんのようなお考えで編集されることも無理ないと思います。一旦差し戻させていただきましたが、このノートでの議論およびその合意によって再び伏儀さんの主旨で書き換えるならば問題ないと考えます。

従って一旦差し戻した後、本記事『人間宣言』について、その主な目的が『天皇の神格の否定』なのか『五箇条の御誓文』の確認なのか投票をお願いしたいと思います。神格の否定ならば賛成、御誓文の確認ならば反対を投票してください。--kanryu 2012年2月11日 (土) 08:39 (UTC)[返信]

まず、安易な投票には強く反対します。で、この差分を見る限り、差し戻し前の版が「人間宣言の主目的が『五箇条の御誓文』の確認である」ことを否定する内容の編集であるとは思えません。というか内容として削られているのって、人間宣言が伊勢神道の肯定である、という部分だけではないでしょうか。--水原紡 2012年2月11日 (土) 08:58 (UTC)[返信]
ありがとうございます。私が以前本記事を編集する前、五箇条の御誓文に対する言及よりも天皇の神格の否定に対する言及が先に来る文章になっており全体の文章量はそのままで文の順序を変更しました。利用者:伏儀さんの変更によって私が以前編集するより前の状態に戻ってしまっていたため、差し戻しを行いました。水原紡さんのおっしゃるとおり、差し戻し前の全体の文章として「人間宣言の主目的が『五箇条の御誓文』の確認である」であることを否定する内容にはなっていませんが、神格の否定の言及が強調されることによって弱められてしまっています。
伊勢神道の肯定、否定については重視していません。個人的には不要でないかと考えます。--kanryu 2012年2月11日 (土) 09:09 (UTC)[返信]
コメント 私も投票には反対です。伊勢神道の肯定については、IP:114.185.96.146殿が、出典元の書籍に記載されていない説明を後から潜り込ませてしまったようです([1])。これでは虚偽の引用になってしまいます。ただ、Wikipedia:信頼できる情報源が提示されれば、記載する必要があると思いますが。
さて、kanryu殿の説明で不可解なのは、なぜ私が投稿した記述で『五箇条の御誓文』が主目的であることが傍論に押しやられてしまう(というご指摘であってますよね?)のか。そこがわかりません。そもそも、kanryu殿の修正で、『五箇条の御誓文』が主目的であることが明確になったようには読み取れませんでした。念のため出典を再度確認してみましたが、シロニー教授の論旨を逸脱しているようには思えません。むしろ合意が必要なのは、私が投稿した記述に手を加えてしまうkanryu殿の編集ではないでしょうか。もちろん、私の投稿が出典元の論旨を正確に参照できていないのならば、直ちに修正に応じる所存です。--伏儀 2012年2月11日 (土) 12:01 (UTC)[返信]
コメント あと、私が行った文章や章立ての整理、節で実施されてしまっている脚注マークアップ修正、IP:114.185.96.146殿が概要や起草の経緯に追加した出典なし演説の対応が、kanryu殿のリバートで一緒に戻ってしまいました。編集合戦は避けたいので、kanryu殿の裁可をお願いします。--伏儀 2012年2月11日 (土) 12:11 (UTC)[返信]
本記事の記事名は『人間宣言』ですが、この用語自体がある種の(反天皇論的な)イデオロギー的な偏りの持つものであり、少なくとも勅書全文を俯瞰して考えると人間宣言の記述自体よりも御誓文の方が大事なのだということを強調する必要があります。そのために御誓文への言及を最初に持ってきていますが、この編集で意図が伝わらないようなら私の力不足です。なお、この編集の出典は伏儀さんが出典とされるシロニー教授の論旨ではなく、記事中にある昭和天皇の発言、および近年の小林よしのり氏を始めとする本の趣旨によります。
また要出典の付加など、勅書の概要部より後の編集について、それらは問題ないと思いますが私の差し戻しで戻ってしまっています。申し訳ないです。--kanryu 2012年2月11日 (土) 12:30 (UTC)[返信]
コメント 記事名は中立的かではなく、一般に通用するかで判断することになっています。しかし、詔書の一部を示す記事名で、しかも主目的が記事名とは別なのに、内容自体は詔書全体を論じている現状は、私も問題だと思います。
さて、シロニー教授の論旨は、「天皇の神格否定が主題といわれているが、実はそうではない。御誓文こそが詔書の主目的なのだ。人間宣言とされる部分はわずか数行で、しかも事実確認しかしていない。」…という話の流れで、それで御誓文が文章の途中になっています。ただ、kanryu殿のご指摘を受けて、詔書の概要にしては「人間宣言では事実確認しかしていませんよ~」という説明の分量が多いという気がしてきました。そもそも、kanryu殿の編集は出典の論旨を改変する意図では決してないので、問題ないといえばそれまでかもしれません。この記述で合意がとれるのであれば、私としては反対しないことにします。(とりあえず、その他の修正は戻しておきますね。)--伏儀 2012年2月11日 (土) 13:07 (UTC)[返信]

このページの見出しを人間宣言から変更すべきでは?

一般的に通用する新日本建設に関する詔書、そしてマスメディアが一方的にねつ造したととられてもおかしくない通称を悪意をもって普及させたことを記述すべき。 正式名称ではなく通称を使用するなど言語道断、昨今の狂信的勢力が言っているようなことを引用すれば、トンスランドというページでトンスランドとは大韓民国の通称であるなどと記述されているようなものである。 さらに言えば主語のない文章とはなんぞや?通称といっても『人間宣言』だけでは通じまい、『天皇(陛下)の人間宣言』とすべきである。--掩憂い該千華会話2014年10月10日 (金) 14:41 (UTC)[返信]

コメント この詔書のウィキペディア日本語版での記事名については、平成19年に一度議論が行われています。過去ログ化されて参照しづらくなっているので、当方を含む当時の各位の投稿内容について、ここにリンクを示しておきます。

参考までに、ウィキソース日本語版のほうでは、『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』という「件名」を記事名とすることで落ち着いています。--無言雀師会話2014年10月10日 (金) 17:48 (UTC)[返信]
  • コメント 率直に言って、よく分からないご提案だと感じました。確かに、詔書の発表当日、新聞の見出しでは神格についてふれていないし、昭和天皇ご本人も1977年8月23日の会見で、「神格の放棄(※人間宣言のことでしょう)はあくまで二の次」「民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す」と明言なされています。過去の議論でも、「人間宣言は勅書の一部分で、主目的も別にあるのに、記事の内容は詔書の全体を扱っているのは問題」と私は申し上げました。「日本人には当たり前のことだったから、人間宣言はニュースとしての価値がなかった」という学術書も記事に書いてありますね。(追記したのは私ですが。この学者さんの専攻は近現代の日本史だそうです。)
ただ、それがどうして「主語のない文章とはなんぞや?」「『天皇(陛下)の人間宣言』とすべき」という話になるのか全く理解できません。「だから新日本建設に関する詔書に戻せ」というのなら話は分かるし、賛成するのにやぶさかではないのですが。--伏儀会話2014年10月15日 (水) 07:28 (UTC)[返信]

三島由紀夫

三島由紀夫の反応について、明確に本人の言であるものはともかくとして、小説を出典とするのは適切でないと思い、後者は除去しました。 --2001:268:C085:C109:BC58:687F:1779:6C12 2021年11月10日 (水) 03:34 (UTC)[返信]

');