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'''立川 らく次'''(たてかわ らくじ、[[1976年]][[12月30日]] - )は、日本の[[落語家]]。[[落語立川流]]所属の[[真打]]<ref name="dan">『談志が死んだ、立川流はだれが継ぐ』417頁</ref><ref name="prof">{{Cite web |url=http://rakuji2000.jugem.jp/?pid=1 |title=公式サイトプロフィール |accessdate=2015-12-15}}</ref>。本名:'''間瀬 真一郎'''。
'''立川 らく次'''(たてかわ らくじ、[[1976年]][[12月30日]] - )は、日本の[[落語家]]。[[落語立川流]]所属の[[真打]]<ref name="dan">『談志が死んだ、立川流はだれが継ぐ』417頁</ref><ref name="prof">{{Cite web |url=http://rakuji2000.jugem.jp/?pid=1 |title=公式サイトプロフィール |accessdate=2015-12-15}}</ref>。本名:'''間瀬 真一郎'''。


== 来歴・人物 ==
== 来歴 ==
[[神奈川県]][[横浜市]][[南区 (横浜市)|港南区]]出身<ref name="prof" />。横浜市立港南台第一中学校、[[藤嶺学園藤沢中学校・高等学校|藤嶺学園藤沢高校]]を卒業後、[[玉川大学]][[文学部]]芸術学科へ進学<ref name="prof" />。{{要出典範囲|大学時代には[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]]に所属していた。|date=2021-8}}
[[神奈川県]][[横浜市]][[南区 (横浜市)|港南区]]出身<ref name="prof" />。横浜市立港南台第一中学校、[[藤嶺学園藤沢中学校・高等学校|藤嶺学園藤沢高校]]を卒業後、[[玉川大学]][[文学部]]芸術学科へ進学<ref name="prof" />。{{要出典範囲|大学時代には[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]]に所属していた。|date=2021-8}}


[[2000年]]3月、[[立川志らく]]に正式に入門する<ref name="dan" />。前座名、らく次。[[立川志らべ]]とは同日入門である{{要出典|date=2021-8}}。[[2007年]]7月、二ツ目に昇進<ref name="prof" />。{{要出典範囲|大学時代、芸術学科で油絵を専攻していたため、特技はイラストである|date=2021-8}}。美術の教員免許を持っている
[[2000年]]3月、[[立川志らく]]に正式に入門する<ref name="dan" />。前座名、らく次。[[立川志らべ]]とは同日入門である{{要出典|date=2021-8}}。

[[2007年]]7月、[[立川キウイ]]、[[立川談大]]、[[立川小談志|泉水亭錦魚]]、[[立川平林]]、[[立川吉幸]]、[[立川左平次|立川談奈]]、[[立川志ら玉|立川らく里]]、[[立川志らべ]]と共に二ツ目に昇進<ref name="prof" />。


[[2016年]]12月、[[真打]]昇進が決まり<ref>{{Cite web |date=2017-03-19 |url=http://www.sankei.com/premium/news/170319/prm1703190009-n1.html |title=決戦は6月 お客さんの投票で真打ち昇進 |publisher= 産経ニュース|accessdate=2017-03-23}}</ref>、[[2017年]]12月、真打に昇進した<ref>{{Cite web |url=http://www.shiraku.net/pg208.html |title=志らく一門(立川志らくホームページ) |accessdate=2017-12-27}}</ref>。
[[2016年]]12月、[[真打]]昇進が決まり<ref>{{Cite web |date=2017-03-19 |url=http://www.sankei.com/premium/news/170319/prm1703190009-n1.html |title=決戦は6月 お客さんの投票で真打ち昇進 |publisher= 産経ニュース|accessdate=2017-03-23}}</ref>、[[2017年]]12月、真打に昇進した<ref>{{Cite web |url=http://www.shiraku.net/pg208.html |title=志らく一門(立川志らくホームページ) |accessdate=2017-12-27}}</ref>。


== 人物 ==
[[宝塚歌劇]]のファンであり、宝塚歌劇を語る落語会も行う。
[[宝塚歌劇]]のファンであり、宝塚歌劇を語る落語会も行う。


関西の宝塚ファンの落語家が集まるなりきり宝塚劇団「花詩歌タカラヅカ」に、関東の落語家として唯一「美南 みなと」の芸名で参加。
関西の宝塚ファンの落語家が集まるなりきり宝塚劇団「花詩歌タカラヅカ」に、関東の落語家として唯一「美南 みなと」の芸名で参加。

{{要出典範囲|大学時代、芸術学科で油絵を専攻していたため、特技はイラストで|date=2021-8}}、美術の教員免許を持っている。


== メディア ==
== メディア ==

2021年10月21日 (木) 14:51時点における版

立川たてかわ らく
立川(たてかわ) らく次(じ)
丸に左三蓋松は、立川流定紋である
本名 間瀬ませ 真一郎しんいちろう
別名 美南 みなと
生年月日 (1976-12-30) 1976年12月30日(47歳)
出身地 日本の旗 日本神奈川県横浜市
師匠 立川志らく
名跡 1. 立川らく次
(2000年 - )
活動期間 2000年 -
活動内容 落語家
所属 落語立川流
公式サイト 立川らく次公式サイト

立川 らく次(たてかわ らくじ、1976年12月30日 - )は、日本の落語家落語立川流所属の真打[1][2]。本名:間瀬 真一郎

来歴

神奈川県横浜市港南区出身[2]。横浜市立港南台第一中学校、藤嶺学園藤沢高校を卒業後、玉川大学文学部芸術学科へ進学[2]大学時代には落語研究会に所属していた。[要出典]

2000年3月、立川志らくに正式に入門する[1]。前座名、らく次。立川志らべとは同日入門である[要出典]

2007年7月、立川キウイ立川談大泉水亭錦魚立川平林立川吉幸立川談奈立川らく里立川志らべと共に二ツ目に昇進[2]

2016年12月、真打昇進が決まり[3]2017年12月、真打に昇進した[4]

人物

宝塚歌劇のファンであり、宝塚歌劇を語る落語会も行う。

関西の宝塚ファンの落語家が集まるなりきり宝塚劇団「花詩歌タカラヅカ」に、関東の落語家として唯一「美南 みなと」の芸名で参加。

大学時代、芸術学科で油絵を専攻していたため、特技はイラストで[要出典]、美術の教員免許を持っている。

メディア

テレビ出演

出典

  1. ^ a b 『談志が死んだ、立川流はだれが継ぐ』417頁
  2. ^ a b c d 公式サイトプロフィール”. 2015年12月15日閲覧。
  3. ^ 決戦は6月 お客さんの投票で真打ち昇進”. 産経ニュース (2017年3月19日). 2017年3月23日閲覧。
  4. ^ 志らく一門(立川志らくホームページ)”. 2017年12月27日閲覧。

参考文献

  • 立川談志・落語立川流一門『談志が死んだ、立川流はだれが継ぐ』講談社、2003年、417P

外部リンク

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