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「真田幸村の謀略」の版間の差分

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[[Category:佐藤勝の作曲映画]]
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[[Category:服部半蔵を題材とする作品]]
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2021年9月22日 (水) 03:43時点における版

真田幸村の謀略
監督 中島貞夫
脚本 笠原和夫
松本功
田中陽造
中島貞夫
ナレーター 小松方正
出演者 松方弘樹
あおい輝彦
片岡千恵蔵
萬屋錦之介
音楽 佐藤勝
撮影 赤塚滋
編集 市田勇
製作会社 東映
配給 東映
公開 日本の旗 1979年9月1日
上映時間 148分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 7億円[1]
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真田幸村の謀略』(さなだゆきむらのぼうりゃく)は、1979年9月1日に公開された東映製作・配給の日本映画

東映発売のパンフレットに所載の「解説」によれば、『柳生一族の陰謀』『赤穂城断絶』に続く東映大型時代劇の第3弾として、製作準備3年余(企画2年、脚本1年余)というビッグ・スケールを誇る待望の”戦国合戦絵巻”とのこと。

『赤穂城断絶』が『柳生一族の陰謀』の半分以下の興行成績に終わったことから[2]岡田茂東映社長は大型時代劇の存亡を懸けた第3弾に、前二作の萬屋錦之介ではなく、松方弘樹に主演を委ねた[2]

ストーリーは、関ヶ原の戦いで敗退した真田幸村松方弘樹)が、天下統一の野望を成就しようとする徳川家康萬屋錦之介)の首を狙って、真田十勇士と共に、さまざまな謀略と行動に打って出るというもの。映画は、慶長19年10月の大坂冬の陣、元和元年4月の大坂夏の陣をクライマックスにして、豊臣勢の潰滅を企る巨大な権力者・家康に挑む真田幸村と十勇士の戦いを謀略、合戦、忍術戦の連続で描いて行く。

篇中、見ものは、幸村の7大謀略と、家康の数多い策略との智と血の攻防戦に加えて、特撮による目を見張るような忍びの術。しかも架空の集団とされている十勇士が幸村の十人の影武者だったというユニークな着想から進展するストーリーが面白い。

また、パンフレット巻末の「製作規模」によれば、劇中に建てられた出城真田丸は、延べ200人のスタッフが9日がかりで、長さ70メートル、高さ8メートル、これだけで3000万円を要している。総製作費8億円。製作日数約2年。エキストラのべ4,000人、馬500頭、鎧700着という。

幸村7大謀略

家康の暗躍

  • 家康が名古屋城を造営。天下統一の準備をすすめる。
  • 家康の影武者を使い、真田側の刺客をかわす。
  • 九度山にこもる真田昌幸片岡千恵蔵)を、猫の爪に仕込んだ毒で謀殺。
  • 豊臣秀頼に二条城での会見を強要。秀頼毒殺に失敗すると、虎による事故死を偽装して、加藤清正丹波哲郎)を葬り去る。
  • 豊臣秀吉供養のためにつくった梵鐘の鐘銘をめぐって秀頼に抗議。大坂城の明け渡しを要求。
  • フランキ砲の試射視察の名目で、幸村をおびき寄せ、逆襲。
  • 秀頼側の反逆を口実に、徳川連合軍40万を大坂城へ進める。大坂冬の陣。
  • 冬の陣ののち、秀頼を大和国法隆寺移封することを企てる。
(両者ともパンフレットの宣伝コピーより・一部略)

「影」の系譜

幸村と家康の長年にわたる抗争を描くことは、これまでの「真田十勇士の作品」でも行われてきた。

特筆すべきは、中村錦之助(当時)がはなれ猿の佐助に扮して主演した『真田風雲録』が、隕石の地球落下の場面から始まっていることで、それから16年後に製作される本作でも、よほど奇抜な趣向を取り入れる必要があった。

当時の『キネマ旬報』9月上旬号によれば、当初、脚本チームの中心となっていた松本功田中陽造は、昌幸信幸と幸村のいわゆる「犬伏の別れ」に焦点を当てて最終的には中島貞夫監督に任せ、それに田中が十勇士、松本にアクションを委ねる予定だったが、まとまりに欠けるものになった。

代わって脚本チームのメインに座った笠原和夫には、ひとつの目算があり、笠原は前記パンフレットでその構想を明かしている。すなわち、十勇士のうち、海野六郎望月六郎筧十蔵由利鎌之助関ヶ原浪人として、それに山窩である根津甚八朝鮮王族の従者である三好伊三入道(尹三英)を加えたのである。さらに三好清海入道を朝鮮王族の姫ジュリアおたあの後身であるとした。(史実では清海入道とおたあは別人)

これに、真田家の家臣である霧隠才蔵小者のせがれである穴山小助と、正体不詳じつはエイリアン猿飛佐助を加えて、「影」の民衆の代表である新・十勇士の誕生となったのである。

のち、自叙伝に近い『昭和の劇』において、荒井晴彦絓秀実を相手に笠原は語っている。草の者のルーツをたどっていくと、山窩や忍者集団や河原者ら非農業民に行きつく。戦国大名はほとんどそうだともいう。その血筋である織田信長や豊臣秀吉らは火付け、盗賊の類から成りあがった連中であると喝破している。まともな大名といえば、今川義元が死んだあとは、新田義貞の系統の徳川家康くらいだともいう。

ただ、こうして話を作っていくと、真田幸村をある種高貴でおかしなやつ、いわゆる悪党として描かざるを得ないが、その幸村が草の者から一番遠いという自己撞着が生じ、そのことが笠原自身を悩ませていたともいう。

出演

主演
十勇士
真田家関連
徳川家関連
その他
  • 名古屋城城士:平河正雄、奔田陵、高谷舜二
  • 名古屋城家士:大月正太郎
  • 牢人:志賀勝
  • 牢人の妻:丸平峰子
  • 捕方:小峰隆司
  • 指揮の侍:池田謙治
  • 役人:司裕介、畑中伶一
  • 行列の侍:山田良樹、藤沢徹夫、峰蘭太郎、有島淳平
  • 片桐家家士:藤長照夫
  • 和歌山藩兵:細川純一
  • 前田藩の武将:平沢彰
  • 前田藩の武者:唐沢民賢、波多野博
  • 前田藩の軍兵:森源太郎
  • 牢人団:阿波地大輔、宮城幸生、有川正治、大城泰、秋山勝俊
  • 家康本営の将:高並功、泉好太郎
  • 家康の使者:五十嵐義弘
豊臣家関連
西軍関連

スタッフ

テレビ放送

1982年4月29日フジテレビ系列の20:00 - 21:48(JST)で放送された[3]

脚注

  1. ^ 「1979年邦画四社<封切配収ベスト作品>」『キネマ旬報1980年昭和55年)2月下旬号、キネマ旬報社、1980年、124頁。 
  2. ^ a b 松方弘樹・伊藤彰彦『無冠の男 松方弘樹伝』講談社、2017年、178-184頁。ISBN 978-4-06-220544-3 
  3. ^ 朝日新聞 縮刷版』朝日新聞社、1982年4月29日付のラジオ・テレビ欄。 

外部リンク

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