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「石井克則」の版間の差分

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 社会部記者時代、ソロモン諸島(ガダルカナル)に完成した平和祈念公園除幕式の取材に出張した。式典後、高い丘にある祈念公園から下るバスが暴走、横転する事故でこのバスに乗っていた石井も肩に重傷を負った。その後、中国残留孤児の取材で旧満州(中国東北部)の主要地を数回訪問(特に大連は4回行き、その変貌にを見ている)、ノモンハン事件の現地取材もしている。 
 社会部記者時代、ソロモン諸島(ガダルカナル)に完成した平和祈念公園除幕式の取材に出張した。式典後、高い丘にある祈念公園から下るバスが暴走、横転する事故でこのバスに乗っていた石井も肩に重傷を負った。その後、中国残留孤児の取材で旧満州(中国東北部)の主要地を数回訪問(特に大連は4回行き、その変貌にを見ている)、ノモンハン事件の現地取材もしている。 


 社会部次長・編集委員時代には、リクルート事件のデスクを担当。社会部を離れてからは整理部長、浦和支局長、ニュースセンター副センター長、札幌支社長、メディア局長などを務めた[1]。2005年に定年退社後、フリーのジャーナリストとして社会福祉問題や動物(犬)関係の記事[2]を中心に書いている。2006年から始めたブログ「小径を行く」)[3](その後に「新・小径を行く」[4]に移行)でも、多くの分野にアンテナを張り、息長く書き続けるのが目標だという。
 社会部次長・編集委員時代には、リクルート事件のデスクを担当。社会部を離れてからは整理部長、浦和支局長、ニュースセンター副センター長、札幌支社長、メディア局長などを務めた[[共同通信社|[1]]]
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。2005年に定年退社後、フリーのジャーナリストとして社会福祉問題や動物(犬)関係の記事[2]を中心に書いている。2006年から始めたブログ「小径を行く」)[3](その後に「新・小径を行く」[4]に移行)でも、多くの分野にアンテナを張り、息長く書き続けるのが目標だという。


 社会部記者時代に取材した縁で、中国残留婦人で医師の久保田緑の波乱に飛んだ人生をまとめた『『コスモスの詩 松花江にときは流れて』を初めて著書にした。さらに、羽根つき餃子で知られる東京・蒲田の中国料理店「你好(ニイハオ)」の創業者、八木功さん(元中国残留邦人)とは今も交流を続け、八木さんの半生を『「你好」羽根つき餃子とともに: 二つの祖国に生きて』として出版した。
 社会部記者時代に取材した縁で、中国残留婦人で医師の久保田緑の波乱に飛んだ人生をまとめた『『コスモスの詩 松花江にときは流れて』を初めて著書にした。さらに、羽根つき餃子で知られる東京・蒲田の中国料理店「你好(ニイハオ)」の創業者、八木功さん(元中国残留邦人)とは今も交流を続け、八木さんの半生を『「你好」羽根つき餃子とともに: 二つの祖国に生きて』として出版した。

2021年9月19日 (日) 12:53時点における版

石井克則(いしい よしのり、1945年2月16日 ~)は日本のジャーナリスト。

経歴

 福島県矢祭町生まれ。1967年共同通信社に入社。秋田支局、仙台支社を経て主に社会部に籍を置き、警視庁(青酸コーラ殺人事件、青酸チョコ事件、グリコ・森永事件を取材)、厚生省(現在の厚生労働省)を担当。遊軍記者としても事件や社会福祉問題を中心に取材した。3億円事件、ロッキード事件など昭和史に残る事件、中国残留日本人孤児問題、がんの免疫療法剤・丸山ワクチン認可問題、医薬品製造認可をめぐるデータねつ造事件などの取材にかかわる。

 社会部記者時代、ソロモン諸島(ガダルカナル)に完成した平和祈念公園除幕式の取材に出張した。式典後、高い丘にある祈念公園から下るバスが暴走、横転する事故でこのバスに乗っていた石井も肩に重傷を負った。その後、中国残留孤児の取材で旧満州(中国東北部)の主要地を数回訪問(特に大連は4回行き、その変貌にを見ている)、ノモンハン事件の現地取材もしている。 

 社会部次長・編集委員時代には、リクルート事件のデスクを担当。社会部を離れてからは整理部長、浦和支局長、ニュースセンター副センター長、札幌支社長、メディア局長などを務めた[1]

。2005年に定年退社後、フリーのジャーナリストとして社会福祉問題や動物(犬)関係の記事[2]を中心に書いている。2006年から始めたブログ「小径を行く」)[3](その後に「新・小径を行く」[4]に移行)でも、多くの分野にアンテナを張り、息長く書き続けるのが目標だという。

 社会部記者時代に取材した縁で、中国残留婦人で医師の久保田緑の波乱に飛んだ人生をまとめた『『コスモスの詩 松花江にときは流れて』を初めて著書にした。さらに、羽根つき餃子で知られる東京・蒲田の中国料理店「你好(ニイハオ)」の創業者、八木功さん(元中国残留邦人)とは今も交流を続け、八木さんの半生を『「你好」羽根つき餃子とともに: 二つの祖国に生きて』として出版した。

 2006年9月から始めたブログ「小径を行く」はその後「新・小径を行く」として継続、2021年9月には2050回を超えた。多くの分野にアンテナを張り、息長く書き続けるのが目標と、石井は語っている。

 新宿署を拠点にしたサツ回り時代の仲間には、朝日の高橋郁男、毎日の高橋豊、読売の奥野富士郎、産経の山本潤、東京の米山郁夫、時事通信の長沼節郎、NHKの佐藤悠、さらに松舘忠樹という記者がいた。この時代について石井は「個性豊かで愛すべき人たちと付き合った、私の青春時代だった」と回想している。


 著書

『コスモスの詩 松花江にときは流れて』みずち書房、1984

『わたしはハナ~あるゴールデンレトリーバーの物語』Kindle版 (電子書籍) 、2013

『現代の風景 3・11前後の日本社会 (上)』Kindle版 (電子書籍)、2013

『ふるさとの空へ~3・11前後の日本社会(下)』Kindle版 (電子書籍)、2013

『輝く瞳に会いに行こう~ラオス、トルコそして~』Kindle版 (電子書籍)、2013

『輝く瞳とともに アジアの途上国に学校をつくった人たちの物語』かんき出版、2014

『「你好」羽根つき餃子とともに: 二つの祖国に生きて』三一書房、2017 出典

 出典

^ 『「你好」羽根つき餃子とともに: 二つの祖国に生きて』

^ 季刊誌「RETRIEVER」97号(2019・10)

^ ブログ『小径を行く』https://hanako61.at.webry.info/

^ ブログ『新・小径を行く』//https://hanakokisya0701.hatenablog.com/archive

外部リンク

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