「亀田史郎」の版間の差分
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また、もし仮に、本当に仲裁に入っていたのであれば、証拠として関係者からその現場の画像や動画が出されるはずであるが、中継元もジム側も、この発言の証拠となる物は一切出していない。 |
また、もし仮に、本当に仲裁に入っていたのであれば、証拠として関係者からその現場の画像や動画が出されるはずであるが、中継元もジム側も、この発言の証拠となる物は一切出していない。 |
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この騒動に対しては、日本ボクシングコミッション(JBC)は13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎氏を12日付の文書で厳重注意処分としたと発表 |
この騒動に対しては、日本ボクシングコミッション(JBC)は13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎氏を12日付の文書で厳重注意処分としたと発表、ボクシング界を揺るがす大事件であったのに、異例の軽い処分となった。 |
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== 逸話 == |
== 逸話 == |
2006年10月17日 (火) 16:27時点における版
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亀田史郎(かめだ しろう、1965年5月22日 - )は、協栄ジム所属のボクシングトレーナー。亀田三兄弟の父親にして、三人のボクシングの指導者。三兄弟のボクシングデビューが話題となり、人気が出るにつれて、トレーナーでもある父親の史郎も注目を浴びるようになった。その独特の教育法、指導スタイルや言動をめぐっては、評価が分かれ、物議を醸している。
略歴
プロボクサーを目指し、進光ジム(現新日本大阪ジム)に通い、中学卒業後に正式に入門する。だが、同時に中学卒業後に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。20歳の時、1歳年上の女性と結婚する(のちに子どもたちの教育方針をめぐり離婚)。その後生まれた息子達に自分の夢を託すという形で、息子達に幼いころからボクシング、空手などの格闘技の道を歩ませた。その話題性のためプロデビュー以前から、一部のマスコミ(特にTBS)が父親と三兄弟に密着していた。
元大関琴風(尾車親方)のファンであり、長男の興毅の名は彼の本名にちなんでいる。
指導方法とボクシングスタイル
「三兄弟全員を世界チャンピオンにさせる」と公言してはばからず、以下のような独特のボクシング指導を行っていると伝えられる。
- 「世界のジャブ」 - 一対一で行う。史郎がモリやホウキの先端にグローブをつけたもので高速のジャブを繰り出し、息子たちがそれを避けるというもの
- 「砂袋アッパー」 - 両腕に砂袋を装着、その状態でアッパーの練習をするというもの
- 「畳ミット」 - サンドバッグよりも拳を鍛えられる畳を殴った方がパンチが強くなるとの理論
- 「丸太スクワット」
- 「しごき棒」
- 「ピンポン玉よけ」 - 数メートル離れた場所から史郎がピンポン玉を投げ、それを興毅らが避ける。動体視力の特訓になるらしい。実際の試合で亀田は相手の攻撃を避ける動作もしないためこの練習に意味があるかは疑問が残る
これらは、「マンガなどを参考にした思いつきの指導方法ではないか」「基本を理解していない」「相手を倒すための練習じゃなく、サンドバッグを殴るための練習だ」「スポーツ科学の知識はあるのか」「精神論だけだ」などの批判を受けている。
だが、批判もある一方で、「今までのボクシング界には無い斬新な練習方法だ」と史郎の練習方針に賛同する意見もあり、長男興毅を、経過はどうであれ世界チャンピオンにまで育て上げた実績を買うものもいる。 その指導法を支持する日本ウェルター級のランカー渡部信宣は、リングネームを「牛若丸あきべぇ」に変えて、弟子入りした。
ボクシングスタイルとしては、ガードを固め、常に前進し続ける亀田流ボクシングを生み出した。頭部のみ防御し、ボディの防御は一切捨てると言う普通では採用しにくいスタイルであり、ボディに自信を持つ三兄弟独特のスタイルとも言える。
この亀田流ファイトスタイルに関しては「ジャブを打たなすぎる」「後ろに下がらなすぎる」等として、スタイルそのものを疑問視する声が多い。一方で、ジャブを撃たない分、相手が見せた隙を逃さず両腕どちらからでも強打で合わせられる点から、ボディや目に自信を持つ選手ならばこのスタイルを採用してもおかしくは無い。ほぼ全てのスタイルが出尽くしたと思われていた近代ボクシングの中に突如生まれたまったく新しいスタイルであると言える(しかし、他と違い全てのボクサーが扱えるスタイルでは無い為、一つのスタイルと評価するに十分かは見解が分かれる)。常に前進し引かない為、相手のジャブをまともに被弾している印象を受けるが、頭部のディフェンスはしっかりとしている為、印象と違いクリーンヒットは少ない。
亀田興毅世界王者決定後の論争
長男興毅が2006年8月にWBAライトフライ級世界タイトル戦に判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたため、その位置づけをめぐり論争となったが、父でありトレーナーでもある史郎自身もテレビ出演するなどして当事者として論争に参加した。
また、興毅が世界戦の前に「ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは、亀田史郎に対する特製チャンピオンベルトを事前に用意。「勝利」確定後、史郎に授与した。やくみつるが「安いドラマや」と怒りをぶちまけたように、公正であるべきはずの主催者にあるまじきこの行為にはボクシングファンに限らず、広く疑問の声が上がった。
2006年8月7日のテレビ朝日の『スーパーモーニング』に生出演した際、やくが史郎に仕付け糸を渡し「これで亀(ここでは息子の興毅とされている)を縛っとき」との発言を行った。仕付け糸の「仕付け」と「躾け」をかけたと思われるが、それを聞いた史郎は激昂し「あとで表出て話し合おうか、このままで済むと思うなよ」と怒声を浴びせた。なお、この出演時には「今回はジャッジに情を貰った」と述べた後「情を貰ったら引退する」との矛盾した発言もあった。
放送当時のもう一人のコメンテーターであるガッツ石松は、試合前日の計量時にファン・ランダエタが亀田興毅におむつとおしゃぶりを渡した際に大声でランダエタを威嚇したことに苦言を呈した。一般に、ボクシングのタイトルマッチの調印式(フェイス・オフ)は、話題作りのためのショーアップ(挑発合戦や選手間の乱闘寸前の行為など)の度がすぎるという批判も多い。しかし営業面の観点からボクシングメディアや興行側はこれを望んでいるフシがあり、一方では、もてはやし、他方では眉をひそめるというマッチポンプ状態がいつまでも続いている。これはWBAやWBCといった統括団体が調印式における選手の態度に関する行動指針を示さないからであるとも言われている。現状においては罰則規定がない以上、史郎や興毅の行為は許容範囲内、という意見もある。マイク・タイソンは調印式において相手に殴りかかったこともあるが、何の懲罰も受けていない。
また、過去にWBCフライ級王者ポンサックレック・グラティンデーンジムから対戦を申し込まれたときに威嚇するだけして結局、対戦をはたさなかった。他に日本王者の内藤大助に対し、6回戦レベルとコメントし、その後、内藤から対戦要求を受けたがこれを回避している。亀田興毅が温室育ちと称されるのは、対戦相手の選択において、こうした「強い奴とは闘わないこと」というポリシーを実践しているからだ、といった手厳しい意見もある(他の階級王者に対しても威嚇的な言説を行うことがあるが、実際に対戦を申し込まれても相手にしないといった選択を行っている)。これを擁護する意見としては、それほど実績を残していないボクサーおよびその取り巻きの発言にいちいち目くじらを立てるのはおかしいという意見、プロモーターのマッチメイクの都合で仕方ないのではないかなどの意見もある。
また、9月27日に行われた亀田大毅のプロ第6戦で、判定について、一部の観客から批判の言葉があったことに対して、周囲の亀田ファンがそれに猛反発、恫喝を交えて反論した。たちまちその周囲で小競り合いになったが、そこでなんと、亀田側の公式なトレーナーである史郎本人が激怒して暴走し、叫びながらリングを飛び降りて批判をしたファンを直接殴りつけようとした。[1]周囲の関係者が必死に押さえつけたため、暴行は未遂で終わった。通常であれば、周囲を止めに入らなければいけない(事実、彼以外の関係者は、騒ぎを止めようとし、暴れる史郎を抑えもしていた)公式な関係者でありながら、中継も入っている公式戦の場で、批判に逆上し、怒声を上げた上で顧客に殴りかかろうとしたということは、日本のボクシング史上、皆無と言っていいほどの行動であり、ボクシングファンのみならず、一般からも大きく顰蹙を買った。 仮に、実際に暴行が未遂では終わらなかった場合、史郎本人に対して、脅迫、暴行、傷害などの刑事罰が下るだけでなく、言うまでもなく史郎のボクシング業界からの永久追放や、息子らまでもがボクシング業界から追放処分を受けていたであろうから、「行動があまりに幼稚」「本当に子供のことを考えているのか」「それでも大人か」「人間性のかけらもない」「ボクシング業界からさっさと身をひくべき」「ライセンスを剥奪させろ」といった批判も寄せられている。史郎は、以前やくみつるとの討論で視聴者から多大なる顰蹙を買ったということも有るだけに、これからの動向、及び処分に注目が集まる。
また、あまりに騒ぎが大きくなったため、警察が関係者に事情聴取を行うという異例の事態にまで発展した。ここでは、史郎は「観客同士で喧嘩が起きたので仲裁に入っただけ」と主張しているが、現場にいたものたちからは、「観客に罵声を浴びせていた」「止めに入る動きではなかった」という複数の発言があり、また、すさまじい表情で飛び降りていく画像が複数のこっており、新聞などにも掲載されているため、その発言を疑問視する声も多い。 また、もし仮に、本当に仲裁に入っていたのであれば、証拠として関係者からその現場の画像や動画が出されるはずであるが、中継元もジム側も、この発言の証拠となる物は一切出していない。
この騒動に対しては、日本ボクシングコミッション(JBC)は13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎氏を12日付の文書で厳重注意処分としたと発表、ボクシング界を揺るがす大事件であったのに、異例の軽い処分となった。
逸話
- 中学時代は喧嘩番長で、「西成区にある中学の三年生番長全員をぶちのめした」と吹聴している。(もちろん社会的に許される行為ではない)地元西成区では、彼自身も2人の兄と共に「亀田三兄弟」としてある意味「有名」だったという。
- 妻(三兄弟の母親)とは2003年に離婚した。その際、幼い長女を含む4人の子供は全員史郎が引き取った。
- 自身の離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、「ボクシングをやめたい」という息子に、「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べてゆけない」と発言。当時働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にした(自伝より)。
- 最初はボクシングは、いじめられっ子だった興毅に史郎が強制。あまりの過酷な練習に「ボクシングはやめたい」と言うと、暴行を加えた上で「どっか行ってひとりで住め。自分で働いて飯食え」と家の外に放り出し、食事も与えないという児童虐待を行っていた事実を明かしている。
- 教育については独自の考えがあるようだが、中学生である三男の和毅を学校に登校させていない。これは、日本国憲法で規定された教育を受けさせる義務(義務教育)を完全に怠っている。現に、プロである興毅、大毅の合宿に平日で普通なら学校に行っているはずの和毅までも堂々と合宿に参加している。言うまでもなく、これは、親である史郎の責任である(就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではない)。ただし和毅本人が自由意志で不登校を選択するのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。逆に、本人が学校に行きたいのに、家事を強制するなどして保護者が通学をしないようにした場合は、就学義務違反となる。
- 既述の独特の練習を行うために、時折海や山で合宿を行うことがある。夏季や冬季といった、中学校の長期休暇期間ではない場合もある。これには報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても、史郎は無頓着に三兄弟を並ばせることが多い。練習内容を報道しても、和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れないという不自然な事態が続いている。和毅の不登校を取り上げるのは週刊文春や週刊新潮などのみである。
- 魚を取るためのモリに布を巻きつけ、ストレートに見立ててそれをかわさせるという奇想天外な鍛錬方法を編み出した。これも何度も刺さって流血したといい、殺人未遂であると非難を浴びた。
- ロックバンド「T-BOLAN」のファンで、森友嵐士を息子の試合や合宿に招待。合宿で食事を共にし、2006年8月2日に行われた亀田興毅のWBAライトフライ級タイトルマッチでの君が代独唱を依頼した。
著書
- 『闘育論―亀田流三兄弟の育て方』創美社, 2006年, 187p. ISBN 4420310146