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'''イケア'''(IKEA)は、[[スウェーデン]]の大手家具店。現在は[[オランダ]]南部の都市[[ライデン]]を本拠地とする[[財団法人]][[スティヒティング・インカ・ファウンデーション]](Stichting INGKA Foundation)(創業者[[イングヴァル・カンプラード]]の創設した基金)がイケアグループ全体の親会社である[[インカ・ホールディング]](INGKA Holding B.V.)を所有する形になっている。 |
'''イケア'''(IKEA)は、[[スウェーデン]]の大手家具店。現在は[[オランダ]]南部の都市[[ライデン]]を本拠地とする[[財団法人]][[スティヒティング・インカ・ファウンデーション]](Stichting INGKA Foundation)(創業者[[イングヴァル・カンプラード]]の創設した基金)がイケアグループ全体の親会社である[[インカ・ホールディング]](INGKA Holding B.V.)を所有する形になっている。<br> |
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売上高は148億ユーロ(2005年8月末) |
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製造部門の子会社である[[スウェドウッド]](Swedwood)、サービス部門を統括するイケアサービス、デザインや商品企画などを担当するイケア・オブ・スウェーデン他、各国の販売チャンネルなど多くの子会社を抱え、「イケアグループ」と呼称される企業体を形作っている。 |
製造部門の子会社である[[スウェドウッド]](Swedwood)、サービス部門を統括するイケアサービス、デザインや商品企画などを担当するイケア・オブ・スウェーデン他、各国の販売チャンネルなど多くの子会社を抱え、「イケアグループ」と呼称される企業体を形作っている。 |
2006年9月17日 (日) 03:22時点における版
イケア(IKEA)は、スウェーデンの大手家具店。現在はオランダ南部の都市ライデンを本拠地とする財団法人スティヒティング・インカ・ファウンデーション(Stichting INGKA Foundation)(創業者イングヴァル・カンプラードの創設した基金)がイケアグループ全体の親会社であるインカ・ホールディング(INGKA Holding B.V.)を所有する形になっている。
売上高は148億ユーロ(2005年8月末)
製造部門の子会社であるスウェドウッド(Swedwood)、サービス部門を統括するイケアサービス、デザインや商品企画などを担当するイケア・オブ・スウェーデン他、各国の販売チャンネルなど多くの子会社を抱え、「イケアグループ」と呼称される企業体を形作っている。
- なお、グループの構造については、後述#関連記事リンクのThe Economist誌の和訳に詳しい。
家具にはスウェーデン語の名前がついているのが特徴。郊外に「イケアストア」と呼ばれる大規模な店舗を構える方法で展開しているが、カタログやインターネットによる販売もしている。ロシア進出の際には、ドキュメンタリー映画が撮影された。
「IKEA」の由来、発音、表記
IKEA、とはイングヴァル・カンプラードのイニシャルのI・K(Ingvar Kamprad)に彼が育ったエルムタリッド農場(Elmtaryd)があるアグナリッドの町(Agunnaryd)の頭文字をつなげ合わせたものである。日本でのカタカナ表記は「イケア」であるが、アメリカやオーストラリアなどでは「アイキア」、オランダなどでは「オイキア」等と発音するなど、各国微妙に違っている。ドイツでの発音は日本同様「イケア」である。なお、中国における表記は「宜家家居」である。
歴史
1943年、弱冠17歳だったイングヴァルが設立した安売り雑貨店が元になっている。当時は需要があれば何でも取り扱う店であったが、1947年に地元の家具店と契約して格安販売を開始するとこれが大当たりし、1951年以降は完全に家具販売に集中する。
1953年に最初のショールームをオープン以後は順調に売り上げを伸ばしていたが、同業他社との深刻な価格競争に巻き込まれることになり、ライバルの圧力によって家具メーカーからの商品供給を停止されるという深刻な状態となる。しかし、このことが自社で独自のデザイナーを抱え、企画・製造・販売を全てまかなう現在のイケアのスタイルが誕生する。また、この際にイケアの特徴の一つである「フラットパック(分解された商品は、できるかぎり薄く小さい梱包をされており、車のトランクに積んで簡単に持ち帰ることができる)」も誕生している。
1963年からスウェーデン国外での積極的な展開を開始。ノルウェーを足がかりにして、スイス、フランス、ドイツ、デンマーク他、ヨーロッパのほぼ全域、アメリカやカナダにも店舗をオープンを実現した。流通や梱包、製造などのコストを徹底的に削減しながら、顧客のニーズに合わせた格安の組み立て式家具を販売し、その後ヨーロッパで絶大な人気を誇るようになっていく。
中国やオーストラリアへも進出し、1993年には25カ国で100店舗を達成。2006年現在で、世界の33の国と地域に合計241店舗。そのうち23カ国、215店舗が直営店となっている(他はフランチャイズ方式)。売上高は2兆1000億円を誇る。
日本におけるイケア
日本においては1974年に大阪の湯川家具および東急百貨店の合弁会社が代理店を設立して兵庫県神戸市新在家の「イケアタウン六甲」(現サザンモール六甲)などで販売を行っており、東京においても青山さるん(現ACTUS)が母体となり、千葉県船橋市のららぽーとなどに「イケア船橋」の名称で家具店を出店していた。
しかしながら、当時はイケアの主流であった組み立て式家具が日本では一般的ではなく、また不良品の発生率などで顧客離れが発生して1986年に撤退した(一部店舗は現在もACTUSなどとして存続)。
のちに2001年に日本再進出を決定し、2002年7月に日本法人「イケア・ジャパン」を設立。一号店(イケア船橋)が2006年4月24日に、千葉県船橋市にあった屋内スキー場・ららぽーとスキードームSSAWSの跡地の一部を利用してオープンした。イケアストアオープンの恒例になっている「丸太カット」(テープカットの代わりである)も行われた。
なお、当初一号店のオープンは2005年9月を予定していたが、より迅速な在庫管理体制を行うために中国上海に大規模物流センターを建設することとなり、延期になっていた。日本における物流センターは千葉県八千代市にある。現在は仮のものであり、今後移転して拡張される予定である。
さらに、神奈川県横浜市都筑区折本町のヤナセ横浜デポー跡地に二号店「イケア港北」が2006年9月15日にオープン。3号店は兵庫県神戸市のポートアイランドにあった神戸ポートピアランド跡地へ2008年夏の出店を目指して進行中である。
日本では、ホームセンターや「ニトリ」「大塚家具」などと競合関係になるとされている。
イケアの環境問題対策とイケア鉄道
イケアは、家具の材料に主に木材を多く使うことから、森林伐採対策やリサイクルなどに対して非常に関心が高く、1980年代から積極的に環境問題に取り組んでいる。合板に対するホルムアルデヒド放出量の厳格化や、熱帯雨林伐採の木材を使わず、植林によって生み出された木材を使う、あるいは各種梱包材や、家具そのもののリサイクルなどの活動を続けている。
そんな中で、2002年にはイケア鉄道(IKEA Rail)を設立し、スウェーデン、デンマーク、ドイツで、貨物列車の運行を行っている。これはイケアが製品などを各地に配送する際のトラック輸送に伴う環境負荷を軽減するために、自前の鉄道を用意したもので、渋滞による遅延も無く、輸送コストとしても安く、また環境負荷も少ないということで一日あたり50台のトラック輸送を撤廃できた。今後、ポーランド、イタリア、ベルギーなどへも線路網を伸ばしてゆくことが計画されている。
イケア開店時の騒動
イケアは非常に大規模、かつ格安を売りにしていることもあって、常に新規オープンに伴っての店舗来場者の殺到が見られ、混乱や問題に見舞われがちである。2005年2月のイギリス、エドモントン店オープン時には特売品を多く告知した結果、深夜オープンにもかかわらず、7000人もの来場者が殺到し、商品を奪い合って乱闘騒ぎに発展した。中国上海店オープン時には一日で実に8万人が押し寄せるなど、騒動の規模も大きなものとなっている。
日本における船橋店オープンも、万全を期して月曜日平日のオープン、特売品は設けない、という体制で挑んだが、結果的に来場者が殺到。近隣にららぽーと、船橋競馬場、船橋オートレース場等を抱え、渋滞を引き起こしやすい道路事情も加わり、週末、休日には入店までに数時間、閉店から3時間後でもすべての車が出庫できないなど異常事態となった。