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「ノート:令和」の版間の差分

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{{Quote|邱令和は吳門人を𪰋<sup>([日+攵])</sup>す。令和は印全を作り、顧元方を倣す。幾幾や神似す。元方、吾は、令和は固 (もと) よりよその同じ時の人をも見ることを得ず。予は亦ほ未だに識が辛ひ。卯春、予は從兄に托し禹圖は吳門を走らす。市佳玉、命周爾、森父子は盡 (ことごと) く漢玉を倣し紐を作る。篆文は和手より出令すると雖 (いへど) も、然 (しか) して實に爾、森父子が碾成し、今は但(た)だ令和を以て著者とし、爾を以て森父子とす。篆籀を知らずは、書に足らず也。令和の篆、其の紐の佳者、予が難中に患ふなれば、盡 (ことごと) く他氏を為すこと有り。予は嘗諷の人なりて、篆を好む。好玉好凍の上に鐫(ほ)られること勿 (なか) れば、此れを以て其の為に予は之を作る。外の皆は之を得る。九龍、秦は巽を以て先生とす。}}
{{Quote|邱令和は吳門人を𪰋<sup>([日+攵])</sup>す。令和は印全を作り、顧元方を倣す。幾幾や神似す。元方、吾は、令和は固 (もと) よりよその同じ時の人をも見ることを得ず。予は亦ほ未だに識が辛ひ。卯春、予は從兄に托し禹圖は吳門を走らす。市佳玉、命周爾、森父子は盡 (ことごと) く漢玉を倣し紐を作る。篆文は和手より出令すると雖 (いへど) も、然 (しか) して實に爾、森父子が碾成し、今は但(た)だ令和を以て著者とし、爾を以て森父子とす。篆籀を知らずは、書に足らず也。令和の篆、其の紐の佳者、予が難中に患ふなれば、盡 (ことごと) く他氏を為すこと有り。予は嘗諷の人なりて、篆を好む。好玉好凍の上に鐫(ほ)られること勿 (なか) れば、此れを以て其の為に予は之を作る。外の皆は之を得る。九龍、秦は巽を以て先生とす。}}


邱令和はどうやら印章を作っていた人の名前 (又は集団) のようですね。吳門人というのは多分書画における[[呉派]]でしょうね。禹圖というのは[[夏朝]]創始者の[[禹]]の絵のことですかね。その絵の写しを邱令和が取っていて、それを筆者の周亮工が手に入れて從兄にそれを託したら呉派が大慌て、という感じでしょうか。「篆文雖出令和手」の和手が何を意味するのか気になります。
邱令和はどうやら印章を作っていた人 (又は集団) の名前のようですね。吳門人というのは多分書画における[[呉派]]でしょうね。禹圖というのは[[夏朝]]創始者の[[禹]]の絵のことですかね。その絵の写しを邱令和が取っていて、それを筆者の周亮工が手に入れて從兄にそれを託したら呉派が大慌て、という感じでしょうか。「篆文雖出令和手」の和手が何を意味するのか気になります。


あと[[秦]]は[[秦朝]]、巽は[[殷|殷商]]の時代から存在している[https://baike.baidu.com/item/%E5%B7%BD%E5%9B%BD 巽国]のことだと思いますが、比喩か否かも気になるところ。--[[特別:投稿記録/240B:11:43A0:4BF0:AC52:BA4F:B064:46DA|240B:11:43A0:4BF0:AC52:BA4F:B064:46DA]] 2019年4月1日 (月) 16:18 (UTC)
あと[[秦]]は[[秦朝]]、巽は[[殷|殷商]]の時代から存在している[https://baike.baidu.com/item/%E5%B7%BD%E5%9B%BD 巽国]のことだと思いますが、比喩か否かも気になるところ。--[[特別:投稿記録/240B:11:43A0:4BF0:AC52:BA4F:B064:46DA|240B:11:43A0:4BF0:AC52:BA4F:B064:46DA]] 2019年4月1日 (月) 16:18 (UTC)

2019年4月1日 (月) 16:21時点における版

導入部の「万葉集に典拠があるとされている」について

「万葉集に典拠があるとされている」はおかしい。菅官房長官は「万葉集が典拠」と言っているのであって、「万葉集が典拠である」だと思います。--110.66.34.160 2019年4月1日 (月) 02:53 (UTC)[返信]

だいたいTVWATCHじゃないでしょうか?新聞ソースや官庁ソースの提示が望まれます--Kyuri1449会話2019年4月1日 (月) 03:12 (UTC)[返信]

その他

平成31年度は続くということを書いて欲しいな。2020年3月31日まで。--以上の署名のないコメントは、133.66.224.202会話)さんが 2019年4月1日 (月) 03:04 (UTC) に投稿したものです(Goma1661会話)による付記)。[返信]

要出典ですね、それは。公文書が出てくるのを見れば自ずから明らかになるでしょう--Kyuri1449会話2019年4月1日 (月) 03:11 (UTC)[返信]

トップ画像について

官房長官がかざしてる写真より、どこのだれか知らないオフィスの写真を優先して載せる必要がありますか? 撮影した方が載せたいという意図を感じます。 下の官房長官に切り替えて、上の写真は削除してよいかと思います。--以上の署名のないコメントは、223.134.135.77会話投稿記録)さんが 2019-04-01 4:17:26 UTC に投稿したものです。

そもそも、2枚とも著作権が微妙ですね。1枚は北海道新聞から、もう1枚はテレビ中継からですか...--north land (会話履歴) 2019年4月1日 (月) 04:25 (UTC)[返信]
私も著作権侵害となりそうな画像であったり、会社という限られた中で発表を見ている画像はいかがなものかと思います。しかし、何かしら画像は必要だと思います(特に官房長官が「令和」の書を掲げている画像は必要だと思います)ので、こちらの、首相官邸ホームページの中の、「動画 平成31年4月1日長官会見 元号を改める政令及び元号の読み方に関する内閣告示について」へのリンクで利用されている画像を使用するのはいかがでしょうか?公的機関の公開したものは一般的な著作権とは異なる部分がありますので、利用できるのではないかと思っての提案です。なお、画像の直リンクアドレスは、http://www.kantei.go.jp/jp/content/20190401am.jpgになっているようです。Ty70会話2019年4月1日 (月) 05:53 (UTC)[返信]
他の利用者の方により、現時点で記事が修正されているようです。もう一つの画像については、現時点で内閣官房内閣広報室のライセンスのついたもの[1]が代わりに使用されているようです。--W7401898会話) 2019年4月1日 (月) 06:00 (UTC)修正--W7401898会話2019年4月1日 (月) 06:02 (UTC)[返信]
情報ありがとうございます--north land (会話履歴) 2019年4月1日 (月) 06:04 (UTC)[返信]
コメント 記者会見の動画から一般人である投稿者によって複製された写真を、ウェブに掲載することは、日本の著作権法に定める権利を侵害する不法行為となるおそれがあります。インターネット経由で配信されている著作権のある動画から、権利者の許諾が無いまま一場面を複製して掲載することは、公衆送信権(著作権に含まれる権利の一つ)の侵害に当たります。もう一方の写真(オフィスの情景の写真)は、撮影者がウィキメディア・コモンズへの投稿者である場合には、日本法に関する限り、これを掲載することに法的な問題は無さそうです。(問題があるとしても、前者の写真を掲載することに比べれば、不法性は低そうです。)テレビ放送の一場面が写っていますが、これはオフィスの情景を写真に撮るに際して、元号「令和」の発表という状況を示すために必要な範囲で取り込まれたものであり、かつ、当該場面がこの写真において軽微な構成部分となっていて、かつ、当該テレビ受像機を分離して当該状況を示す写真を創作することが困難であるため、著作権法の引用の規定または写りこみ等の規定によって、当該場面に係る著作権や著作隣接権が制限されることが期待されます。人の顔のうち、はっきりと写ったものは、撮影後の写真の加工によってぼかしてあるので、肖像権侵害のおそれも低いでしょう。--Dumpty-Humpty会話2019年4月1日 (月) 06:11 (UTC)[返信]

イントネーションについて

先の元号「昭和」の発音、イントネーションの問題が現在も議論されています。 「令和」にもそのような問題が生じることが予想されるため明記すべきである。また、ガイドラインを策定すべきである。--Nuraa.sinora会話) 2019年4月1日 (月) 15:20 (UTC) Nuraa.sinora --Nuraa.sinora会話2019年4月1日 (月) 05:44 (UTC)Nuraa.sinora[返信]

それについての出典はありますか。--north land (会話履歴) 2019年4月1日 (月) 05:49 (UTC)[返信]

出先なのでまず簡単に書いておきますが、Nuraa.sinora氏が言いたいのは、「イントネーション」ではなく、「アクセント」です。出典が必要なのもそうですが、イントネーション(抑揚)ではなくアクセント、発音の単位(メージ・ショーワ・レーワなら3)は文字(字)・音・音節(シラブル)などではなく拍(モーラ)、低く変わる前の拍はアクセントではなく核、日本語のアクセントは強弱ではなく高低、そしてアクセントの種類(平板式、起伏式〈頭高型・中高型・尾高型〉)といった、日本語の発音について基礎的な知識を有する編集者のみが編集して欲しいものです。もちろん、このノートでもです。 明治は頭高型が普通だが、昭和は平板式と頭高型の2通りがある、令和は頭高型のはずだが、日本人の若年層の発音の著しいアクセントの平板化により、平板式の人も20-30%いるかもしれない、って話ですよね?

この節名も誤謬です。ノートどころか記事を上記の知識がないかたが編集されたら困りますので、まず言っておきます。--Khhy会話) 2019年4月1日 (月) 06:18 (UTC) 文献 「日本語発音における近年のアクセント傾向の分析と考察」田中浩史 また、論文内に出てくる「NHK 日本語アクセント辞典」それ以外にもNHK番組「クローズアップ現代」「クローズアップ現代+」で取り上げられた。--Nuraa.sinora会話2019年4月1日 (月) 15:20 (UTC)--Nuraa.sinora[返信]

平成と令和の、新設する2019年の日本の改元への一部転記提案

反対 改元の記述は、「昭和」と同様に、改元後の年号の記事(今回は「令和」)にするべきだと思うので、「2019年の日本の改元」の新設には反対します。「平成」から「令和」への、該当部分の一部転記ならば賛成します。--Game-M会話2019年4月1日 (月) 08:23 (UTC)[返信]
コメント 提案者がノートを開いてないのですが、提案者によると「平成」と「令和」とのそれぞれの記事内にある改元に関する記述を、まとめて独立記事の2019年の日本の改元に分割転記すると言うことだそうです。そもそも提案者が未だ何も言明していないので、意図は不明ですが。--Kyuri1449会話2019年4月1日 (月) 09:07 (UTC)[返信]
コメント Kyuri1449さんが今回の改元に係るあらゆる記述を記事「令和」に収めるべきたと考えるのは、どのような理由からでしょうか。下記の提案の節で私は、前回の改元とは事情が異なることを指摘し、今回の改元それ自体を主題とする記事を設けることが望ましいと私が考える理由を示しています。「前回がそうだった」は、今回の改元について新元号の記事に記す方が良いとする理由にはならないと思いますが。--Dumpty-Humpty会話
コメント いやいや、順序が違うでしょう。提案されたのはDumpty-Humpty氏のようですので、まずはDumpty-Humpty氏が提案理由を説明するのが筋でしょう。下記の見出しは後付けで出されたものですから。あと『 Kyuri1449さんが今回の改元に係るあらゆる記述を記事「令和」に収めるべきたと考えるのは』などと勝手に私の意見を想像で書かないでもらえますか?私は『そもそも提案者が未だ何も言明していないので、意図は不明ですが』と2019年4月1日 (月) 09:07 UTCに指摘しただけです。ものごと順序と意見を曲解しないでください。--Kyuri1449会話2019年4月1日 (月) 09:53 (UTC)[返信]
コメント Dumpty-Humptyさんの2019年4月1日 (月) 09:49 (UTC)時点の発言は、Game-Mさんの2019年4月1日 (月) 08:23 (UTC)時点の意見に対する返信ではないでしょうか?Dumpty-Humptyさんが返信する相手を間違っている様に私には見えます--aki42006会話) 2019年4月1日 (月) 12:32 (UTC)後ろの文の主語を追加--aki42006会話2019年4月1日 (月) 12:55 (UTC)[返信]

一部内容を転記する提案

平成」と「令和」から今回の改元に関する詳細な内容を「2019年の日本の改元」に転記することを、提案します。

前回の改元(昭和から平成へ)は、天皇の崩御がきっかけであったため、周知期間が1日にも満たないまま実施されました。今回の改元については、「天皇の退位に関する議論を経て皇室典範特例法が制定された」という経緯それ自体に、特筆性が認められます。改元の予定は1年以上前に、新しい元号は1か月前に発表され、これまでに、「平成最後」や改元記念を掲げる商品やサービスの展開、改元に便乗した詐欺等の犯罪事案の発生、行政関連書類や電子情報処理システムの改元への対応などについて、報じられています。ウィキペディアの記事で扱うにふさわしい事項が多く、周知期間の残る1か月の間にも、記事内容が増えていくことが予想されます。
元号「令和」の使用が開始された後に(元号そのものではなく)令和時代について知りたい読者を想定しますと、そのような改元を巡る多様で大量の情報は記事「令和」から切り離しておく方が利便性が高く、改元それ自体を主題とする記事を設けることが望ましいと考えます。改元について、記事「令和」には、概要を記せば十分でしょう。
なお、記事「令和」は、元号「令和」が発表される前に「新元号」という名前で作成され、予定や予想の域を出ないことが次々と記されました。この元号が発表された直後でまだ使用されていない4月1日5時 UTC (14時 JST)の時点でも、「公的に日本国内で令和が使用される時代(令和時代)」など、使用を前提とした表現が見受けられました。いずれも、「ウィキペディアは何ではないか」等の方針に照らせば、時期尚早だと考えます。改元が実施されて初めて確定する事実に改元前に言及する際には、未確定である旨を書き添える方が良いと思います。--Dumpty-Humpty会話2019年4月1日 (月) 09:49 (UTC)[返信]
反対 気が早すぎますね。--ぱたごん会話2019年4月1日 (月) 12:13 (UTC)[返信]
反対 令和および他の退位・改元関連記事でカバーできそうに思います。なお、ウィキペディアは出典があるからといってなんでもかんでも収録するというものでもなく、平成最後や改元記念を掲げる商品・サービスを森羅万象にわたって収録する必要もありませんし、改元に関する犯罪にしてもあまり小規模なものは記載する必要もないでしょう。まあみんなが書きたがることなのかもしれませんけれど。行政関連書類や電子情報処理システムの改元への対応なども、大規模な混乱がない限り記載することもないでしょう。--Muyo会話2019年4月1日 (月) 12:30 (UTC)[返信]
反対 現時点では記事を分ける必要はないと思います。今後、情報量が多くなりすぎた場合には再検討が必要になるかもしれませんが、今の所は記事を分けるほどの情報量はないと思います。--Ty70会話2019年4月1日 (月) 15:58 (UTC)[返信]

誰でも言えるようなことを、漫画家のツイートなんかをソースに記述するのは問題ないのか

>また、漫画家末次由紀は、「《令月》は陰暦2月の異称で、何事を始めるにも良い月、という意味もある。」と指摘した

上記は漫画家の名前の特筆性はまったくない。どさくさの売名としか思われかねない。 ヲタでっちあげ事典と蔑まれないように、バランスよく記述を心がけるべきである。--60.116.6.49 2019年4月1日 (月) 08:33 (UTC)[返信]

特筆性の問題ではなく、真偽と信頼性の問題なので、出典無効などを貼れば済む話です。なので貼りました。--Kyuri1449会話2019年4月1日 (月) 08:59 (UTC)[返信]
末次由紀ちはやふるの作者ですので特筆性無しではないですし、新元号が万葉集の和歌から採られている以上、無関係でもないですけどね。単にIPさんがもの知らずなだけで。--KAMUI会話2019年4月1日 (月) 11:44 (UTC)[返信]

「令和を冠するもの 文化・芸能」の項目は明らかに下劣な便乗宣伝だ

そもそも如何なる基準で選んでいるのか。少なくとも施行の5月1日以降に記述するべきだ。--60.116.6.49 2019年4月1日 (月) 08:42 (UTC)[返信]

「平成」にもあるので特に問題ないのでは。--Kyuri1449会話2019年4月1日 (月) 08:57 (UTC)[返信]
「下劣」と言うのは個人的感想に過ぎませんが。さりとて。どうせ平成のように乱立しそうなんですけれども。そもそも令和自体が未だ「予定」である以上、未発売、未開始の項目は、予定としては列挙する必要はなく、開始、発売されてから列挙で良いでしょう。それまでに例えば「単独立項なしかつ新聞出典も無しは削る」などの合意があれば良いでしょうね(あくまでもたたき台で、その合意が必要と言ってる訳ではない)--Kyuri1449会話2019年4月1日 (月) 12:36 (UTC)[返信]

中国における令和の使用例

周亮工の印人伝に「書邱令和印章前」という章があるのを見つけたので調べてみました。

邱令和𪰋([日+攵]),吳門人,令和作印全倣顧元方,幾幾乎神似矣。元方吾不得而見,令和固余同時人,予亦未之識。辛卯春,予托從兄禹圖走吳門,市佳玉,命周爾森父子盡倣漢玉作紐,篆文雖出令和手,然實爾森父子碾成,今但以令和著者,以爾森父子不知篆籀,不足書也。令和所篆,其紐之佳者,予患難中盡為他氏有,予嘗諷人好篆勿鐫之好玉、好凍上,以此,其為予作之外,皆得之九龍秦以巽先生。
周亮工『印人傳』内「書邱令和印章前」

出典は以下です (上記の漢字は篆學瑣著より、句読点はWikisourceより)。

そのままでは文意が分からないため、適当に読み下してみました (なお上記の句読点は間違っているようなので無視しています)。

邱令和は吳門人を𪰋([日+攵])す。令和は印全を作り、顧元方を倣す。幾幾や神似す。元方、吾は、令和は固 (もと) よりよその同じ時の人をも見ることを得ず。予は亦ほ未だに識が辛ひ。卯春、予は從兄に托し禹圖は吳門を走らす。市佳玉、命周爾、森父子は盡 (ことごと) く漢玉を倣し紐を作る。篆文は和手より出令すると雖 (いへど) も、然 (しか) して實に爾、森父子が碾成し、今は但(た)だ令和を以て著者とし、爾を以て森父子とす。篆籀を知らずは、書に足らず也。令和の篆、其の紐の佳者、予が難中に患ふなれば、盡 (ことごと) く他氏を為すこと有り。予は嘗諷の人なりて、篆を好む。好玉好凍の上に鐫(ほ)られること勿 (なか) れば、此れを以て其の為に予は之を作る。外の皆は之を得る。九龍、秦は巽を以て先生とす。

邱令和はどうやら印章を作っていた人 (又は集団) の名前のようですね。吳門人というのは多分書画における呉派でしょうね。禹圖というのは夏朝創始者のの絵のことですかね。その絵の写しを邱令和が取っていて、それを筆者の周亮工が手に入れて從兄にそれを託したら呉派が大慌て、という感じでしょうか。「篆文雖出令和手」の和手が何を意味するのか気になります。

あと秦朝、巽は殷商の時代から存在している巽国のことだと思いますが、比喩か否かも気になるところ。--240B:11:43A0:4BF0:AC52:BA4F:B064:46DA 2019年4月1日 (月) 16:18 (UTC)[返信]

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