「袴田巌」の版間の差分
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2016年5月31日 (火) 11:12時点における版
基本情報 | |
---|---|
階級 | フェザー級 |
国籍 |
![]() |
誕生日 | 1936年3月10日(88歳) |
出身地 | 静岡県浜名郡雄踏町(現浜松市西区) |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 29 |
勝ち | 16 |
KO勝ち | 1 |
敗け | 11 |
引き分け | 2 |
袴田 巌(はかまだ いわお、1936年(昭和11年)3月10日 - )は、日本の元プロボクサー。袴田事件の被告人で死刑囚。世界ボクシング評議会名誉王者。
人物
静岡県浜名郡雄踏町(現浜松市西区)生まれ。中学卒業後にボクシングを始め、アマチュアでの戦績は15戦8勝(うちノックアウト7)7敗。1957年 静岡国体に成年バンタム級出場。
プロボクサーをめざし、1959年に上京して不二拳闘クラブに入門し、岡本不二に師事する。1959年11月にプロデビューし、全戦績は29戦16勝(1KO)2敗2分で最高位は全日本フェザー級6位。1961年5月、身体の不調のためプロボクサーを引退する。年間19戦は日本最多記録[1]。
再起を期しつつ、静岡県清水市(現静岡市清水区)横砂の有限会社王こがね味噌橋本藤作商店に就職[2]。
1966年6月30日に同社専務宅で強盗放火殺人事件(袴田事件)が発生、8月18日容疑者として静岡県警察に逮捕された。一貫して無実を主張したが、1980年12月12日、最高裁判所で死刑確定。弁護団による2度の再審請求などを経て、2014年3月27日、静岡地方裁判所が再審開始と死刑及び拘置の執行停止とを決定、東京拘置所から釈放された。同年3月31日、静岡地方検察庁が東京高等裁判所に即時抗告。2015年10月時点で、静岡地裁で即時抗告審が進められている段階であり[3]、再審は開始されておらず、袴田は現在なお死刑囚のままである。
1992年に袴田巌さんを救う会編『主よ、いつまでですか : 無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡』が新教出版社から出版されている[4]。
2010年5月29日、事件と裁判を描いた映画『BOX 袴田事件 命とは』が公開。
2014年4月6日の大田区総合体育館にて、世界ボクシング評議会(WBC)認定名誉王者のチャンピオンベルトが贈られた[5][6]。5月19日に後楽園ホールで行われた「ボクシングの日」ファン感謝イベントに本人が来場し贈呈式が催された[7]。
2016年2月、映画『袴田巌 ―夢の間の世の中―』が公開[8]。
脚注
- ^ 史上二人目。WBCが袴田巌氏に「名誉チャンピオンベルト」授与 Sportiva
- ^ 袴田巌さんのプロフィール 無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会
- ^ “DNA鑑定の再現実験実施へ 袴田事件の即時抗告審 弁護側は抗議”. 産経新聞 (2015年10月15日). 2015年11月8日閲覧。
- ^ 主よ、いつまでですか : 無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡 国立国会図書館
- ^ 袴田巌さんに名誉チャンピオンベルトを贈呈 朝日新聞社公式YouTubeチャンネル 2014年5月19日公開
- ^ “袴田巌さんにWBCベルト授与”. 中日新聞社. CHUNICHIWEB. (2014年4月7日) 2014年4月7日閲覧。
- ^ 袴田さん、聖地・後楽園に帰る WBC名誉チャンピオンベルト贈呈 スポーツ報知 2014年5月20日
- ^ ドキュメンタリー映画 袴田巌 夢の間の世の中