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2016年5月15日 (日) 07:32時点における版
世田谷代官屋敷(せたがやだいかんやしき)は、彦根藩世田谷領の代官を世襲した大場家の役宅で、大場代官屋敷とも呼ばれる。現在の東京都世田谷区に置かれた。1952年(昭和27年)に東京都指定史跡に、1978年(昭和53年)に大場家住宅主屋及び表門の二棟が重要文化財に指定された。
概要
大場家の屋敷は、はじめ元宿(世田谷区役所のあたり)にあったが、天正の初めごろに現在の場所に移された。現在の建物はその後、7代の盛政が1737年(元文2年)に立て直したものである。1739年(元文4年)に盛政が代官になった際にその私邸が代官屋敷となったため、世田谷代官屋敷は公の陣屋ではない[1]。
建物
主屋は約70坪で茅葺、寄棟造りである。 昭和27年11月3日 屋敷が東京都旧跡に指定される。昭和34年2月21日 東京都史跡に指定替される。昭和42年2月 解体復元工事に着手。昭和42年5月20日 竣工。昭和53年1月21日 主屋、表門が重要文化財に指定される。
主屋(寄棟造・茅葺・北面玄関)
- 桁行 17.33m(57.2尺)
- 梁間 11.03m(36.4尺)
- 面積 191.15㎡(57.84坪)
表門(長屋門・寄棟造・茅葺)
- 桁行 7.0m(23.1尺)
- 梁間 3.7m(12.2尺)
- 面積 25.9㎡(7.83坪)
歴史
大場家の屋敷は元宿にあったが、大場信久とその息子大場房勝の時代、天正年間初頭に元宿(元町)から現在地に転居した[2]。
大場家邸宅の普請記録の初見は、信久から数えて7代目の大場六兵衛盛政が建て替えた際の元文2年(1737年)である。盛政は彦根藩から米105俵を借用して邸宅の改築を行った[2]。同年に盛政が代官に登用されると、宝暦3年(1753年)には書院座敷を増築し、居住部分を改修した[2]。文化元年(1804年)には10代当主大場弥十郎景運が書院座敷を建て替えており、景運は文化12年(1815年)に内蔵を建てている[2]。嘉永年間(1848年-1854年)には11代当主大場準之助景長が2階座敷を増築し、その際には名主詰所が設けられた[2]。
1923年(大正12年)には内蔵が建て替えられた[2]。近代には主屋内部の姿が次第に変化したが、1957年(昭和42年)には解体修理によって往時の姿に復元された[2]。書院座敷は敷地内の別の場所に移築されていたが、同1957年には埼玉県入間郡毛呂山町の「新しき村」に移築されている[2]。
書院座敷
書院座敷は、大場弥十郎景運の建て替え以前から、問屋屋敷の公用座敷として高役人の接待や宿泊上に必須だった。代官職となってからは奉公や法要などの公用が増加したため、いっそう重要となった。盛政が宝暦3年の再改築を企図した重要なひとつの要因とされている。元文2年には「座敷」と称されていたのが、宝暦3年には「書院座敷」と称しているあたりにも、その事情が推察される。[3]
大場家
世田谷大場家は桓武平氏大庭景観の子孫と伝えられる。鎌倉時代、大場弥次郎房久が吉良家の家臣となり、武蔵国世田谷に移り住んだ[4]。
大場家の初代大場越後守信久は、1578年ころに当時の世田谷新宿に居を移した。当初は元宿(現在の世田谷4丁目)に居を構えていたが、楽市が認許されて以降、嫡男外記房勝と共に上宿(現在の上町)に移り、現在の世田谷代官屋敷に定住することとなった[5][6]。
寛永10(1633)年、井伊家が世田谷領15ヶ村を領有することとなった際、信久の嫡孫盛長が15歳にして世田谷代官(初代)に任ぜられた[7]。盛長は20歳にて没し、代官職は同族の大場市之丞の家系が継承する[8]。その後は、世田谷村名主や世田谷宿の問屋役を代々継ぎ、7代盛政が大破した住居・座敷を1737年と1751年の二度にわたり再建ないしは補修、現在に残る世田谷代官屋敷が完成した[9][10]。
元文4(1739)年、4人目の市之丞が年貢未納の罪で罰せられ、宗家上町大場家の盛政が代官に登用された[11]。爾後1830年までの約90年間、大場家が代官役を務めることとなった[12]。
参考画像
-
表門
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主屋
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白州通用門
-
白州跡
交通アクセス
- 鉄道
- 東急世田谷線 上町駅下車 徒歩5分
- バス
- 東急バス 渋谷駅から上町行き、渋谷から祖師谷大蔵駅行き、渋谷から成城学園前駅行き、等々力から祖師谷大蔵駅行き、「上町(かみまち)」下車 徒歩5分
- 小田急バス 渋谷駅から調布駅行き、田園調布駅から世田谷区民会館行き 「上町(かみまち)」下車 徒歩5分
出典
- ^ 世田谷区立郷土資料館「ー大場家と代官屋敷ー」世田谷区立郷土資料館,1994年
- ^ a b c d e f g h 「重要文化財 都史跡 世田谷代官屋敷」世田谷区立郷土資料館・大場代官屋敷保存会パンフレット, 2014年
- ^ 長田美雄「大場代官屋敷の歴史 昭和53・1・21国指定 重要文化財」(『都指定有形文化財 世田谷代官大場家文書目録』東京都世田谷区教育委員会/編集, 東京都教育委員会, 財団法人大場代官屋敷保存会, 1978年)
- ^ 東京都世田谷区 1976, p. 116.
- ^ 世田谷区教育委員会 1978, p. 172.
- ^ 大場家歴代史編纂委員会 1983, pp. 41–42, 47.
- ^ 東京都世田谷区 1976, pp. 116–117.
- ^ 東京都世田谷区 1976, pp. 120–121.
- ^ 大場家歴代史編纂委員会 1983, pp. 82–84.
- ^ 東京都世田谷区 1976, pp. 173–175.
- ^ 東京都世田谷区 1976, pp. 124–126.
- ^ 大場家歴代史編纂委員会 1983, p. 83.
参考文献
- 世田谷区教育委員会『世田谷代官大場家文書目録 : 都指定有形文化財』世田谷区教育委員会、1978年5月31日。 NCID BN01434974。
- 大場家歴代史編纂委員会『大場家歴代史』財団法人大場代官屋敷保存会、1983年10月7日。 NCID BA68523412。
- 東京都世田谷区『せたがやの歴史』東京都世田谷区、1976年9月25日。 NCID BN01627399。