コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「大崎仁」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Syouhos0 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Syouhos0 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
30行目: 30行目:


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*[[筑波大学]]


== 外部リンク ==
 
{{DEFAULTSORT:おおさき ひとし}}
{{DEFAULTSORT:おおさき ひとし}}
[[Category:筑波大学]]
[[Category:筑波大学]]

2013年8月25日 (日) 21:49時点における版

大崎 仁(おおさき ひとし、1933年 - )。1955年京都大学法学部卒業後、文部省入省。文部省の中枢を歩み、筑波大学を作った学術行政のプロ。国が大学へ研究委託する道(通称未来開拓事業)を制度化し、科学立国への基礎を築いた。[1]

教職員養成課長、大学課長、高等教育計画課長、官房総務課長、学術国際局の審議官、学術国際局長、高等教育局長、文化庁長官、日本学術振興会理事長等を歴任。2001年「戦後大学改革の研究」により京都大学博士。現在、人間文化研究機構機構長特別顧問、IDE大学協会副会長(2011年当時)。大英帝国勲章(コマンダー)を受勲。

経歴

1955年京都大学法学部卒業。2001年「戦後大学改革の研究」により京都大学博士(高等教育)。

管理局振興課課長補佐時、第一次ベビー・ブームを前にして、私学助成が大きな問題となっていた。法律で臨時の調査会をつくり、事務方を務めた。その成果は、臨時私立学校振興方策調査会の答申として残っており、私学問題に関する最初の白書も出した。

大学紛争後に大学課長を務めて大学改革に着手する。大学自主改革を促進させ「新構想大学」として筑波大学を創設。

学術振興会では出資金により未来開拓学術研究を開始。未来開拓学術研究は科学の技術の研究は未来に対する投資であり、研究の成果は、日本の未来、人類の未来のための知的財産というコンセプト。

  • 1997年"Golden Badge of the Order of Merit of the Public of Poland"受賞。
  • 1998年"Officier dans I'Ordre National du Mérite, the French Republic"受賞。
  • 1999年"Honorary Commander of the Most Excellent Order of the British Empire (CBE)"受賞。
  • 2004年“the Order of the Sacred Treasure"受賞。

関連書籍

  • 『概説社会教育行政』福原匡彦共著、第一法規出版、1964年
  • 『戦後大学史―戦後の改革と新制大学の成立』第一法規出版、1988年
  • 『「大学紛争」を語る』有信堂高文社、1991年
  • 『大学改革1945~1999―新制大学一元化から「21世紀の大学像」へ』有斐閣選書、1999年
  • 加藤寛一朗『「知」の頂点』講談社、1998年 ※加藤氏からのインタビュー
  • 『国立大学法人の形成』東信堂、2011年

脚注

  1. ^ 加藤寛一朗『「知」の頂点』講談社、1998年。

外部リンク

外部リンク

 

');