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「最高裁判所裁判官国民審査」の版間の差分

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一般に公表される国民審査の不信任率(罷免を可とする票の割合)は全国平均の結果であるが、この率は都道府県によって大きな差が生じる傾向がある。例えば、[[泉徳治]]は2003年に審査を受け、不信任率の全国平均は7.3%であったが、最も高い県は[[沖縄県]]の13.5%、最も低い県は[[福井県]]の3.9%で、他の裁判官の審査においても同様の傾向であったという。沖縄県で不信任率が高いのは、[[沖縄戦|戦争]]の記憶や[[在日米軍|アメリカ軍の基地の問題]]が背景にあり、裁判所や政府を含む日本の統治機構全体に対する不信感が強いためではないかと推測されている<ref name="国民審査1">[http://www.asahi.com/national/intro/TKY201211180422.html 朝日新聞2012年11月19日記事『最高裁10裁判官に国民審査 審査10日前の対象者も』]</ref>。
一般に公表される国民審査の不信任率(罷免を可とする票の割合)は全国平均の結果であるが、この率は都道府県によって大きな差が生じる傾向がある。例えば、[[泉徳治]]は2003年に審査を受け、不信任率の全国平均は7.3%であったが、最も高い県は[[沖縄県]]の13.5%、最も低い県は[[福井県]]の3.9%で、他の裁判官の審査においても同様の傾向であったという。沖縄県で不信任率が高いのは、[[沖縄戦|戦争]]の記憶や[[在日米軍|アメリカ軍の基地の問題]]が背景にあり、裁判所や政府を含む日本の統治機構全体に対する不信感が強いためではないかと推測されている<ref name="国民審査1">[http://www.asahi.com/national/intro/TKY201211180422.html 朝日新聞2012年11月19日記事『最高裁10裁判官に国民審査 審査10日前の対象者も』]</ref>。


ちなみに沖縄県はアメリカ軍の基地の問題を抱えている事情もあり、人口当たりの訴訟件数も全国一である。この他に不信任率の高い都道府県としては[[北海道]]と[[京都府]]があり、これら3つの都道府県は長年にわたって不信任率のトップ3を占めている<ref>長峰超輝『サイコーですか?最高裁!』(光文社)ISBN 4334975313 P184</ref>。しかし、とりわけアメリカ軍の基地の問題について、アメリカに有利な判決を出すことが多い日本の裁判所に対する沖縄県民の不信感は根強く、沖縄県における国民審査の不信任率は第2位以下の都道府県を大きく引き離して常に第1位である。過去の国民審査において最も不信任率が高かった後述の[[下田武三]]の審査の場合、不信任率の全国平均15.17%に対して、沖縄県における不信任率は39.5%であった<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-88420-storytopic-86.html 琉球新報『県内は9人全員を3割超が不信任 最高裁判事国民審査』]</ref>。
ちなみに沖縄県はアメリカ軍の基地の問題を抱えている事情もあり、人口当たりの訴訟件数も全国一である。この他に不信任率の高い都道府県としては[[北海道]]と[[京都府]]があり、これら3つの都道府県は長年にわたって不信任率のトップ3を占めている<ref>長峰超輝『サイコーですか?最高裁!』(光文社)ISBN 4334975313 P184</ref>。しかし、とりわけアメリカ軍の基地の問題について、アメリカに有利な判決を出すことが多い日本の裁判所に対する沖縄県民の不信感は根強く、沖縄県における国民審査の不信任率は第2位以下の都道府県を大きく引き離して常に第1位である。過去の国民審査において最も不信任率が高かった[[下田武三]]の審査の場合、不信任率の全国平均15.17%に対して、沖縄県における不信任率は39.5%であった<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-88420-storytopic-86.html 琉球新報『県内は9人全員を3割超が不信任 最高裁判事国民審査』]</ref>。


== 罷免された裁判官の処遇 ==
== 罷免された裁判官の処遇 ==

2013年2月24日 (日) 04:56時点における版

最高裁判所裁判官国民審査(さいこうさいばんしょさいばんかんこくみんしんさ)は、日本における最高裁判所裁判官罷免するかどうかを国民が審査する制度である。

概要

日本国憲法第79条第2項及び第3項と最高裁判所裁判官国民審査法に基づいている制度である。最高裁判所裁判官は、任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に国民審査を受け、その後は審査から10年を経過した後に行われる衆議院総選挙の際に再審査を受け、その後も同様とすると定められている(日本国憲法第79条第2項)。

しかし、日本では諸外国と比べて司法に対する国民の関心が低い上、国民審査は必ず衆議院議員総選挙と同時に実施するものと定められており、大手の新聞社やテレビ局は衆議院議員総選挙のニュースばかりを大きく報道していて、国民審査の扱いは極めて小さいため、国民審査は国民からほとんど注目されることがない。また、最高裁判所裁判官の定年は70歳であるのに対し、最高裁判所裁判官に任命される者はほとんどが60歳以上であるため、上記の日本国憲法第79条第2項の条件を満たして実際に国民審査の再審査を受けた最高裁判所裁判官は過去にわずか6人で、再審査を2度受けた裁判官は1人もおらず、後述の通り1963年を最後に国民審査の再審査は1度も行われていない。

日本国外からの評価事例として、アメリカ人で東大教授のダニエル・H・フットは、日本では市民の意向が国民審査によって反映される状況になっていない事を指摘している[1]。オランダ人ジャーナリストカレル・ヴァン・ウォルフレンは、日本の社会に関する論説の中で、国民審査の制度について「この“直接民主主義”は純粋に儀式的な、そえ物」と表現している[2]

歴史

アメリカのいくつかの州には日本の国民審査制度とよく似た制度が存在する。1930年代から制度の検討が始められ、1940年にミズーリ州で始められたものが最初とされるが、この審査制度はアメリカ合衆国最高裁判所の裁判官には適用されていない。

この制度が日本国憲法に導入された経緯については、不明な点も多い。もともとは太平洋戦争終了後に日本の行政を監視・統制していたGHQの提案により憲法改正案に導入されたものであるが、当時、憲法改正案を審議していた貴族院において、元大審院院長であり後に最高裁判所裁判官にもなった霜山精一議員は「(国民審査を導入すると)裁判官は罷免を恐れて良心から出る裁判に影響を来す。法律の判断は国民に容易に分かるものではないから、国民審査制度はぜひやめたい」と言って、国民審査の導入に強く反対し、議員の多くもこれに同調した。この反対に対し、元東京帝国大学法学部長の山田三良議員は「(国民審査は)裁判官をして反省させるために必要である。民主化するに伴い、国民も裁判に関心を持ち、裁判の当否を批判する力を持つに至る」と反論し、最高裁判所裁判官の権力の乱用を防ぐ手段としての国民審査の必要性を訴えた。また、GHQ側は貴族院に対し、国民審査を導入しないのであれば最高裁判所裁判官の任命をアメリカの場合と同じく国会同意人事にすべきであると主張したが[3]、それでは最高裁判所が国会の支配下に置かれることになり、司法の独立を阻害される結果を招きかねないとして、最終的には霜山も不本意ながら国民審査の導入を認めたとされる。

実施(投票)方法

投票用紙の例
(罷免したい裁判官の欄に)×だけを書くことができる。○などを書くと投票用紙丸ごと無効になる

国民審査の投票用紙には、審査の対象となる裁判官全員の氏名が記されている(公示や投票用紙での裁判官の氏名の記載順序はくじ引きで決められる)。投票者は罷免すべきだと思う裁判官の氏名の上の欄に×印を記入し、それ以外は何も記入してはならない。×印以外の記号を投票用紙に記入した場合は、その投票用紙は無効になる{1つでも×以外(○など)を書けば、投票用紙丸ごと無効になる(最高裁判所裁判官国民審査法第22条)}。

×印を記入した票は「罷免を可とする票」と呼ばれ、罷免を可とする票が有効票数の過半数に達した裁判官は罷免される。ただし、その審査の投票率が100分の1(1%)未満であった場合には罷免されない(最高裁判所裁判官国民審査法第32条)。

何も記入しない票は「罷免を可としない票」と呼ばれる。「罷免を可としない票」「罷免を可とする票」は一般に「信任票」「不信任票」と呼ばれることが多いが、法律上は「信任」「不信任」という用語は使われていない(厳密には後述の通り、「罷免を可としない票」の中には積極的な信任票だけでなく多数の棄権票も含まれていると推測されるため)。

国民審査の告示は、衆議院議員総選挙の公示と同時に行われる。告示後には、有権者投票の判断材料の一つとして、審査の対象となる裁判官の経歴や主な裁判の判決(最高裁判決の少数意見を含む)を簡単に記載した「審査公報」が発行される。

投票用紙は右縦書きであるが、投票用紙の右側に記載されている裁判官の氏名の欄に×印を書かれる確率が高くなる傾向がある「順序効果」が統計的に指摘されている。そのため、審査を受ける裁判官たちは自分の氏名が投票用紙の右側に記載されることを嫌っており、投票用紙に記載される裁判官の氏名の順序は前述の通りくじ引きで決められることになっている。

これら国民審査の実施方法などについては、最高裁判所裁判官国民審査法で定められている。この他に裁判官を罷免する制度は日本国憲法第78条に基づく弾劾裁判の制度があるが、現在までに最高裁判所裁判官が弾劾裁判の対象とされた事例は1例も存在しない。

不信任率の地域差

一般に公表される国民審査の不信任率(罷免を可とする票の割合)は全国平均の結果であるが、この率は都道府県によって大きな差が生じる傾向がある。例えば、泉徳治は2003年に審査を受け、不信任率の全国平均は7.3%であったが、最も高い県は沖縄県の13.5%、最も低い県は福井県の3.9%で、他の裁判官の審査においても同様の傾向であったという。沖縄県で不信任率が高いのは、戦争の記憶やアメリカ軍の基地の問題が背景にあり、裁判所や政府を含む日本の統治機構全体に対する不信感が強いためではないかと推測されている[4]

ちなみに沖縄県はアメリカ軍の基地の問題を抱えている事情もあり、人口当たりの訴訟件数も全国一である。この他に不信任率の高い都道府県としては北海道京都府があり、これら3つの都道府県は長年にわたって不信任率のトップ3を占めている[5]。しかし、とりわけアメリカ軍の基地の問題について、アメリカに有利な判決を出すことが多い日本の裁判所に対する沖縄県民の不信感は根強く、沖縄県における国民審査の不信任率は第2位以下の都道府県を大きく引き離して常に第1位である。過去の国民審査において最も不信任率が高かった下田武三の審査の場合、不信任率の全国平均15.17%に対して、沖縄県における不信任率は39.5%であった[6]

罷免された裁判官の処遇

国民審査で罷免された最高裁判所裁判官は、罷免の日から少なくとも5年間は最高裁判所裁判官に任命されることができない(最高裁判所国民審査法第35条の2)。

法曹資格がない者が最高裁判所裁判官に就任した場合は弁護士法第6条によって弁護士資格を得るが、国民審査で罷免されても、弁護士資格は剥奪されない[7]

制度の問題点

裁判官の匿名性

最高裁判所は昭和27年(1952年)2月20日の大法廷判決において、国民審査の制度を「解職の制度」と見なす判断を示している。しかし、現在までに国民審査によって罷免された裁判官は1人もいない日本国憲法79条第2項において、国民審査は衆議院議員総選挙(衆院選)と同時に行うことと定められている上、大手のマスコミは衆議院議員総選挙のニュースばかりを大きく報道していて、国民審査についての報道をすることは滅多にないため、国民審査の存在は衆議院議員総選挙のニュースの陰に隠れてほとんど注目されないのが現状である。もともと日本ではマスコミが最高裁判所裁判官についての報道をすること自体が稀であるため、日本の一般国民の大部分は最高裁判所裁判官の名前さえ知ることもなく、投票所で初めて裁判官の名前を知る国民も多いという。最高裁判所判事の経歴や業績が詳細に報道されるアメリカとは異なり[8][9][10] 、日本の最高裁判所裁判官についての報道はベタ記事扱いであることが多く、判断材料が極めて少ない[10][11]。このため、国民審査の制度は完全に儀式化・形骸化していると言われるが、それでも国民審査は「伝家の宝刀」であり、存在することによって最高裁判所裁判官の権力の乱用を抑える一定の効果があるとする意見も強い。

司法の独立性の侵害

国民審査による裁判官の解職は、罷免を可とする過半数の票のみで足り、罷免すべき理由が裁判官訴追委員会裁判官弾劾裁判所の定める訴追事由に該当する「職務上義務に著しく違反した事由」「職務を甚だしく怠った事由」「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があった事由」であるかどうかは一切問われない(罷免の理由は「自分の思想や政治信条に合わない判決」「一般国民の常識からかけ離れた事実認定による誤判」でもよく、極端な場合は「怖そうな顔の裁判官」などという裁判官の職務と関係のない理由でも有効票になり得る)。この意味において、この制度は衆議院による内閣不信任決議とよく似ている。しかし、常に選挙による洗礼を受け、国民の意思に沿って行動しなければならない内閣とは異なり、多数派や権力者などの利害から離れ、憲法と良心にもとづき独立して行動しなければならない裁判官に同じ制度を設けることにはそもそも無理があるとする主張もある。「国民審査による罷免を恐れて、裁判官が多数派やそれを扇動する権力者に迎合してしまい、その結果、公正な裁判がなされなくなる可能性がある」などといった主張は、日本国憲法が施行された1947年当時から主に最高裁判所の関係者らによってなされている(前述の霜山精一もその代表である)。

ちなみに、前述の泉徳治は「最高裁のチェック機能を働かせたいなら、(国民審査よりも)裁判官の選考過程を透明化した方がよい。今は(最高裁判所裁判官の選考は全て非公開で行われているため)誰がどういう理由で選ばれたのか(国民には)分からない。(最高裁判所裁判官の選考については)有識者会議にはかる仕組みを作ったらどうだろうか」と提案している[4]

棄権の権利の侵害

衆議院総選挙の際に、国民審査に関心がない、あるいは判断ができないといった理由で審査を棄権したい場合には、投票用紙を受け取らないか、受け取った場合でも用紙を返却することが可能であり、投票所にはその旨を記した注意書きが掲示されている。しかし、前述の「審査公報」にはそのような注意書きは一切記載されておらず、一般の有権者は投票所の注意書きを見ない限り、審査の棄権が可能であることを知ることはできない。また、衆議院総選挙と国民審査の投票所を取り仕切る選挙管理委員会の中には、有権者に国民審査の投票用紙を渡す際に「分からなかったら、そのまま何も書かずに(投票箱に)入れて下さい」と言い、何も事情を知らない有権者を故意に誘導して裁判官全員を「信任」させる職員がいるという報告が多数寄せられている[12][13]。この他、有権者が審査の棄権を申し出た際にその有権者の氏名を問い、メモをする職員がいるという報告もあり、秘密投票の権利を侵す行為ではないかと批判されている[13]

衆議院総選挙の際に、国民審査の投票用紙を受け取らないことによって審査を丸ごと棄権することは可能であるが、前述の通り投票用紙に×印以外を記入することを禁止している現在の国民審査の制度においては、特定の裁判官を審査する一方で別の裁判官について棄権の意思を示すことは不可能となっており(×印以外を記入した投票用紙は丸ごと無効にされる)、何も記入しない票(罷免を可としない票)は投票者本人の信任・棄権の意思に関わらず、全て信任票として扱われてしまう。事実、選挙管理委員会を総括している総務省は国民審査において、何も記入しない票を全て信任票として扱い、×印を記入した票が有効票の過半数に達していない集計結果のみをもって「裁判官は全員が信任された」とする根拠のない発表を毎回繰り返している[14]。このような現在の国民審査の制度を不満とする国民の間では、信任票と棄権票の区別を明確にするため、裁判官を信任する場合には○印、罷免したい場合には×印を記入し、判断できない場合には何も記入しない方式に改めるべきとする意見が多いが[12][13]、最高裁判所は前述の昭和27年(1952年)2月20日の大法廷判決において、国民審査の制度は解職の制度であるから罷免を可とする票の数だけを明らかにすればよく、何も記入しない票は全て信任扱いしてよいなどとして、この意見を棄却した。それ以来、日本の政府は現在に至るまで上記の投票方式を改めることはなく、国民審査の制度は最高裁判所によって骨抜きにされた状態が続いていると批判されている[15][16]

期日前投票期間の差

また、期日前投票制度では衆議院総選挙の期日前投票は公示日の翌日から可能であるのに対して、国民審査の期日前投票は投票日の7日前からとされている。衆議院総選挙は公職選挙法第31条により投票日より12日以上前に公示することが定められているため、少なくとも4日間のタイムラグが生じることになる。このため、投票日より8日以上前には衆議院総選挙の期日前投票しかできず、国民審査の期日前投票を行うには投票日の7日前以降に改めて出直さなければならない。また、衆議院総選挙の在外投票は可能であるのに対し、国民審査の在外投票は認められていない。なお、2012年の第46回衆議院議員総選挙では、先に衆議院議員総選挙の期日前投票を済ませた有権者が国民審査の投票のため再度投票所を訪れた際に、投票済みの衆議院議員総選挙の投票用紙を渡して再度投票させるミスを犯した事例が報告されている[17]

このように国民審査の期日前投票ができる期間が衆議院総選挙のそれよりも短いのは、衆院選の公示日と国民審査の告示日が同日であり、手書きで候補者名や政党名を記入する選挙の投票用紙と違って国民審査の投票用紙には裁判官の氏名まで印刷する必要があるので印刷に時間がかかるためであるなどと総務省は説明している。しかし、実際の衆議院総選挙では衆議院の解散から総選挙の公示日までに短くても8日間の余裕がある上、審査の投票用紙は単に裁判官の氏名を列記してその上に×印を記入できる欄があるだけのシンプルなもので、実際の印刷は1日もあれば可能であると考えられること、また期日前投票の投票所は市役所や区役所やその支所などに限定されていることから、総務省がやる気さえあれば衆議院総選挙の公示日の翌日から国民審査の期日前投票を実施することは十分に可能ではないか(在外投票の問題についても同様)とする批判もある[13]

再審査制度の現状

国民審査には建前上、再審査制度が存在するが、国民審査で一度信任された最高裁判所裁判官は日本国憲法第79条第2項の規定により、審査を受けた日から10年経過した後の衆議院総選挙まで再審査にかけられることはない。しかも、裁判所法第50条の規定により最高裁判所裁判官は70歳になると定年退官する決まりであるため、再審査を受けるには遅くとも50代で最高裁判所裁判官に就任しなければならない。これらの条件を満たし、実際に再審査を受けた最高裁判所裁判官は過去にわずか6人[18]で、1963年の入江俊郎の再審査が最後になっている。さらに、再審査を2度受けるには遅くとも40代で最高裁判所裁判官に就任しなければならないが、実際には史上最年少で最高裁判所裁判官に任命された前述の入江俊郎でさえ就任時の年齢は51歳であり、再審査を2度受けた最高裁判所裁判官は1人もいない。50代で最高裁判所裁判官に就任したのは1964年就任の田中二郎が最後であり[19]、それ以降に就任した最高裁判所裁判官は全て60歳以上で任命されているため、現在では再審査を受ける最高裁判所裁判官は皆無になっている。

最高裁判所裁判官が全て60歳以上で任命されるようになった1965年以降、国民審査で一度信任された最高裁判所裁判官が、裁判官としてふさわしくないと国民から判断されるような行為を審査後に働いたり、またはそのような行為を過去に働いた事実が審査後に判明しても、その裁判官を再度審査にかけることはできない現状が続いている。例として、横尾和子は2007年に年金記録問題に絡んで1994年から1996年まで在任していた社会保険庁長官としての責任が追及されたが、横尾は2003年の国民審査で既に信任されていたため、少なくとも2013年以降までは再び国民審査にかけられることはなく、しかも横尾は裁判所法の規定で2011年に定年退官することになっていたため、年金記録問題発覚後に横尾を改めて国民審査にかけられる見込みはなかった[20]

審査の機会のタイミング

最高裁判所裁判官の就任直後に衆議院総選挙があると、その裁判官は最高裁判所裁判官としての実績がほとんどないため、判断材料の限られる状況で審査を受けることになってしまう[21]。また、逆に任命されてから退官するまでの間に衆議院総選挙が行われなかった場合には、その裁判官は実績の有無に関わらず国民審査を受けない。そのため、国民に審査されない最高裁判所裁判官も存在する(過去に国民審査を受けなかった裁判官は2人[4][22])。

以上の制度の問題点のうち、棄権の権利の侵害と、期日前投票期間の差に関する問題については最高裁判所裁判官国民審査法を改正すれば改善は可能であるが、再審査制度と審査の機会のタイミングの問題を改善するためには、国民審査を衆議院総選挙から独立させて実施できるような新制度を作る必要があるため、日本国憲法第79条第2項を改正しなければならず、国民審査制度の最大の問題点となっている[23][24]

過去の国民審査

過去の国民審査一覧
審査年月日 審査
人数
投票率 備考
1 1949年(昭和24年)1月23日 14人
2 1952年(昭和27年)10月1日 5人
3 1955年(昭和30年)2月27日 1人
4 1958年(昭和33年)5月22日 5人
5 1960年(昭和35年)11月20日 8人
6 1963年(昭和38年)11月21日 9人 70.22%
7 1967年(昭和42年)1月29日 7人 72.53%
8 1969年(昭和44年)12月27日 4人 66.42%
9 1972年(昭和47年)12月10日 7人 67.61%
10 1976年(昭和51年)12月5日 10人 70.11%
11 1979年(昭和54年)10月7日 8人 65.67%
12 1980年(昭和55年)6月22日 12人 72.51%
13 1983年(昭和58年)12月18日 6人 66.39%
14 1986年(昭和61年)7月6日 10人 70.35%
15 1990年(平成2年)2月18日 8人 70.58%
16 1993年(平成5年)7月18日 9人 64.18%
17 1996年(平成8年)10月20日 9人 57.56%
18 2000年(平成12年)6月25日 9人 60.49%
19 2003年(平成15年)11月9日 9人 58.12%
20 2005年(平成17年)9月11日 6人 65.49% 詳細
21 2009年(平成21年)8月30日 9人 66.82% 詳細
22 2012年(平成24年)12月16日 10人 57.45% 詳細

記録

歴代最高不信任率裁判官

裁判官 不信任票 総投票 不信任率 回(審査年月)
1 下田武三 6,895,134 45,440,230 15.17% 9(1972年12月)
2 谷口正孝 8,029,545 54,101,370 14.84% 12(1980年6月)
3 宮崎梧一 8,002,538 54,102,406 14.79% 12(1980年6月)
4 寺田治郎 7,913,660 54,103,156 14.62% 12(1980年6月)
5 岸盛一 6,631,339 45,440,344 14.59% 9(1972年12月)
6 伊藤正己 7,170,353 54,102,899 13.25% 12(1980年6月)
7 小川信雄 5,785,545 45,436,928 12.73% 9(1972年12月)
8 池田克 4,090,578 32,757,722 12.49% 3(1955年2月)
9 奥野久之 7,484,002 59,939,388 12.49% 15(1990年2月)
10 坂本吉勝 5,648,869 45,439,112 12.43% 9(1972年12月)

歴代最低不信任率裁判官[25]

裁判官 不信任票 総投票 不信任率 回(審査年月)
1 澤田竹治郎 1,212,678 30,212,180 4.01% 1(1949年1月)
2 藤田八郎 1,215,806 30,212,022 4.02% 1(1949年1月)
3 河村又介 1,238,613 30,258,827 4.09% 1(1949年1月)
4 真野毅 1,243,296 30,265,893 4.11% 1(1949年1月)
5 島保 1,258,729 30,264,042 4.16% 1(1949年1月)
6 塚崎直義 1,318,227 30,267,558 4.36% 1(1949年1月)
7 岩松三郎 1,324,119 30,264,396 4.38% 1(1949年1月)
8 長谷川太一郎 1,330,840 30,269,331 4.40% 1(1949年1月)
9 栗山茂 1,338,479 30,267,591 4.42% 1(1949年1月)
10 斎藤悠輔 1,362,595 30,260,902 4.50% 1(1949年1月)

脚注

  1. ^ ダニエル・H・フット『名もない顔もない司法』、2007年、NTT出版、102~105,187~190ページなど
  2. ^ カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』、1990年、早川書房、上巻 374ページ
  3. ^ 当時のアメリカでは、最高裁判所の裁判官を任命する場合には上院全体の過半数の賛成による承認が必要とされていた(現在は3分の2以上の賛成が必要)。
  4. ^ a b c 朝日新聞2012年11月19日記事『最高裁10裁判官に国民審査 審査10日前の対象者も』
  5. ^ 長峰超輝『サイコーですか?最高裁!』(光文社)ISBN 4334975313 P184
  6. ^ 琉球新報『県内は9人全員を3割超が不信任 最高裁判事国民審査』
  7. ^ 弁護士活動をするには弁護士会に入る必要があるが、国民審査で罷免された最高裁裁判官の入会を認めるかはそれぞれの弁護士会の判断による。
  8. ^ 牧野洋 (2010年11月25日). “あなたは最高裁裁判官の名前を知っていますか? 最高裁判事の人事報道、日米で雲泥の差「匿名」なのは検察官だけではない”. 現代ビジネス. 講談社. pp. p. 3. 2010年11月28日閲覧。
  9. ^ 牧野洋 (2010年11月25日). “あなたは最高裁裁判官の名前を知っていますか? 最高裁判事の人事報道、日米で雲泥の差「匿名」なのは検察官だけではない”. 現代ビジネス. 講談社. pp. p. 4. 2010年11月28日閲覧。
  10. ^ a b 牧野洋 (2010年11月25日). “あなたは最高裁裁判官の名前を知っていますか? 最高裁判事の人事報道、日米で雲泥の差「匿名」なのは検察官だけではない”. 現代ビジネス. 講談社. pp. p. 5. 2010年11月28日閲覧。
  11. ^ 牧野洋 (2010年11月25日). “あなたは最高裁裁判官の名前を知っていますか? 最高裁判事の人事報道、日米で雲泥の差「匿名」なのは検察官だけではない”. 現代ビジネス. 講談社. pp. p. 6. 2010年11月28日閲覧。
  12. ^ a b 江川紹子『最高裁裁判官の国民審査をどうする?』
  13. ^ a b c d 江川紹子『最高裁裁判官国民審査の結果から見えてくること』
  14. ^ 何も記入しない票(罷免を可としない票)の中に、積極的な信任票がどれだけ含まれているかを調べることは無論不可能である。
  15. ^ 日本民主法律家協会『第21回最高裁裁判官国民審査対象裁判官の横顔』
  16. ^ 前述の通り、最高裁判所裁判官たちは日本国憲法が施行される以前から国民審査の導入に強く反対し、導入後も一貫して国民審査を廃止すべき旨を主張し続けるなど、彼らはもともと国民審査自体を忌み嫌っているため、現行の国民審査の制度を国民に有利な方式に改めることに対しては全面的に反対の姿勢である。
  17. ^ 【衆院選】1人で「2票」 選管ミス、群馬・安中市で二重投票 国民審査のみの男性に用紙再交付 - 2012年12月9日 MSN産経ニュース
  18. ^ 1960年の小谷勝重島保河村又介藤田八郎斎藤悠輔。1963年の入江俊郎
  19. ^ ちなみに田中は1967年1月29日に審査を受けた後、定年前の1973年3月31日に依願退官したが、田中が再審査を受ける日は早くても1977年1月30日以後(実際にこの日以後で初めて衆議院総選挙が行われたのは1979年10月7日)であり、仮に彼が定年の1976年7月13日まで最高裁判所裁判官を務めた場合でもやはり再審査を受ける可能性はなかった。
  20. ^ なお、横尾本人は定年退官を待つことなく、責任の追及を受けた翌年の2008年に最高裁判所裁判官を依願退官した。
  21. ^ 林藤之輔は1986年6月13日に最高裁判所裁判官に就任し、24日目の7月6日に国民審査を受けた。
  22. ^ 庄野理一穂積重遠。ただし、庄野は就任後1年未満で依願退官し、穂積は就任後2年余で審査を迎えることなく死去した。また、2012年12月26日に定年退官した須藤正彦は退官直前の2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙に伴って国民審査を受けたが、当時の衆議院の状況次第では第46回衆議院議員総選挙は2013年まで行われず、須藤は審査を受けないまま退官する可能性もあった。
  23. ^ 日本国憲法の条文を改正するためには、衆議院と参議院の双方でそれぞれ3分の2以上の賛成を得た上に国民投票で過半数の賛成を得なければならず(日本国憲法第96条および日本国憲法の改正手続に関する法律)、そのような手続を経て日本国憲法の条文が改正された事例は過去に1度もない。
  24. ^ ただし、衆議院総選挙の終了から次の総選挙が行われるまでの期間は長くても4年以内であるため、任命前に行われた衆議院総選挙から4年後の時点で70歳に達しない者だけを最高裁判所裁判官に任命すれば、国民審査を受けることなく定年退官する最高裁判所裁判官の出現を防ぐ事だけは可能である。
  25. ^ 全員が第1回国民審査の対象となった裁判官である。

関連項目

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