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[[山梨県]][[山梨市]]生まれ。[[山梨英和中学校]]・[[山梨学院大学附属中学高等学校|山梨学院大学附属高校]]・[[慶應義塾大学]][[文学部]]卒業後、教師として母校でもある高校に英語教師として奉職。5年間務めた後、[[2007年]](平成19年)に退職し[[松下政経塾]]に入塾。同期には後に[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の議員となった[[宇都隆史]]、[[熊谷大]]、[[中西祐介]]らがいる。
[[山梨県]][[山梨市]]生まれ。[[山梨英和中学校]]・[[山梨学院大学附属中学高等学校|山梨学院大学附属高校]]・[[慶應義塾大学]][[文学部]]卒業後、教師として母校でもある高校に英語教師として奉職。5年間務めた後、[[2007年]](平成19年)に退職し[[松下政経塾]]に入塾。同期には後に[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の議員となった[[宇都隆史]]、[[熊谷大]]、[[中西祐介]]らがいる。


入塾中に自由民主党山梨県参議院選挙区第2支部長に就任。卒塾した[[2010年]](平成22年)には自由民主党公認候補として[[第22回参議院議員通常選挙]]に[[山梨選挙区]]から出馬。教育改革を訴え、対抗馬の[[輿石東]]の出身であり支持母体でもある[[日本教職員組合]]の批判を展開したが3700票の僅差で敗れた。
入塾中に自由民主党山梨県参議院選挙区第2支部長に就任。卒塾した[[2010年]](平成22年)には自由民主党公認候補として[[第22回参議院議員通常選挙]]に[[参議院一人区]]・[[山梨選挙区]]から出馬し比例新人[[堀内恒夫]]と連動。教育改革を訴え、対抗馬の[[輿石東]]の出身であり支持母体でもある[[日本教職員組合]]の批判を展開したが3700票の僅差で敗れた。


その後は、自由民主党山梨県第1選挙区支部長に就任し衆議院に鞍替え、[[2012年]](平成24年)の[[第46回衆議院議員総選挙]]に[[山梨県第1区]]から出馬。元[[環境大臣]]で[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]から[[日本維新の会]]に鞍替えした[[小沢鋭仁]]を破り初当選を果たした<ref>[http://www.sannichi.co.jp/local/news/2012/12/17/1.html 県内民主が大敗 1区16年ぶり自民・宮川氏 2区 無所属長崎氏 3区は民主後藤氏] 2012年12月21日閲覧</ref>。
その後は、自由民主党山梨県第1選挙区支部長に就任し衆議院に鞍替え、[[2012年]](平成24年)の[[第46回衆議院議員総選挙]]に[[山梨県第1区]]から出馬。元[[環境大臣]]で[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]から[[日本維新の会]]に鞍替えした[[小沢鋭仁]]を破り初当選を果たした<ref>[http://www.sannichi.co.jp/local/news/2012/12/17/1.html 県内民主が大敗 1区16年ぶり自民・宮川氏 2区 無所属長崎氏 3区は民主後藤氏] 2012年12月21日閲覧</ref>。

2013年1月14日 (月) 18:48時点における版

宮川 典子
みやがわ のりこ
生年月日 (1979-04-05) 1979年4月5日(45歳)
出生地 山梨県山梨市
出身校 慶応義塾大学文学部
前職 山梨学院大学附属中学高等学校教師
自由民主党山梨県参議院選挙区第2支部長
現職 衆議院議員(自由民主党山梨県第1選挙区支部長)
所属政党 自由民主党
公式サイト 「日本再起動!」宮川典子公式ホームページ

選挙区 山梨県第1区
当選回数 1回
在任期間 2012年 -
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宮川 典子(みやがわ のりこ、1979年(昭和54年)4月5日 - 、)は日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(1期)。自由民主党山梨県第1選挙区支部長。

人物

山梨県山梨市生まれ。山梨英和中学校山梨学院大学附属高校慶應義塾大学文学部卒業後、教師として母校でもある高校に英語教師として奉職。5年間務めた後、2007年(平成19年)に退職し松下政経塾に入塾。同期には後に自由民主党所属の議員となった宇都隆史熊谷大中西祐介らがいる。

入塾中に自由民主党山梨県参議院選挙区第2支部長に就任。卒塾した2010年(平成22年)には自由民主党公認候補として第22回参議院議員通常選挙参議院一人区山梨県選挙区から出馬し比例新人堀内恒夫と連動。教育改革を訴え、対抗馬の輿石東の出身であり支持母体でもある日本教職員組合の批判を展開したが3700票の僅差で敗れた。

その後は、自由民主党山梨県第1選挙区支部長に就任し衆議院に鞍替え、2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙山梨県第1区から出馬。元環境大臣民主党から日本維新の会に鞍替えした小沢鋭仁を破り初当選を果たした[1]

脚注

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