「平和観音寺」の版間の差分
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[[File:Heiwakannonji,平和観音寺,世界平和大観音像 DSCF3845.JPG|180px|thumb|right|平和観音寺のシンボル世界平和大観音像、その姿は大阪湾海上や遠く紀伊半島からでも確認できる]] |
[[File:Heiwakannonji,平和観音寺,世界平和大観音像 DSCF3845.JPG|180px|thumb|right|平和観音寺のシンボル世界平和大観音像、その姿は[[大阪湾]]海上や遠く[[紀伊半島]]からでも確認できる]] |
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'''平和観音寺'''(へいわかんのんじ)は、[[兵庫県]][[淡路市]]釜口にある[[寺院]]、[[博物館]]。正式名称は豊清山平和観音寺。'''世界平和大観音像'''が建造当時世界最大の像として話題となるも[[2006年]][[2月26日]]に閉館、[[廃墟]]として現存する。[[宗教法人]]の認証は得ていない。 |
'''平和観音寺'''(へいわかんのんじ)は、[[兵庫県]][[淡路市]]釜口にある[[寺院]]、[[博物館]]。正式名称は豊清山平和観音寺。'''世界平和大観音像'''が高さ100mと建造当時世界最大の像として話題となるも[[2006年]][[2月26日]]に閉館、[[廃墟]]として現存する。[[宗教法人]]の認証は得ていない。 |
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== 概要 == |
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[[大阪市]]西区を中心に[[オフィスビル]]、[[賃貸マンション]]、[[ビジネスホテル]]などの経営で財を成した[[オクウチグループ]]の創業者、[[奥内豊吉]]が私財を投じ出身地である[[淡路島]]に[[1977年]]に建立したものである。100mの巨大な[[観音菩薩像]]が主要な施設である。唯一台座部分の1階が豊清山平和観音寺となっており[[本尊]]が祀られる[[宗教施設]]の観を呈するが、上階ならびに[[地階]]のほとんどは奥内の個人コレクションからなる博物館であり、観音像の首付近は奥内が生前[[実業家]]として活躍した大阪の町や[[大阪湾]]を一望する[[展望台]]となっているが、この場に立つと強風の日などは大きく揺れるありさまであった。また、この展望台の設置による見栄えの連想から「鞭打ち観音」の異名を持つ。内部4階にはかつては「[[海]]の見える展望[[レストラン]]」も存在したが、経営が傾きだしてからは休業したままであった。当初、[[観光客]]誘致目的で建立されたが、この異様ともいうべき[[パラダイス]]風な展示内容が一部[[好事家]]らに[[マニア]]受けしたものの、一般観光客や観光業界、地元からは異端視され、管理のお粗末さも手伝い観光業界からは顧みられるることなく次第に[[廃墟]]への道を歩んだ。 |
[[大阪市]]西区を中心に[[オフィスビル]]、[[賃貸マンション]]、[[ビジネスホテル]]などの経営で財を成した[[オクウチグループ]]の創業者、[[奥内豊吉]]が私財を投じ出身地である[[淡路島]]に[[1977年]]に建立したものである。100mの巨大な[[観音菩薩像]]が主要な施設である。唯一台座部分の1階が豊清山平和観音寺となっており[[本尊]]が祀られる[[宗教施設]]の観を呈するが、上階ならびに[[地階]]のほとんどは奥内の個人コレクションからなる博物館であり、観音像の首付近は奥内が生前[[実業家]]として活躍した大阪の町や[[大阪湾]]を一望する[[展望台]]となっているが、この場に立つと強風の日などは大きく揺れるありさまであった。また、この展望台の設置による見栄えの連想から「鞭打ち観音」の異名を持つ。内部4階にはかつては「[[海]]の見える展望[[レストラン]]」も存在したが、経営が傾きだしてからは休業したままであった。当初、[[観光客]]誘致目的で建立されたが、この異様ともいうべき[[パラダイス]]風な展示内容が一部[[好事家]]らに[[マニア]]受けしたものの、一般観光客や観光業界、地元からは異端視され、管理のお粗末さも手伝い観光業界からは顧みられるることなく、1988年に奥内が死去、夫人が遺志を引き継ぎ営業を継続するも2006年死去し閉館。次第に[[廃墟]]への道を歩んだ。 |
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敷地内には十重の塔(高さ約40m)、「[[自由の女神]]」の[[レプリカ]]、[[D51型蒸気機関車]](D51 828)も置かれる。 |
敷地内には十重の塔(高さ約40m)、[[五百羅漢像]]、「[[自由の女神]]」の[[レプリカ]]、[[D51型蒸気機関車]](D51 828)も置かれる。 |
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奥内豊吉およにその妻の死去後、廃墟となったあとは管理者の所在が把握できず全く管理されておらず、落下物が周辺に落ちるなどのトラブルが多々発生するが、権利関係により撤去は進まず、地元では問題となっている。アメリカの[[リーマン・ブラザーズ]]系の金融機関が一時債権を保有したが、[[2008年]]9月に[[世界金融危機]]により[[会社更生法]]を申請、別会社へ[[債権]]が移行。[[神戸地裁]]により[[2007年]]から2008年にかけて[[競売]]にかけられたものの入札者がなかった。 |
奥内豊吉およにその妻の死去後、廃墟となったあとは管理者の所在が把握できず全く管理されておらず、落下物が周辺に落ちるなどのトラブルが多々発生するが、権利関係により撤去は進まず、地元では問題となっている。アメリカの[[リーマン・ブラザーズ]]系の金融機関が一時債権を保有したが、[[2008年]]9月に[[世界金融危機]]により[[会社更生法]]を申請、別会社へ[[債権]]が移行。[[神戸地裁]]により[[2007年]]から2008年にかけて[[競売]]にかけられたものの入札者がなかった。倒壊の危険もあるため、[[2009年]]5月には'''世界平和大観音像検討委員会'''が設置された。 |
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== 世界平和大観音像 == |
== 世界平和大観音像 == |
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台座部分が20mあり、地上5階建ての建物となっており、博物館はこの中に収められる。6階以上が観音像部分にあたり、首の下辺りに大阪湾を望む[[展望台]]を持つ。 |
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*地階 交通博物館 大内が蒐集した[[乗用車]](昭和30~40年代の[[国産車]]中心)、[[クラシックカー]]などが無造作に置かれる。 |
*地階 交通博物館 大内が蒐集した[[乗用車]](昭和30~40年代の[[国産車]]中心)、[[クラシックカー]]などが無造作に置かれる。 |
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*1階 豊清山平和観音寺。台座部分、観音像入口脇に観音像の建立記念碑なるものが掲げられ、由来らしきものが説明される。大内と思しき[[胸像]]が設置される。内部は唯一の宗教施設として本尊、ミニ[[四国八十八ヶ所霊場]]、などが置かれる。 |
*1階 豊清山平和観音寺。台座部分、観音像入口脇に観音像の建立記念碑なるものが掲げられ、由来らしきものが説明される。大内夫妻と思しき[[胸像]]が設置される。内部は唯一の宗教施設として本尊、ミニ[[四国八十八ヶ所霊場]]「お砂踏み」(各霊場の砂を集め、その上を踏み歩くことで参拝したと同様の功徳があるとするもの)などが置かれる。 |
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*3階 時計博物館。近代陶芸美術館。[[ピカソ]]、[[ミロ]]、[[ビュッフェ]]、[[藤田嗣治]]などの[[贋作]]が並ぶ。 |
*3階 時計博物館。近代陶芸美術館。[[ピカソ]]、[[ミロ]]、[[ビュッフェ]]、[[藤田嗣治]]などの[[贋作]]が並ぶ。 |
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*4階 展望レストラン、土産物売り場。 |
*4階 展望レストラン、土産物売り場、ラドン温泉浴場、宴会場。 |
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*5階 民族博物館。 |
*5階 民族博物館([[鎧]][[兜]]や[[馬具]]などを展示)。 |
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*10階 [[展望台]]、風のある日には大きく揺れスリルを味わえる。 |
*10階 [[展望台]]、風のある日には大きく揺れスリルを味わえる。 |
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== 参考文献 == |
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*ワンダーJAPAN 17 (三才ムックvol.350、2010,12,17)ISBN-10:4861993148、ISBN-13:978-4861993145 |
*ワンダーJAPAN 17 (三才ムックvol.350、2010,12,17)ISBN-10:4861993148、ISBN-13:978-4861993145 [http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%EF%BC%AA%EF%BC%A1%EF%BC%B0%EF%BC%A1%EF%BC%AE-17-%E4%B8%89%E6%89%8D%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF-vol-350/dp/4861993148/ref=cm_cmu_pg__header] |
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*[http://www41.tok2.com/home/kanihei5/heiwadaikannon.html 珍寺大道場] |
*[http://www41.tok2.com/home/kanihei5/heiwadaikannon.html 珍寺大道場] |
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*[http://d.hatena.ne.jp/taideomouhibi/20090925/p1 倒壊の危機? 淡路・世界平和大観音像(タイで想う日々の日記)] |
*[http://d.hatena.ne.jp/taideomouhibi/20090925/p1 倒壊の危機? 淡路・世界平和大観音像(タイで想う日々の日記)] |
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*[http://hebereke.air-nifty.com/blog/2010/11/post-e060.html 煩悩の砦「世界平和大観音」] |
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2011年3月17日 (木) 17:52時点における版
平和観音寺(へいわかんのんじ)は、兵庫県淡路市釜口にある寺院、博物館。正式名称は豊清山平和観音寺。世界平和大観音像が高さ100mと建造当時世界最大の像として話題となるも2006年2月26日に閉館、廃墟として現存する。宗教法人の認証は得ていない。
概要
大阪市西区を中心にオフィスビル、賃貸マンション、ビジネスホテルなどの経営で財を成したオクウチグループの創業者、奥内豊吉が私財を投じ出身地である淡路島に1977年に建立したものである。100mの巨大な観音菩薩像が主要な施設である。唯一台座部分の1階が豊清山平和観音寺となっており本尊が祀られる宗教施設の観を呈するが、上階ならびに地階のほとんどは奥内の個人コレクションからなる博物館であり、観音像の首付近は奥内が生前実業家として活躍した大阪の町や大阪湾を一望する展望台となっているが、この場に立つと強風の日などは大きく揺れるありさまであった。また、この展望台の設置による見栄えの連想から「鞭打ち観音」の異名を持つ。内部4階にはかつては「海の見える展望レストラン」も存在したが、経営が傾きだしてからは休業したままであった。当初、観光客誘致目的で建立されたが、この異様ともいうべきパラダイス風な展示内容が一部好事家らにマニア受けしたものの、一般観光客や観光業界、地元からは異端視され、管理のお粗末さも手伝い観光業界からは顧みられるることなく、1988年に奥内が死去、夫人が遺志を引き継ぎ営業を継続するも2006年死去し閉館。次第に廃墟への道を歩んだ。 敷地内には十重の塔(高さ約40m)、五百羅漢像、「自由の女神」のレプリカ、D51型蒸気機関車(D51 828)も置かれる。
奥内豊吉およにその妻の死去後、廃墟となったあとは管理者の所在が把握できず全く管理されておらず、落下物が周辺に落ちるなどのトラブルが多々発生するが、権利関係により撤去は進まず、地元では問題となっている。アメリカのリーマン・ブラザーズ系の金融機関が一時債権を保有したが、2008年9月に世界金融危機により会社更生法を申請、別会社へ債権が移行。神戸地裁により2007年から2008年にかけて競売にかけられたものの入札者がなかった。倒壊の危険もあるため、2009年5月には世界平和大観音像検討委員会が設置された。
世界平和大観音像
台座部分が20mあり、地上5階建ての建物となっており、博物館はこの中に収められる。6階以上が観音像部分にあたり、首の下辺りに大阪湾を望む展望台を持つ。
- 地階 交通博物館 大内が蒐集した乗用車(昭和30~40年代の国産車中心)、クラシックカーなどが無造作に置かれる。
- 1階 豊清山平和観音寺。台座部分、観音像入口脇に観音像の建立記念碑なるものが掲げられ、由来らしきものが説明される。大内夫妻と思しき胸像が設置される。内部は唯一の宗教施設として本尊、ミニ四国八十八ヶ所霊場「お砂踏み」(各霊場の砂を集め、その上を踏み歩くことで参拝したと同様の功徳があるとするもの)などが置かれる。
- 3階 時計博物館。近代陶芸美術館。ピカソ、ミロ、ビュッフェ、藤田嗣治などの贋作が並ぶ。
- 4階 展望レストラン、土産物売り場、ラドン温泉浴場、宴会場。
- 5階 民族博物館(鎧兜や馬具などを展示)。
- 10階 展望台、風のある日には大きく揺れスリルを味わえる。
交通アクセス
- 自動車 淡路インターチェンジから南へ約11km。約15分。
入場料:800円。現在は廃業。
参考文献
- ワンダーJAPAN 17 (三才ムックvol.350、2010,12,17)ISBN-10:4861993148、ISBN-13:978-4861993145 [1]