「阿部村 (岡山県)」の版間の差分
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== 関連人物 == |
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*大森検校城誉(梶野久太郎) |
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*萩野弥市兵衛 |
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*梶野九右衛門 |
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*片山清右衛門 |
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*白井保左衛門 |
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*萩五郎左衛門 |
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*萩野仁吉 |
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*阿部村 友吉 |
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== 参考文献 == |
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2010年4月11日 (日) 00:33時点における版
阿部村(あぶむら)は、備中国賀陽郡(現岡山県総社市)福井村の南部に位置し、1881年(明治14年)に福井村と合併して福井村となった。備中国賀陽郡に属し、旗本花房(高松)領であった。村高は、「備中至宝記」134石余、「天保郷帳」141石余、「備中村鑑」134石余、「旧高旧領」131石余となっている。寛永備中国絵図に「あふ」とある。また、正保郷帳には安部村と記すが「あぶ」と朱で訓じている。
地名の由来
地名の由来は、十二カ郷用水の支流あぶ川にちなむという。
風土記逸文
備中国風土記逸文である「宮瀬川」によると、賀陽郡に「伊勢御神社」の東に河があり、河の西に「吉備建日子命宮」があるので、この河を「宮瀬川」と称した、とある。この「伊勢御神社」を、神明神社 (総社市)に比定する説もあるが、確かなことはわからない。この神明神社 (総社市)は備中国賀陽郡阿部村(現岡山県総社市福井)に現在も存続している。
江戸時代
阿部村出身の梶野久太郎は京都に出て音律を修行して検校となり大森検校城誉と称し、1643年(寛永20年)備中国総社宮に金10両・神田一反六畝・金灯籠一対を寄付している。(大森検校城誉事績写)また、「備中一国重宝記」(1714年)、「備中高附領守付 全」(1714年)では、阿部村庄屋の名に弥市兵衛の名が存在するが、同村の(神明神社 (総社市))に存在する1692年(元禄5年)の神札の産子総代萩野弥市兵衛と同一人物と考えられる。その他「吉備中秘録」では庄屋の名に梶野九右衛門、「備中村鑑」(1861年)では片山清右衛門の名が見える。「薬師寺家文書」(1865年)では、庄屋に白井保左衛門の名が見える。その他、総社大明神(現総社)の遷宮祭の役割分担をまとめた史料「備中国八田邨郷惣社大明神」では、御五色御幣の項で萩五郎左衛門の名も存在している。「備中湛井十二箇郷用水」では、阿部胴木の胴木番に萩野仁吉の名が見える。備中国都宇郡・窪屋郡・賀陽郡の3郡にまたがる八十八ヶ所霊場めぐりの案内記「備中三郡札所案内記」(1850年)には、阿部村(現岡山県総社市福井)の友吉と都宇郡鳥羽村(現岡山県倉敷市鳥羽)の音次郎が、願主として登場している。
関連項目
参考文献
- 『角川日本地名大辞典』 (編纂委員会編 角川書店)
- 『岡山県の地名』 (平凡社)
- 『吉備郡史』 (名著出版 永山卯三郎著)
- 『総社市史 通史編・近代史料編』 (総社市)
- 『備中国八田邨郷惣社大明神』
- 『備中湛井十二箇郷用水史』 (湛井十二箇郷組合 藤井 駿,加原耕作著)
- 『備中三郡札所案内記』