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2007年、ソロ活動を開始。Acoustic Live等を行なっている。2007年12月7日、ソロアルバム『DAY BY DAY』をリリース。 |
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2009年1月、[http://toshiyukitachikawa.com 公式HP]にて「[http://www.daijiman-orchestra.com 大事MANブラザーズオーケストラ]」の結成を発表<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/2008wadai/KFullFlash20090104007.html 負けない!投げ出さない!「大事MAN…」復活!] 2009年1月4日 スポニチ閲覧</ref>。 |
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== 脚注 == |
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2009年8月17日 (月) 05:46時点における版
立川 俊之(たちかわ としゆき、1966年4月17日 - )は、日本の音楽家。埼玉県草加市出身。元大事MANブラザーズバンドのボーカル。
略歴
1982年、バンド“Around Midnights”を戸村公彦や田岡広宣と結成。1988年、山田哲生が加入し“大事マンブラザーズバンド”に改名して活動を続ける。
1990年、“大事MANブラザーズバンド”に改名。1991年1月25日、ファンハウスよりメジャーデビュー。3枚目のシングル『それが大事』が大ヒットした。このヒットにより、1992年3月、日本ゴールドディスク大賞 部門賞のベストVニューアーティスト賞を受賞する。実売数は180万枚を超え、1992年度年間第4位。
1994年12月7日、初のソロアルバム『Theatrical Songs』をリリース。
ラジオでは、TBSラジオ他の『パックインミュージック21』や静岡放送(SBS)ラジオ『ラジカルモンスター』(1996年4月 - 1997年3月)のパーソナリティとしても活躍。
2002年、バンド「T.T ORCHESTRA」を結成し、2004年にアテネパラリンピックの日本選手応援歌「最大のピンチは絶好のチャンス」を発表。
2007年、ソロ活動を開始。Acoustic Live等を行なっている。2007年12月7日、ソロアルバム『DAY BY DAY』をリリース。
2009年1月、公式HPにて「大事MANブラザーズオーケストラ」の結成を発表[1]。
脚注
- ^ 負けない!投げ出さない!「大事MAN…」復活! 2009年1月4日 スポニチ閲覧