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2009年8月10日 (月) 06:01時点における版

聖職の碑(せいしょくのいしぶみ)は、中央アルプス木曽駒ヶ岳における山岳遭難事故を題材とした新田次郎の山岳小説および、それを原作とした鶴田浩二主演の映画。

概説

1913年(大正2年)に長野県中箕輪高等小学校(現・同県上伊那郡箕輪町箕輪中学校)の集団宿泊的行事として実施された木曽駒ヶ岳集団登山における気象遭難事故の実話に基づき極限状態での師弟愛を描き、「生きること」「愛すること」の意味を問いかけた。


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


あらすじ

大正時代、中箕輪高等小学校では白樺派教員とそれに反対する教員や村の助役、郡の視学との対立が始まりつつあった。このような中、校長の赤羽長重は毅然とした態度で教師たちをまとめ、実践主義的な教育を行っていた。

大正2年8月26日、赤羽は集団宿泊的行事として前々年より定着しつつあった木曽駒ケ岳登山に、生徒25名、地元の青年会員9名、引率教師2名と共に総勢37名で登山に出発した。
計画は綿密に練られ、前年までの経験を基にした詳細な計画書が全員に配布され、また、地元の飯田測候所にも逐一最新の気象状況を照会するなど、当時考えられる対策はほぼ全て取られていた。ただ、町の予算により運営されているため、前年まで付けていた地元のガイドを雇うことはできなかった。

一行は、すぐれない天候の中ではあったが、山頂にある伊那小屋で1泊する計画であったため、予定通りの山行を決行した。
稜線に出る頃には、暴風雨になったが、何とか伊那小屋にたどり着くことができた。

実は、当時の観測技術では判明しなかったが、小笠原海上で発達した台風が猛烈なスピードで、同時刻に東日本を通過中であった。

しかも、頼みの綱の小屋は半壊状態であった上に、心無い登山者によって失火の上、石垣のみの無残な姿に変わってしまっていた。赤羽は、周辺のハイマツ等を手分けしてかき集め、全員の雨合羽も利用して仮小屋を設営し、ビバークを試みた。

しかし、漏水のため火を焚くことができず、体力を失っていた生徒が疲労凍死(低体温症)するに及んで一行はパニックに陥った。
有志として参加していた青年会員の若者が、赤羽ら引率教師の指示に従わず、散り散りになって無謀な下山を開始した。当然、屋根代わりの雨合羽を失うと、仮小屋はその機能を果たせず、生徒たちも危険な下山の道をバラバラに取り始めた。
赤羽ら教師は、体力のない生徒や、雨合羽を吹き飛ばされて装備の十分でない生徒をかばいながら、やむなく下山の途に出ざるを得ない危地に陥った。

結果的に、樹林帯にたどり着けた者は生存し、稜線上で力尽きた者の多くが生命を落とした。その中には、生徒に防寒シャツを与えて救おうとした赤羽校長の姿もあった。総計11名の尊い命が失われる大遭難事故となってしまった。
上伊那郡教育会は、稜線上の遭難現場に「遭難記念碑」を設置し、「記念」の言葉の中に、決して事故のことを忘れ得ないようにという思いを込めた。

映画化作品

1978年鶴田浩二主演で東宝から映画化された。

  • 現在も箕輪中学校をはじめ伊那木曽の中学校の伝統行事として二年生が木曽駒ヶ岳登山を行っているが、これは慰霊登山も兼ねている。かつて、上伊那郡のほとんどの中学校は、登山直前に体育館などでこの映画を見せられていたが、近年では、それもなくなりつつある。その原因としては、教師たちの考え方が変わってきたこと、保護者から「(これから登山に行くのに、恐ろしい遭難シーンがあるため)子供たちが怖がるので見せないで欲しい」という意見が出たことなどが挙げられる。
  • 鶴田浩二岩下志麻北大路欣也などといった俳優たちに交じり、地元の中学生数人が、東京の児童劇団に所属する中学生たちとともに生徒役で出演している。
  • 大竹しのぶはこの作品で田中健と許されぬ恋に落ちる奉公人・水野を好演し、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞した。

スタッフ

キャスト

中箕輪高等小学校

  • 赤羽長重(中箕輪高等小学校校長/実践主義派):鶴田浩二
白樺派教員と反白樺派教員との対立が始まりつつあった学校で、毅然とした態度で学校をまとめ、夜には子供たちを自宅に招いて勉強を教えるなどした実践主義者。集団登山では突然の嵐で体温を奪われた生徒に冬シャツを与えてかばい、最後は疲労凍死する。
夫の死後、遺族からの罵声や連日の投石に耐える気丈な妻。

白樺派(国定教科書に頼らず、独自の教材を使って授業を進めていた)

  • 清水政治(中箕輪高等小学校訓導):三浦友和
同僚の樋口や伊吹やえとともに国定教科書に頼らない教育を進めていたため、もともと赤羽との折り合いは良くなかった。駒ケ岳登山では赤羽と対立し、辞表をたたきつけようとするが、子供たちにほだされて思いとどまる。集団登山を引率して嵐にあった際には、負傷したり体力を消耗したりした生徒を岩陰に連れて行くが、下山後、「責任放棄」と誤解される。
  • 樋口裕一(中箕輪高等小学校教諭):田中健
清水の同僚。奉公人と許されない恋に落ち、集団登山の引率をすっぽかす。
奉公人と結婚の約束をしており、今が一番大事だから残るように言われていたが、事故後深く自責の念にかられ、校長の後を追い自殺。
  • 伊吹やえ(中箕輪高等小学校教諭):中井貴恵
清水の同僚。
駒ケ岳登山の計画を知った当初は、「鍛錬主義につながる暴挙」と強く反対していた。
事故の後、自らを犠牲にして子供たちにシャツを与えて救おうとした赤羽の行動に理想主義・鍛錬主義の垣根を越えたヒューマニズムを感じ取る。病身を押して、教師と生徒の心の触れ合いを忘れまいと記念碑の建立に奔走し、完成直後に亡くなる。

鍛錬主義派

  • 征矢隆得(中箕輪高等小学校教諭):地井武男
登山を引率していたが、救助を呼びに走ったことを「生徒を捨てた」と誤解される。

その他

参考資料

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