「不道徳教育講座」の版間の差分
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三島の[[小説]]では伺えない[[機知]]、[[逆説]]、笑いにあふれた内容。「[[教師]]を内心[[バカ]]にすべし」「知らない男とでも[[酒場]]に行くべし」「大いに[[ウソ]]をつくべし」に始まる30章に及ぶ各章は、常識的な世の中の[[道徳]]観や[[倫理]]、良識をひっくり返す刺激的な[[タイトル]]が振られ、「女子大学式」の抑圧的な道徳講座を風刺し、その虚妄を暴く。冒頭にあるように[[中国]]の「二十四孝」をもじった[[井原西鶴]]の「[[本朝二十不孝]]」式の[[現代]]の倫理の[[パロディ]]を狙っている。得意の[[心理分析]]や深い洞察で心理の裏を読み解くかと思えば、[[悪]]や[[革命]]や[[無|虚無]]を志向する[[人間]]の本質や[[深淵]]を垣間見せる。あるいは独自の[[レトリック]]を駆使し反逆の[[牙]]を巧妙に抜くかに見せて、つまるところは健全道徳を容認し、その[[真実]]や[[智恵]]を賛美する結論に至る。さながら巧みな[[手品師]]の[[技]]を見るようであり、三島の多面的な側面をうかがい知ることができる。 |
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2008年7月20日 (日) 14:46時点における版
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不道徳教育講座は、1958年に「週刊明星」に連載され1959年に中央公論社から単行本として刊行された、三島由紀夫の評論、随筆集。
概要
三島の小説では伺えない機知、逆説、笑いにあふれた内容。「教師を内心バカにすべし」「知らない男とでも酒場に行くべし」「大いにウソをつくべし」に始まる30章に及ぶ各章は、常識的な世の中の道徳観や倫理、良識をひっくり返す刺激的なタイトルが振られ、「女子大学式」の抑圧的な道徳講座を風刺し、その虚妄を暴く。冒頭にあるように中国の「二十四孝」をもじった井原西鶴の「本朝二十不孝」式の現代の倫理のパロディを狙っている。得意の心理分析や深い洞察で心理の裏を読み解くかと思えば、悪や革命や虚無を志向する人間の本質や深淵を垣間見せる。あるいは独自のレトリックを駆使し反逆の牙を巧妙に抜くかに見せて、つまるところは健全道徳を容認し、その真実や智恵を賛美する結論に至る。さながら巧みな手品師の技を見るようであり、三島の多面的な側面をうかがい知ることができる。