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'''テイエムオペラオー'''(英語表記''T M Opera O''、香港表記''好歌劇''、[[1996年]] - )は[[日本]]の元[[競走馬]]・[[種牡馬]]。2006年現在獲得賞金の世界記録を保持している。1999年[[JRA賞最優秀4歳牡馬]]。2000年[[JRA賞|年度代表馬]]、[[JRA賞最優秀5歳以上牡馬]]。[[顕彰馬]]。現在は日高軽種馬農協門別種馬場で種牡馬として供用されている。 |
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== デビュー前 == |
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姉にCBC2着のチャンネルフォーがおり、その他の兄弟の勝ちあがり率も高かったものの、父は日本でまだ良績を残していかった[[サドラーズウェルズ]]系種牡馬のオペラハウスということもあり、それほど良血と呼べる血統ではなく、馬体もバランスは取れていたものの、これといった特徴があるものではなかったために、牧場にいるときの同馬の評価はそれほど高いものではなかった。しかし、後のオーナーとなる竹園が牧場で同馬を見たときに「光り輝いて見えた」というぐらい惚れ込んだ。軽種牡馬であるオペラハウスの産駒の牡馬は、セリ市に出す義務があるので、後に竹園は1997年の10月に静内で行われたセリ市で同馬を購入した。後にGIレースを7勝し、18億円余りの賞金を稼ぎ出す事になる同馬だが、このセリ市では竹園に競りかけてくるものは誰も出ず、竹園はスタート価格の1000万円で購入することができた。 |
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== 戦績 == |
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=== デビューから皐月賞制覇まで(1998年・1999年春) === |
=== デビューから皐月賞制覇まで(1998年・1999年春) === |
2007年12月2日 (日) 12:45時点における版
テイエムオペラオー | |
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テイエムオペラオー (左、2001年4月29日、京都競馬場) | |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1996年3月13日(29歳) |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | オペラハウス |
母 | ワンスウエド |
母の父 | ブラッシンググルーム |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
生産者 | 杵臼牧場 |
馬主 | 竹園正繼 |
調教師 | 岩元市三(栗東) |
厩務員 | 原口政也 |
競走成績 | |
生涯成績 | 26戦14勝 |
獲得賞金 | 18億3518万9000円 |
テイエムオペラオー(英語表記T M Opera O、香港表記好歌劇、1996年 - )は日本の元競走馬・種牡馬。2006年現在獲得賞金の世界記録を保持している。1999年JRA賞最優秀4歳牡馬。2000年年度代表馬、JRA賞最優秀5歳以上牡馬。顕彰馬。現在は日高軽種馬農協門別種馬場で種牡馬として供用されている。
デビュー前
姉にCBC2着のチャンネルフォーがおり、その他の兄弟の勝ちあがり率も高かったものの、父は日本でまだ良績を残していかったサドラーズウェルズ系種牡馬のオペラハウスということもあり、それほど良血と呼べる血統ではなく、馬体もバランスは取れていたものの、これといった特徴があるものではなかったために、牧場にいるときの同馬の評価はそれほど高いものではなかった。しかし、後のオーナーとなる竹園が牧場で同馬を見たときに「光り輝いて見えた」というぐらい惚れ込んだ。軽種牡馬であるオペラハウスの産駒の牡馬は、セリ市に出す義務があるので、後に竹園は1997年の10月に静内で行われたセリ市で同馬を購入した。後にGIレースを7勝し、18億円余りの賞金を稼ぎ出す事になる同馬だが、このセリ市では竹園に競りかけてくるものは誰も出ず、竹園はスタート価格の1000万円で購入することができた。
戦績
デビューから皐月賞制覇まで(1998年・1999年春)
1998年8月15日に京都競馬場で行われた3歳新馬戦でデビュー、1番人気に推されたが6馬身差の2着に敗れ、その後骨折により休養に入った。初勝利は通算3走目となる1999年2月6日の市場取引馬・抽せん馬限定の4歳未勝利戦であった。
その後、500万下条件のゆきやなぎ賞を勝利、GIIIの毎日杯では4馬身差の圧勝を演じ、3連勝で初重賞制覇を果たす。クラシックの第一次登録がなかったため、追加登録料200万円を支払って皐月賞に出走登録することとなったが、この時、岩元が「登録料を自分が半分持つから」と竹園を説得したと言われている。
皐月賞では、良血馬アドマイヤベガや重賞2連勝中のナリタトップロードなどが出走することもあって単勝11.1倍の5番人気に甘んじたが、最後の直線で圧倒的な末脚を披露、見事勝利を収め、初めて追加登録料を支払ってクラシックに出走し勝利を収めた馬となった。また、鞍上の和田竜二騎手や生産者の杵臼牧場にとっても、初のGI制覇となった。なお、ナリタトップロードは3着、アドマイヤベガは体調不良が祟って6着であった。
勝ちきれないレース(1999年春・秋)
2冠を目指して出走した東京優駿(日本ダービー)では、ナリタトップロードとアドマイヤベガに僅差で続く3番人気に推され、3強の一角とされた。レースでは直線で早めに先頭に立ったため、ナリタトップロードに交わされ、更にその後方から追い込んできたアドマイヤベガにまとめて差され3着に敗れた。レースは前評判通りの3強が上位を独占する結果となった。
夏場を休養にあてて臨んだ秋初戦は菊花賞トライアルではなく古馬が相手となるGIIの京都大賞典であった。メジロブライトとの接戦を演じ、ツルマルツヨシの3着と健闘。続く菊花賞では2番人気に推され、直線で後方から猛追するもナリタトップロードを交わしきれず2着に惜敗した。次走となるステイヤーズステークスでは圧倒的1番人気に支持されるも、1kgの斤量差があったとはいえ、同じ4歳馬で格下のペインテドブラックの2着に敗れてしまう。
勝ちきれないレースが続く中で有馬記念に出走。この年の有馬記念には古馬中長距離路線の2強といわれていたグラスワンダーとスペシャルウィークが出走しており、テイエムオペラオー自身はステイヤーズステークスから中2週での出走という厳しい状況もあり、皐月賞以来の5番人気であったが、最後の直線で一旦は先頭に立ち、グラスワンダーとスペシャルウィークのハナ差のマッチレースからも離されることなく、勝ったグラスワンダーと同タイムの3着で入線して見せ場を作った。この時の走りから和田騎手は「来年以降も活躍できる」と感じていた。
3強と並び称されたアドマイヤベガ、ナリタトップロードとクラシック3冠を分けあう形になったが、有馬記念での敢闘も評価され、JRA賞最優秀4歳牡馬はテイエムオペラオーが受賞している。
春の重賞連勝(2000年春)
翌2000年は、前年の有馬記念で史上に残る名馬2頭のマッチレースに一歩も引かない走りを見せ、本格化の兆しを見せていたテイエムオペラオーにとって飛躍の年となる。
緒戦の京都記念で久々の勝利を得ると、それを皮切りに阪神大賞典と天皇賞(春)を連勝。一躍古馬戦線の主役に踊り出る。なお、阪神大賞典と天皇賞で2着のラスカルスズカと3着のナリタトップロードは菊花賞でも接戦を繰り広げたライバルであり、杉本清も「やっぱり3頭の争いになった! もう言葉は要らないか!(中略)3強の頂点は俺だ! 高らかに歌うは『盾の歌』! テイエムオペラオーです!」と実況した。
同期との勝負付けを済ました形で、グラスワンダーとの再戦となる宝塚記念へと駒を進めることとなったが、このレースで新たなライバルが現れる。金鯱賞を制したばかりの伏兵メイショウドトウである。レースではこれをクビ差交わして優勝したが、以後、このメイショウドトウとGI戦線で小差の先後を争っていくこととなる。グラスワンダーはレース中に骨折し6着、このレースを最後に引退し、世代交代を印象付けた。これにより、稀に見るハイレベルであった前年の活躍馬たちとの世代交代が終わり、秋からは新世代の古馬たちの激戦が繰り広げられることとなる。
古馬中長距離GIにすべて勝利(2000年秋)
秋は、京都大賞典の勝利を経て天皇賞(秋)に出走、外枠の不利や1番人気の連敗というジンクスもあってか、春以降2倍を切っていた単勝オッズが2.4倍もつくことになる。レースではこれらの不安材料を物ともせず見事快勝する(史上初の中央4競馬場GI制覇達成)。これによって1強状態となりこの頃から他馬のマークが厳しくなっていく。
次走ジャパンカップでも同じ1番人気に推されるが、うって変わって単勝オッズは1.5倍、当時の支持率レコードとなる。スローペースで進むレース展開で周囲を塞がれ、瞬発力勝負の不利な展開に置かれるも、最後にはドバイシーマクラシック優勝馬のファンタスティックライトを振り切り、新たにライバルとして台頭してきたメイショウドトウも捉えて勝利した。
続く有馬記念でも、他馬の執拗なマークにより進路を塞がれ、直線に入っても後方11番手に置かれ、実況のアナウンサーも「テイエムは来ないのか!?」と実況するほど絶望的な状況だったが、坂を下り終えた辺りで馬群がばらけると、馬群の中団後方からそれを割くように驚異的な末脚を繰り出し、ゴール前でメイショウドトウをハナ差捉えて勝利を辛くも収めた。なお、この苦戦を間近で観戦していた竹園オーナーは「馬も騎手も、涙が出るくらい可哀想でした」とコメントしており、この有馬記念がテイエムオペラオーの強さを最も示したレースだと評する者も多い。
これにより重賞8連勝、GI5連勝を達成し、年間無敗で2000年を終えた。天皇賞に以前の優勝馬が出走できる制度(勝ち抜け制度の廃止)になって以降、古馬中長距離路線のGI競走5戦(天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)を完全制覇したのはテイエムオペラオーのみである。また、この年からスタートした秋季GI3競走(天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)を同一年で完全制覇した馬への特別報奨金1億円(当時。現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円)も獲得し、JRA賞ではテンポイント、シンボリルドルフ以来3頭目となる満票で年度代表馬及び最優秀4歳以上牡馬に選ばれた。2000年の競馬界はまさにテイエムオペラオーのための一年であったと言っても過言ではなかった。
天皇賞連覇とライバルの雪辱(2001年春)
翌2001年も現役で走ることになった。各方面からは、「国内には敵う馬がいなくなったのだから、テイエムオペラオーの海外遠征を見てみたい」という声も多々あったが、陣営は遠征に踏み切らなかった。このことに関しては賛否両論がある。
緒戦は産経大阪杯から始動、やはり単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持されたが、ここでも執拗なマークに遭い直線では伸びを欠きトーホウドリームの4着に敗れ、昨年からの連勝がいきなりストップしてしまう。しかし、次走の天皇賞(春)を勝ち、メジロマックイーン以来となる春の天皇賞連覇を達成した。勝ち抜け制度撤廃後、天皇賞を春→秋→春と3連勝したのはテイエムオペラオーのみである(メジロマックイーンは天皇賞を同じく春→秋→春で1着入線するも天皇賞・秋で斜行し18着降着になった)。また、GI7勝はシンボリルドルフ以来の快挙であった。
次走の宝塚記念では、4コーナーで馬群に包まれ一瞬立ち上がってしまうという不利があり、直線で外から猛追するもメイショウドトウの2着に敗れ、GIでの連勝は6でストップする。逆に、ここまでGI戦線でテイエムオペラオーの前に惜敗を続けてきたメイショウドトウは悲願のGI制覇を果たした。
秋の不振と引退(2001年秋)
これまで年下の世代に有力なライバル馬が不在、かつ海外レースには目もくれず国内に専念し、更には土壇場での尋常ならざる勝負強さから数々の金字塔を打ち立ててきたテイエムオペラオーであったが、この頃から衰えを見せ始める。
秋シーズン緒戦の京都大賞典ではステイゴールドが最後の直線走路で内から外に斜行してテイエムオペラオーに馬体をぶつけ、これに挟まれる形となったナリタトップロードの進路を妨害して同馬を落馬・競走中止に追い込んだ。ステイゴールドは1位入線したが失格になったため、テイエムオペラオーが繰り上がり1着となった。しかし本来ならば抜け出して完勝できるメンバーであり、勝利したといっても煮えきれない印象は拭いきれなかった。結局これが競走馬生活最後の勝利となってしまう。
天皇賞4連覇の偉業に挑んだ天皇賞(秋)では前走の経験を活かして早めにメイショウドトウを捉えたものの、大外から伸びてきたアグネスデジタルに直線で差し切られて2着。続くジャパンカップでは最後の200mでまたも早めに抜け出すもこの年のダービー馬ジャングルポケットにゴール前で差されまたも2着であった。天皇賞(秋)、ジャパンカップでは共に早く抜け出し過ぎたために目標にされ交わされるという不利な内容ではあったが、両レースとも上位2頭の叩き合いの末、後続馬を突き放しており、今まで僅差で勝ち続けてきたテイエムオペラオーの負け方としては意外な負け方であった。引退レースとなった有馬記念ではかつての末脚を見せる事無く過去最低着順となる5着に惨敗、有終の美を飾ることはできなかった。シーズン開始当初、すでにGI8勝に王手をかけておりシンボリルドルフ超えも確実視されていた同馬だったが、その快挙は成し遂げられることはなかった。
2002年1月13日に、京都競馬場でライバル・メイショウドトウと合同の引退式が行なわれ、種牡馬となる。その後、2004年4月26日、JRA顕彰馬に選出され、殿堂入りが決まった。
競走成績
年月日 | 競馬場 | レース名 | 格 | 距離 | 騎手 | 重量 | 着 順 | 人気/ 頭数 | タイム | 馬 場 | 1着馬(2着馬) | タイム 差 |
1998.08.15 | 京都 | 3歳新馬 | 芝1600m | 和田竜二 | 52 | 2 | 1/12 | 1:36.7 | 良 | クラシックステージ | 1.0 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999.01.16 | 京都 | 4歳未勝利 | ダ1400m | 和田竜二 | 54 | 4 | 2/16 | 1:28.0 | 良 | ゼンノホーインボー | 0.8 | |
02.06 | 京都 | 4歳未勝利 | ダ1800m | 和田竜二 | 54 | 1 | 1/10 | 1:55.6 | 良 | (ヒミノコマンダー) | -0.9 | |
02.27 | 阪神 | ゆきやなぎ賞 | 芝2000m | 和田竜二 | 55 | 1 | 2/14 | 2:05.3 | 稍 | (アンクルスルー) | -0.1 | |
03.28 | 阪神 | 毎日杯 | GIII | 芝2000m | 和田竜二 | 55 | 1 | 3/14 | 2:04.1 | 良 | (タガノブライアン) | -0.7 |
04.08 | 中山 | 皐月賞 | GI | 芝2000m | 和田竜二 | 57 | 1 | 5/17 | 2:00.7 | 良 | (オースミブライト) | -0.0 |
06.06 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m | 和田竜二 | 57 | 3 | 3/18 | 2:25.6 | 良 | アドマイヤベガ | 0.3 |
10.10 | 京都 | 京都大賞典 | GII | 芝2400m | 和田竜二 | 57 | 3 | 3/10 | 2:24.4 | 良 | ツルマルツヨシ | 0.1 |
11.07 | 京都 | 菊花賞 | GI | 芝3000m | 和田竜二 | 57 | 2 | 2/15 | 3:07.7 | 良 | ナリタトップロード | 0.1 |
12.04 | 中山 | ステイヤーズS | GII | 芝3600m | 和田竜二 | 57 | 2 | 1/14 | 3:46.2 | 良 | ペインテドブラック | 0.0 |
12.26 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m | 和田竜二 | 55 | 3 | 5/14 | 2:37.2 | 良 | グラスワンダー | 0.0 |
2000.02.20 | 京都 | 京都記念 | GII | 芝2200m | 和田竜二 | 57 | 1 | 1/11 | 2.13.8 | 良 | (ナリタトップロード) | -0.0 |
03.19 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 芝3000m | 和田竜二 | 58 | 1 | 1/9 | 3.09.4 | 稍 | (ラスカルスズカ) | -0.4 |
04.30 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m | 和田竜二 | 58 | 1 | 1/12 | 3.17.6 | 良 | (ラスカルスズカ) | -0.1 |
06.25 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m | 和田竜二 | 58 | 1 | 1/11 | 2.13.8 | 良 | (メイショウドトウ) | -0.0 |
10.08 | 京都 | 京都大賞典 | GII | 芝2400m | 和田竜二 | 59 | 1 | 1/12 | 2.26.0 | 良 | (ナリタトップロード) | -0.0 |
10.29 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m | 和田竜二 | 58 | 1 | 1/16 | 1.59.9 | 重 | (メイショウドトウ) | -0.4 |
11.26 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400m | 和田竜二 | 58 | 1 | 1/16 | 2.26.1 | 良 | (メイショウドトウ) | -0.0 |
12.24 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m | 和田竜二 | 57 | 1 | 1/16 | 2.34.1 | 良 | (メイショウドトウ) | -0.0 |
2001.04.01 | 阪神 | 産経大阪杯 | GII | 芝2000m | 和田竜二 | 59 | 4 | 1/14 | 1.58.7 | 良 | トーホウドリーム | 0.3 |
04.29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m | 和田竜二 | 58 | 1 | 1/12 | 3.16.2 | 良 | (メイショウドトウ) | -0.0 |
06.24 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m | 和田竜二 | 58 | 2 | 1/12 | 2.11.9 | 良 | メイショウドトウ | 0.2 |
10.07 | 京都 | 京都大賞典 | GII | 芝2400m | 和田竜二 | 59 | 1 | 1/7 | 2.25.0 | 良 | (スエヒロコマンダー) | -0.8 |
10.28 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m | 和田竜二 | 58 | 2 | 1/13 | 2.02.2 | 重 | アグネスデジタル | 0.2 |
11.25 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400m | 和田竜二 | 57 | 2 | 1/15 | 2.23.8 | 良 | ジャングルポケット | 0.0 |
12.23 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m | 和田竜二 | 57 | 5 | 1/13 | 2.33.3 | 良 | マンハッタンカフェ | 0.2 |
記録
- 歴代最高賞金獲得: 18億3518万9000円(世界最高収得賞金額)
- GI最多勝利: 7勝(タイ記録)
- GI最多連勝: 6連勝
- GI最多連続連対: 9連続連対
- GI年間最多勝利: 5勝
- 重賞最多勝利: 12勝(タイ記録)
- 重賞最多連勝: 8連勝(タイ記録)
- 天皇賞最多勝: 3勝
特徴など
近年の高速馬場化やレース体系の短距離化の進む日本競馬界においてはあまり好まれない欧州型の血統である。一流馬としての高い瞬発力やスピードも兼ね備えていたものの、豊富なスタミナと長く使える脚、パワーによって実現される、競り合った時の勝負強さや道悪に対する強さが身上である。また、先行・差しの戦法を用いるなど比較的幅の広い位置取り選択してレースをしていた為、テイエムオペラオーの脚質を自在と判断する者も多く、器用な馬でもあった。
競走馬としての評価
客観的評価
- 中央競馬のGIレースを7勝しており、これはシンボリルドルフ、ディープインパクトと並ぶ最多勝利記録である。ただし、GI7勝馬のうち、三冠を達成していないのはテイエムオペラオーのみであり、勝率も他の2頭よりも低いのも事実である。もっとも、馬体の出来上がりには個体によって差があるので、一概に3歳時から活躍している馬が、古馬になってから活躍している馬より優秀であるとは言い難い。また、乗り代わりの厳しい現代競馬において、テイエムオペラオーに出会うまでGIを勝ったことのない若手騎手の和田が引退まで手綱を取り続けた事実は見過ごせない(実際、和田の騎乗法にオーナーが怒り、乗り代わりの可能性は何度かあった)。
- 掲示板を外したことが一度もなく、GIレースで複勝圏を外したのは2001年の有馬記念のみであり、古馬になってから(2000年~2001年)のGIレースで連対を外したのも2001年の有馬記念のみで、長期間に渡り安定した成績を収めた。
- ジャパンカップで2年連続連対したのは、テイエムオペラオーとエアグルーヴのみである(エアグルーヴは2着2回)。
- 中央競馬における主場4場(東京競馬場・中山競馬場・京都競馬場・阪神競馬場)全てでのGI勝利(グレード制施行後では史上唯一、施行以前の宝塚記念をGIとして考えても他に達成したのはシンザンのみ。ディープインパクトは2006年の宝塚記念に優勝したが、これは阪神競馬場の改装による京都競馬場での代替開催である)。
人による評価
- ジャーナリストの河村清明は、メイショウドトウ、ナリタトップロードらと繰り広げた「毎度毎度お決まりのような」「激しさの足りない」「どれもが似たような印象」のレース内容に「ファンはため息さえ禁じ得ない様子だった」とし、そのためテイエムオペラオーについて「本当に強いのかと、ファンは信じることができなかったのだ」としている。[1]
- 2001年秋の天皇賞(秋)とジャパンカップの2着惜敗で、これまでクビ差勝ちを続けていた当馬の強さに疑問を投げかけていた者に対し、「負けてなお強し」の印象を受けたという者も少なくない。当馬の出走するレースはほとんどがスローペースの上がり勝負となっており、また、着差も大きくつけない勝利がほとんどであったため、スピードの無い馬・ハイペースには対応できない馬と捉える向きもあったが、2001年ジャパンカップでは、ハイペースの中を早め先頭に立ち押し切ろうとする走りも見せた。
エピソード
- 北海道市場の1997年の10月市場で1000万円で売買されたが、最終的には実にこの183倍以上もの賞金を稼ぐことになる。
- デビューから引退まで26戦全てのレースにおいて、自厩舎所属の和田竜二が手綱を取った。菊花賞の敗北に激怒した竹園正繼オーナーが岩元調教師に鞍上変更を迫った時でも、岩元師はオーナーを説得し和田を降ろすことはしなかった。テイエムオペラオーの引退式で和田は「オペラオーにはたくさんの物を貰ったが、あの馬には何も返せなかった。これからは一流の騎手になって、オペラオーに認められるようになりたい」と話し、更なる上昇を愛馬に誓った。
- ジンクスに強い馬であった。2000年天皇賞(秋)での勝利によって、1988年のオグリキャップ以来続いていた同レースでの1番人気の連敗記録を12で止め、また、2000年ジャパンカップでの勝利によって、1986年のサクラユタカオー以来続いていた同レースでの1番人気の連敗記録を14で止めた。
- 2000年の宝塚記念から2001年の宝塚記念まで、芝中長距離路線のGIレースでテイエムオペラオーとメイショウドトウのワンツーが6度連続で続き、2001年の天皇賞(秋)と有馬記念でもテイエムオペラオーとメイショウドトウが隣同士の着順に入線している。この中では、2001年の宝塚記念と有馬記念でメイショウドトウが先着している。
- テイエムオペラオーと同世代(99年クラシック世代)の馬たちで2000年と2001年の天皇賞(春)で2年連続ワンツースリーを決めた。
- JRAの研究施設である競走馬総合研究所ではテイエムオペラオーを対象とした研究結果が発表された[1]。この研究で、テイエムオペラオーを平均的なサラブレッドや3歳GIホースと比較した結果、非常に心拍数が低く、大きく強い心臓を持っていたことが分かった。
- 誕生日は同じくG1を7勝したシンボリルドルフと同日である。
種牡馬成績
種牡馬となる際に、シンジケートを組んで社台スタリオンステーション入りする交渉がまとまらず、「生産者に公平に血を提供したい」という竹園オーナーの希望により竹園オーナーが個人所有する形で種牡馬入りした。それ故か繁殖牝馬の質・頭数共にあまり恵まれていない。産駒は2005年からデビューしており、2007年にメイショウトッパー(半兄にメイショウボーラー)が準オープンの北九州短距離ステークスを制して初の中央競馬古馬オープン馬となったが、全体としてはタイムオーバー率、最下位率が異常に高いという厳しい現状にある。能力を発揮するのに時間が掛かる傾向も見られ、4歳以降に本格化する傾向がある。
種付け頭数も、2002年98頭、2003年66頭、2004年55頭、2005年48頭と年々減少、種付け料も当初の500万円から150万円にまで下げられた。ただし、愛馬を種牡馬として成功させようというオーナーの熱い情熱で種牡馬生活が続けられており、テイエムオーシャンなど竹園オーナー所有の繁殖牝馬には積極的に種付けさせている。また、竹園オーナーが鹿児島県垂水市で牧場(テイエム牧場)を経営していることから産駒には九州産馬も多く、ゆえに荒尾での活躍馬は少なくないといえる。また、小倉競馬場での九州産限定新馬戦では上位独占というのも見られる。
血統
血統背景
父はオペラハウス、母父はブラッシンググルーム(自身は短距離馬であるものの、産駒にはスタミナタイプの馬が多い。)と、一見スタミナ色の濃い血統に見える。しかし、母方の近親にはコジーンがいる上、母ワンスウェドの産駒には適正距離の幅が狭い短距離型が多く、姉のチャンネルフォー(1992年CBC賞2着他)は4勝全てを1400m以下で挙げている。そのような背景を持つワンスウェドにオペラハウスを交配する事により、スタミナ補強を図った血統である。
血統表
テイエムオペラオーの血統(サドラーズウェルズ系)/Nasrullah4×5=9.38%、Nearco5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 *オペラハウス Opera House 1988 鹿毛 イギリス |
父の父 Sadler's Wells 1981鹿毛 アメリカ |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Fairy Bridge | Bold Reason | |||
Special | ||||
父の母 Colorspin 1983鹿毛 イギリス |
High Top | Derring-Do | ||
Camenae | ||||
Reprocolor | Jimmy Reppin | |||
Blue Queen | ||||
母 *ワンスウェド Once Wed 1984 栗毛 アメリカ |
Blushing Groom 1974 栗毛 フランス |
Red God | Nasrullah | |
Spring Run | ||||
Runaway Bride | Wild Risk | |||
Aimee | ||||
母の母 Noura 1978黒鹿毛 |
Key to the Kingdom | Bold Ruler | ||
Key Bridge | ||||
River Guide | Drone | |||
Blue Canoe F-No.4-m |
脚注
- ^ 河村清明『JRAディープ・インサイド』(イースト・プレス) p.326-327
関連リンク
- コラム最強ヒストリー テイエムオペラオー 王者たるもの ―― 王道を問う
- JRA50周年記念サイト 平成12年年度代表馬、顕彰馬テイエムオペラオー 飛び切りの安定感
- JRA50周年記念サイト 平成12年有馬記念 テイエムオペラオー
- 日刊競馬で振り返る名馬 テイエムオペラオー(2000年・宝塚記念)
- 忘れえぬ名馬テイエムオペラオー
- 歴代名馬物語 テイエムオペラオー
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