「那須高原海城中学校・高等学校」の版間の差分
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海城学園創設者[[古賀喜三郎]]は、[[徳仁親王妃雅子]]の高祖父にあたる。また、彼女の祖父[[江頭豊]]が名誉学園長、叔父で文芸評論家の[[江藤淳]]は生前理事、大伯父の古賀博は前理事長、叔父の古賀喜博は現理事長を務め、現在まで[[徳仁親王妃雅子]]の親族がオーナー一族として君臨し続けている。 |
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ちなみに、[[江頭豊]](古賀喜三郎の[[孫]])は[[海城中学校|海城学園]]名誉学園長であり、文芸評論家の[[江藤淳]](古賀喜三郎の[[曾孫]])は、生前海城学園の理事を務めていた。 |
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現理事長、古賀喜博(古賀喜三郎の[[曾孫]])も[[徳仁親王妃雅子]]の[[叔父]]にあたり、現在まで[[徳仁親王妃雅子]]の親族がオーナー一族として君臨し続けている。 |
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卒業生を輩出し始め10年足らず、しかも毎年の卒業生数が約25~50名と少ない中、すでに[[京都大学]]・[[大阪大学]]・[[名古屋大学]]・[[東北大学]]・[[北海道大学]]等の難関国立大学、[[早稲田大学]]・[[慶應義塾大学]]・[[上智大学]]・[[国際基督教大学]]・[[同志社大学]]等の難関私立大学に合格者を出している。また、[[国公立大学]][[医学科]]の合格者も出している。[[東京藝術大学]]に進学する者もいる。 |
卒業生を輩出し始め10年足らず、しかも毎年の卒業生数が約25~50名と少ない中、すでに[[京都大学]]・[[大阪大学]]・[[名古屋大学]]・[[東北大学]]・[[北海道大学]]等の難関国立大学、[[早稲田大学]]・[[慶應義塾大学]]・[[上智大学]]・[[国際基督教大学]]・[[同志社大学]]等の難関私立大学に合格者を出している。また、[[国公立大学]][[医学科]]の合格者も出している。[[東京藝術大学]]に進学する者もいる。 |
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2007年度も、早稲田大学・慶應義塾大学・上智大学に合格者を出した。 |
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2007年10月14日 (日) 14:51時点における版
那須高原海城中学校・高等学校 | |
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正門の画像募集中 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人海城学園 |
設立年月日 | 1995年 |
創立記念日 | 11月30日 |
共学・別学 | 男子校 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
所在地 | 〒329-3224 |
栃木県那須郡那須町大字豊原乙2944番地2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
那須高原海城中学校・高等学校(なすこうげんかいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう 英語名:Nasukogen Kaijo Junior & Senior High School)は、栃木県那須郡にある全寮制私立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。
概要
学校法人海城学園創立100周年記念事業として、1995年11月30日に創設された。1996年4月に開校。
コンセプトは「ハウス・ベースド・アカデミー」。英国のパブリックスクールや米国のプレップスクールを参考にしている。
ハウス制を基本として「SAP」や「KAP」等の独自の教育を行っている。現在までの卒業生は約300名を数える。
生徒は、全国から入学している。また海外からの入学者もいる。
年表
1891年(明治24年) | 古賀喜三郎が私財を投じて麹町区元園町二丁目四番地(現、千代田区麹町3丁目8の3)に海軍予備校を創立。 |
1897年(明治30年) | 麹町区八重洲町二丁目一番地(現、千代田区丸の内2丁目)に移転。 |
1899年(明治32年) | 麹町区霞関町2丁目1番地(現、千代田区霞ヶ関1丁目2の2)に移転。日比谷中学校を併設。 |
1900年(明治33年) | 海軍予備校を海城学校と改称。 |
1902年(明治35年) | 海城学校・旧日比谷中学校友会を合併し学友会が発足。 |
1906年(明治39年) | 日比谷中学校閉鎖、海城中学校発足。 |
1914年(大正 3年) | 古賀喜三郎逝去。学校葬を挙行。 |
1921年(大正10年) | 海軍予備校、日比谷中学校、海城学校、旧海城中学校などの卒業生を糾合して海原会が発足。 |
1927年(昭和 2年) | 豊多摩郡大久保町に移転。 |
1933年(昭和 6年) | 財団法人海城学校を財団法人海城中学校と改称。 |
1944年(昭和19年) | 太平洋戦争激化で生徒が勤労動員に出動。 |
1947年(昭和22年) | 学制改革により、新制海城中学校発足。 |
1948年(昭和23年) | 学制改革により、新制海城高等学校発足。 |
1951年(昭和26年) | 財団法人海城中学校を学校法人海城学園に組織変更。創立60周年記念式典挙行。 |
1961年(昭和36年) | 海城学園創立70周年記念式典挙行。 |
1971年(昭和46年) | 海城学園創立80周年記念式典挙行。 |
1981年(昭和56年) | 海城学園創立90周年記念式典挙行。 |
1991年(平成 3年) | 海城学園創立100周年記念式典挙行。 |
1995年(平成 7年) | 海城学園理事長、古賀喜博が海城学園創立100周年時からの構想をもとに那須高原海城中学校・高等学校を創立。 |
1996年(平成 8年) | 那須高原海城中学・高等学校を創設。 |
2005年(平成17年) | 那須高原海城中学・高等学校創立10周年記念式典挙行。 |
教育理念
21世紀の国際社会で活躍することができる「紳士の育成」を目指している。
理事長
海城学園創設者古賀喜三郎は、徳仁親王妃雅子の高祖父にあたる。また、彼女の祖父江頭豊が名誉学園長、叔父で文芸評論家の江藤淳は生前理事、大伯父の古賀博は前理事長、叔父の古賀喜博は現理事長を務め、現在まで徳仁親王妃雅子の親族がオーナー一族として君臨し続けている。
- 古賀喜三郎の親族
娘婿:江頭安太郎(海軍中将) 孫:江頭豊(チッソ社長・海城学園名誉学園長)、古賀博(海城学園前理事長) 曾孫:江藤淳(文芸評論家・海城学園元理事)、古賀喜博(海城学園現理事長) 玄孫:徳仁親王妃雅子
アクセス
学校行事
- 学校行事レポートを参照
進路
卒業生を輩出し始め10年足らず、しかも毎年の卒業生数が約25~50名と少ない中、すでに京都大学・大阪大学・名古屋大学・東北大学・北海道大学等の難関国立大学、早稲田大学・慶應義塾大学・上智大学・国際基督教大学・同志社大学等の難関私立大学に合格者を出している。また、国公立大学医学科の合格者も出している。東京藝術大学に進学する者もいる。
- 現在までの卒業生は約300名を数える。
姉妹校
姉妹校に海城中学校・高等学校と St. Johnsbury Academy がある。
関連項目