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[[1984年]]、[[小澤征爾]]の指揮するベルリン・フィル定期演奏会にデビューする。それ以来、世界の全てのメジャー・オーケストラの定期演奏会、そして[[ザルツブルク音楽祭]]、[[プロムス]]、[[タングルウッド音楽祭]]、[[ルツェルン音楽祭]]などの世界的音楽祭の常連となった。現在は[[リチャード・グード]]とともに、米国[[マールボロ音楽祭]]のディレクターを務めている。この様に、最近の彼女は室内楽への取り組み、そして若手育成に力を注いでいる。 |
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レコーディングには大変慎重で、現在までに、モーツァルト、ショパン、シューベルト、シューマン、ベートーヴェン、ドビュッシー、シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクなどの作品を録音している。現在、ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ(第28番-第32番)のレコーディングが進行中である。 |
レコーディングには大変慎重で、現在までに、[[モーツァルト]]、[[ショパン]]、[[シューベルト]]、[[シューマン]]、[[ベートーヴェン]]、[[ドビュッシー]]、[[シェーンベルク]]、[[ヴェーベルン]]、[[ベルク]]などの作品を録音している。現在、ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ(第28番-第32番)のレコーディングが進行中である。 |
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<!----ステージ回数を年間50回以下に絞り、鋭い知性と豊かな感性を持ち合わせる世界でも稀有な存在であり、極めて密度の濃い演奏活動を行っているが、テクニック的にはそれほど優れているわけではなく、ピアノがイニシアティブを取れない協奏曲は苦手としている。つまりは難しい曲が苦手で、特にブラームスの協奏曲はどの指揮者との演奏でも併せることが上手くいかず、ミスタッチも多い。一部の若手演奏家からは「下手くそ」というレッテルを貼られているらしい。----> |
<!----ステージ回数を年間50回以下に絞り、鋭い知性と豊かな感性を持ち合わせる世界でも稀有な存在であり、極めて密度の濃い演奏活動を行っているが、テクニック的にはそれほど優れているわけではなく、ピアノがイニシアティブを取れない協奏曲は苦手としている。つまりは難しい曲が苦手で、特にブラームスの協奏曲はどの指揮者との演奏でも併せることが上手くいかず、ミスタッチも多い。一部の若手演奏家からは「下手くそ」というレッテルを貼られているらしい。----> |
2007年2月19日 (月) 14:07時点における版
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
内田 光子(うちだ みつこ、1948年12月20日 - )は、イギリス在住の日本のピアニスト。オランダ・フィリップス社所属。 桐朋学園の「子供のための音楽教室」にて、松岡貞子に学ぶ。父親が外交官であったため、12歳で渡欧。1961年からオーストリアのウィーン音楽院でリヒャルト・ハウザーに師事する。同時期に、留学中の寺田悦子が同音楽院に在籍し、互いに切磋琢磨したという。その後もヴィルヘルム・ケンプ、ステファン・アスケナーゼ、ニキタ・マガロフらの薫陶を受ける。その後、一時帰国するが、再び渡欧。
1960年代からのいわゆる“コンクール荒らし”は有名で、1966年のミュンヘン国際コンクールで1位なしの第3位、1968年のエリザベート王妃国際コンクールで第10位、1969年のウィーン・ベートーヴェン国際コンクールで第1位、1970年のショパン国際ピアノコンクールで第2位、翌年、ロンドンのウィグモア・ホールにデビューし絶賛を博す。1973年のルツェルン音楽祭でのクララ・ハスキル・コンクールで第2位、1975年のリーズ国際コンクールとレーヴェントリット国際コンクールで第2位となった。
1972年に活動の本拠地をウィーンからロンドンに移し、以後はここを中心に活躍する。70年代、彼女の公演は自主開催であり、中程度のホールを満席にする事にも、関係者は四苦八苦していたと伝えられる程、人気は今ひとつであった。その後、長い低迷期を経て、1982年、ロンドン、ウィグモア・ホールでのモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」、続いて1984年にイギリス室内管弦楽団を自ら指揮しつつ演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲演奏会を行った。これを契機に、フィリップスにモーツァルトのピアノ・ソナタとピアノ協奏曲全曲録音を行う。
1984年、小澤征爾の指揮するベルリン・フィル定期演奏会にデビューする。それ以来、世界の全てのメジャー・オーケストラの定期演奏会、そしてザルツブルク音楽祭、プロムス、タングルウッド音楽祭、ルツェルン音楽祭などの世界的音楽祭の常連となった。現在はリチャード・グードとともに、米国マールボロ音楽祭のディレクターを務めている。この様に、最近の彼女は室内楽への取り組み、そして若手育成に力を注いでいる。
レコーディングには大変慎重で、現在までに、モーツァルト、ショパン、シューベルト、シューマン、ベートーヴェン、ドビュッシー、シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクなどの作品を録音している。現在、ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ(第28番-第32番)のレコーディングが進行中である。
最近の主な活動としては、モーツァルト生誕250周年を記念してザルツブルグでのガラ・コンサートにおけるリッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルとの共演、弾き振りによるクリーブランド響とのモーツァルトのピアノ協奏曲全曲チクルス、松本サイトウ・キネン・フェスティバルにおける小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラとの共演、松本のリサイタルでは、武満徹を自身の演奏活動において初めて取り上げ、小澤は「武満さんに聴かせたかった…」と、涙ながらにその演奏を讃えたという。マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団との日本ツアー、そして年末には、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートに初登場、世界に同時中継される予定である。夏には、再びザルツブルグ音楽祭に登場、「ハンマークラヴィーア」を始め、ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ5曲を演奏する。