「加茂坂峠」の版間の差分
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'''加茂坂峠'''(かもざかとうげ)は、[[山形県]][[鶴岡市]]の[[加茂町 (山形県)|加茂町]]地区から[[大山町 (山形県)|大山町]]地区にかけての[[峠]]である。現在は[[国道112号]]の[[加茂坂トンネル]](L=777m、{{googleマップ経路図2|1=38.7484584,139.746614|2=38.7534117,139.7407619|3=@38.754241,139.7294366,9690m|data=!3m1!1e3!4m2!4m1!3e0}})が通っている。 |
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[[1886年]](明治19年)には初代山形県令の[[三島通庸]]によって新道が開削され、加茂トンネルが完成した。[[トンネル]]は[[1939年]]([[昭和]]14年)に改修が行われ、自動車の通行が可能になった。[[2003年]]([[平成]]15年)[[7月5日]]に加茂坂トンネルが開通したことにともない、加茂トンネルは通行止めになった。これにより、大山側から[[高舘山]]に行くことが不可能になった。 |
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2022年9月12日 (月) 06:28時点における最新版
加茂坂峠(かもざかとうげ)は、山形県鶴岡市の加茂町地区から大山町地区にかけての峠である。現在は国道112号の加茂坂トンネル(L=777m、Google マップ)が通っている。
歴史
[編集]江戸時代、加茂港は北前船の寄港地であり、加茂街道は鶴岡城下と港を結ぶ重要路線であった。しかし、加茂坂峠は標高150メートルの坂の険しい難所であったため、1812年に出羽三山湯殿山派の僧であった鉄門海上人(てつもんかいしょうにん)によって旧道が開かれた。その後、鉄門海の孫弟子、鉄龍海上人によって当時まだ珍しかった地雷花(ダイナマイト)を使っての改修が行われ、1871年(明治4年)に完成した。
1886年(明治19年)には初代山形県令の三島通庸によって新道が開削され、加茂トンネルが完成した。トンネルは1939年(昭和14年)に改修が行われ、自動車の通行が可能になった。2003年(平成15年)7月5日に加茂坂トンネルが開通したことにともない、加茂トンネルは通行止めになった。これにより、大山側から高舘山に行くことが不可能になった。