阿久津憲二
阿久津 憲二 あくつ けんじ | |
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生年月日 | 1943年3月12日(81歳) |
出生地 | 栃木県 |
出身校 | 栃木県立黒磯高等学校 |
前職 | 農業 |
所属政党 |
(自由民主党→) (みんなの党→) 無所属 |
称号 |
藍綬褒章 旭日中綬章 |
公式サイト | 阿久津けんじのホームページ |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2012年1月23日[1] - 2016年1月21日 |
第94代栃木県議会議長 | |
在任期間 | 2006年3月 - 2007年4月 |
選挙区 |
(黒磯市選挙区→) 那須塩原市・那須町選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1991年4月30日 - 2012年1月6日 |
黒磯市議会議員 | |
当選回数 | 2回 |
阿久津 憲二(あくつ けんじ、1943年(昭和18年)3月12日[2] - )は、日本の政治家。
栃木県那須塩原市長(1期)、栃木県議会議長(第94代)、栃木県議会議員(6期)、黒磯市議会議員(2期)を務めた。
来歴
[編集]栃木県出身。栃木県立黒磯高等学校卒業。黒磯市議会議員を2期務めた後、1991年の栃木県議会議員選挙に黒磯市選挙区(定数1)から出馬し、当選。以後、2012年1月まで県議を6期21年間務める(2007年の県議選以降は那須塩原市・那須町選挙区(定数4)から出馬)。2006年3月から第94代栃木県議会議長(~2007年4月[3])、2008年3月から栃木県議会会派の自由民主党議員会の会長を務めた(2010年6月に自由民主党離党(後述)に伴い退任)。2005年、藍綬褒章を受章[4]。
2009年1月、栃木3区選出衆議院議員の渡辺喜美が自民党を離党。当時、阿久津は渡辺系の栃木県議会議員で組織される「自民温知会」の会長を務めていたが、同会は渡辺が離党後、無所属で活動することを前提で次期衆議院議員総選挙でも渡辺を支援する意向を表明していた[5][6]。しかし同年4月、渡辺が足利市長選挙において非自民系の大豆生田実を支援したため、自民温知会は解散した[7]。同年7月、衆議院解散後に渡辺はみんなの党を結党。自民党は、引退の意向を表明していた元法務大臣・森山眞弓の栃木3区への擁立を一時期検討しており(後に断念)、阿久津は森山が栃木3区で立候補した場合、自民党を離党するつもりであった、と後に自民党を離党した際に述べた[8]。
2010年6月、同年7月の第22回参議院議員通常選挙において、栃木県選挙区にみんなの党が公認候補を擁立することを決定したことがきっかけで自民党を離党し[8][9]、みんなの党に入党。栃木県議会では同党の会派「みんなのクラブ」に所属し、顧問を務めた。2011年4月の栃木県議会議員選挙ではみんなの党公認で出馬し、6選[10]。同年5月、「みんなのクラブ」代表に就任[11]。
2011年12月、現職・栗川仁の死去[12]に伴う那須塩原市長選に出馬する意向を表明し[13]、翌2012年1月6日に県議を辞職[14]。市長選には無所属で出馬。阿久津は市長選では市政の「変革」を主張し[15]、栗川市政の継承を訴えた元那須塩原市副市長の君島寛(自民党所属の栃木県議が支援)を114票の僅差で破り、当選した[15]。
再選を目指した2015年12月の市長選では1期4年間の実績を強調したものの、前回僅差で破った君島に1万票以上の差を付けられ落選した[16]。落選を受けて阿久津は政界から引退することを表明した[16]。2016年1月21日、任期満了により市長を退任した。同年11月、旭日中綬章を受章[4]。
政策・主張
[編集]- みんなの党が一貫して推進の立場を取っている環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の参加の是非については、2011年3月に下野新聞が実施した県議選立候補者アンケートでは「どちらかと言えば賛成」と回答していたが[17]、那須塩原市長選挙への立候補を表明した同年12月23日の後援会総会ではTPPに反対の考えを示している[13]。
- 阿久津の県議会議員辞職に伴い2012年11月に行われた補欠選挙は那須塩原市長選挙と同様に自民党対みんなの党の構図となった。同月15日、みんなの党が支援する候補の演説会に建設関連業者がほとんど参加していないことに対し、阿久津は「誰に仕事もらっているんだと言いたい。自民党じゃないんですよ」などと発言、自民党から批判を受けた[18]。なお、同選挙ではみんなの党が支援した候補者は自民党が支援した候補者に敗れた[19]。2012年12月6日、阿久津は市議会の一般質問で演説会での発言について釈明している[20]。
- 立候補の際、市長の給与3割カットと退職金ゼロの公約を掲げ、当選後に特例条例を制定。2012年4月以降の給与を月額96万円から67万2000円に減額し、退任時の月給は1円にすると定めた。また、退職金は退任時の月給と在任期間を元にした算定により20円になる(特例条例が無かった場合は1935万3600円であった)[21]。
脚注
[編集]- ^ 『全国市町村要覧』平成24年版、第一法規, p. 129
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、86頁。
- ^ 栃木県議会. “歴代正副議長一覧”. 2012年1月23日閲覧。
- ^ a b “秋の叙勲 本県関係62人”. 下野新聞: p. 8. (2016年11月3日)
- ^ “県議10人の自民温知会 離党後も渡辺氏支援 衆院選、「無所属」を想定”. 下野新聞: p. 1. (2009年1月9日)
- ^ “<緊急連載 乱>(中)苦悩 系列県議ら現実的判断 「渡辺離れ」可能性残す”. 下野新聞: p. 5. (2009年1月16日)
- ^ “自民温知会を解消 足利市長選めぐり決断”. 下野新聞: p. 1. (2009年5月2日)
- ^ a b “地元に党員いなくなった 自民離党の2県議が会見”. 下野新聞: p. 4. (2010年6月13日)
- ^ “県議会自民 阿久津議員会長離党へ 増渕三氏も 参院選前みんな入り”. 下野新聞: p. 1. (2010年6月3日)
- ^ “県議選14選挙区の開票結果”. 下野新聞: p. 1. (2011年4月11日)
- ^ “みんなのクラブ会派人事 代表に阿久津氏就任”. 下野新聞: p. 5. (2011年5月3日)
- ^ “栗川仁那須塩原市長が急逝 合併初代、2期目”. 下野新聞: p. 1. (2011年12月5日)
- ^ a b “最後の闘いと決意 那須塩原市長選 阿久津氏出馬表明”. 下野新聞: p. 5. (2011年12月24日)
- ^ “市長選出馬で阿久津県議辞職 補欠選挙は今秋”. 下野新聞: p. 5. (2012年1月7日)
- ^ a b “那須塩原市長に阿久津氏 激戦114票差で初当選 「継承」君島氏退ける”. 下野新聞: p. 1. (2012年1月23日)
- ^ a b “那須塩原市長に君島氏 1万票差で初当選 阿久津氏、引退を表明 投票率46.86%”. 下野新聞: p. 1. (2015年12月28日)
- ^ “県議選立候補者アンケート 下”. 下野新聞: p. 9. (2012年4月7日)
- ^ “誰に仕事もらってる…/阿久津市長の発言波紋 那須塩原市・那須町 県議補選が過熱”. 下野新聞: p. 8. (2012年11月17日)
- ^ “県議補選みんな2敗 関谷氏(那須塩原市那須)、五十畑氏(小山野木)当選”. 下野新聞: p. 1. (2012年11月19日)
- ^ “「言葉足らず、反省」 阿久津市長 市議会で釈明”. 下野新聞: p. 22. (2012年12月7日)
- ^ 市長の退職金は20円 那須塩原、最後の月給は…1円 朝日新聞 2016年1月22日