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田川市立鎮西小学校

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鎮西小学校から転送)
田川市立鎮西小学校
地図北緯33度38分17.9秒 東経130度49分30.3秒 / 北緯33.638306度 東経130.825083度 / 33.638306; 130.825083座標: 北緯33度38分17.9秒 東経130度49分30.3秒 / 北緯33.638306度 東経130.825083度 / 33.638306; 130.825083
過去の名称 私塾 伊田塾
第二大区第二小区伊田小学校
上伊田小学校・簡易中伊田小学校・簡易下伊田小学校(3校分離)
公立中等伊田小学校
尋常伊田小学校
伊田尋常小学校
(尋常科4年)
伊田尋常高等小学校
(尋常科4年・高等科2年)
伊田尋常小学校
(尋常科6年)
伊田尋常高等小学校
(尋常科6年・高等科2年)
伊田南部尋常高等小学校
伊田南部国民学校
田川市立伊田南部小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 田川市
併合学校 簡易伊加利小学校
設立年月日 1875年明治8年)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B140220600078 ウィキデータを編集
校舎面積 5,873 m2[1]
所在地 825-0002
福岡県田川市伊田1946番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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田川市立鎮西小学校(たがわしりつ ちんぜいしょうがっこう)は、福岡県田川市伊田(い)に位置する公立小学校

概要

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歴史
1872年明治5年)に開設された「私塾 伊田塾」を源流とし、1875年(明治8年)にその校舎を継承し、創立されたのが「伊田小学校」である。数回の改組・改称を経て、現校名となったのは、1950年昭和25年)。2025年令和7年)に創立150周年を迎える。
校章
中央に校名の略称である「鎮小」の文字(縦書き)を配している。
通学区域
住所表記で田川市の後に「伊加利、城山町、三井平原、城山団地、城山団地県住、中央団地1~4区、芳ヶ谷、白鳥町、南白鳥町、三井鎮西、上伊田東、上伊田西、古賀町」が続く地区。中学校区は田川市立田川東中学校2023年(令和5年)4月開校)。

沿革

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前史・私塾
  • 1872年(明治5年)8月 - 広畑昇により、馬場に「私塾 伊田塾」が設立される。
本史
  • 1875年(明治8年)- 伊田塾の校舎を踏襲し、「第二大区第二小区伊田小学校」(4年制)が創立。
  • 1877年(明治10年)- 小学校を伊田三村(上伊田・中伊田・下伊田)に分離。
    • 上伊田小学校」・「簡易中伊田小学校」・「簡易下伊田小学校
  • 1882年(明治15年)3月 - 上記3校を統合の上、「公立中等伊田小学校」となる。成導寺に校舎を建設し移転。
  • 1886年(明治19年)7月 - 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常伊田小学校」に改称。伊加利に簡易小学校(3年制)を設置。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制施行により、田川郡2村(伊田・伊加利)が合併の上、「伊田村」が発足。
  • 1891年(明治24年)5月 - 簡易伊加利小学校を統合。馬場に新校舎が完成し、移転を完了。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「伊田尋常小学校」に改称。
  • 1897年(明治30年)4月 - 伊加利分教場を設置し、尋常科1・2年生を収容。
  • 1906年(明治39年)- 隣村と学校組合を組織した上で、香春高等小学校を併設。
  • 1907年(明治40年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上、「伊田尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科2年)に改称。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。このため、前年度併置されたばかりの高等科1年を尋常科5年に、高等科2年を尋常科6年に改め、校名を「伊田尋常小学校」(尋常科6年)に改称。
  • 1910年(明治43年)3月 - 伊加利分教場を廃止。
  • 1911年(明治44年)9月1日 - 田川准教員養成所が附設される。
  • 1912年(明治45年)4月 - 高等小学校を運営する学校組合の解散により、高等科(2年制)を併置の上、「伊田尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。
  • 1914年大正3年)1月1日 - 伊田村が町制施行の上、「伊田町」となる。
  • 1923年(大正12年)11月 - 伊田実業補習学校が併設される。
  • 1926年(大正15年)9月 - 講堂が完成。
  • 1937年(昭和12年)4月 - 伊田渡りに尋常科1~4年生を収容する分教場を設置。
  • 1940年(昭和15年)4月 - 「伊田南部尋常高等小学校」・「伊田中部尋常高等小学校[2]」の2校に分離。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行により、「伊田南部国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1943年(昭和18年)11月3日 - 田川郡2町(伊田・後藤寺)の合併により、「田川市」が発足。
  • 1947年(昭和22年)
    • 2月 - 給食を開始。
    • 4月1日 - 学制改革が行われる(六・三制の実施)
      • 国民学校初等科は、新制小学校「田川市立伊田南部小学校」に改組・改称。
      • 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「田川市立鎮西中学校」に改組・改称。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 「田川市立鎮西小学校」(現校名)に改称。
  • 1953年(昭和28年)- 田川市東区轟尾に2階建て校舎1棟が完成し、生徒の一部が移転。
  • 1956年(昭和31年)- 講堂兼屋内体育場が完成。田川市公民館鎮西支館が設置される。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 特殊学級を設置。

交通アクセス

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最寄りの鉄道駅
最寄りの幹線道路

周辺

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  • 成道寺公園
  • 轟尾運動場
  • 轟尾集会所
  • 旧・田川市立鎮西中学校(2023年(令和5年)3月末閉校)
  • 白鳥神社
  • 彦山川

脚注

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  1. ^ 田川市学校施設長寿命化計画”. 田川市. p. 10 (2021年2月). 2024年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧。
  2. ^ 田川市立伊田小学校の前身。

参考資料

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  • 「田川市誌」(1954年(昭和29年)12月1日発行, 田川市)p.352~p.355
  • 「田川市史 下巻」(1979年(昭和54年)3月1日発行, 田川市)

関連項目

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外部リンク

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