第203訓練航空旅団 (ウクライナ空軍)
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第203訓練航空旅団 | |
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203-тя навчальна авіаційна бригада | |
腕章バッジ | |
創設 |
1946年(ソ連軍として) 1992年(ウクライナ編入年) |
所属政体 | ウクライナ |
所属組織 | ウクライナ空軍 |
部隊編制単位 | 航空旅団 |
兵科 | 軍事航空 |
所在地 | ハルキウ州チュグエフ空軍基地 |
通称号/略称 | А4104 |
愛称 | 203 НАБр |
ウラジスラフ・ルイコフ名称第203訓練航空旅団 (ウクライナ語: 203 навчальна авіаційна бригада імені Владислава Рикова) は、ウクライナ空軍の航空部隊。ハルキウ国立空軍大学の下に編制されている。
歴史
[編集]1992年のソ連崩壊後、前身である第810訓練航空連隊はウクライナ国民に忠誠を誓い、ウクライナ軍に編入した。
1995年12月、連隊は新しい体制に移行し、第203訓練航空基地となった。2004年8月、第203訓練航空旅団に改編された。
2004年9月1日、第203訓練航空旅団はハルキウ空軍大学の一部となった。
2019年3月28日、旅団所属のMi-2ヘリコプター1機が墜落した[1]。怪我人はいなかった。
2019年7月2日、訓練飛行でハルキウ空軍大学士官候補生が操縦していたL-39S航空機のエンジンが突然停止、パイロットは飛行管理者に報告後、脱出した。機体はクピャン貯水池に墜落した[2]。
2020年9月25日、An-26Sh航空機が墜落事故を起こした。 26名(乗組員7名、士官候補生19名)が死亡し、士官候補生1名が生存した[3]。この件で2020年12月22日、過失と訓練・飛行規則違反の疑いで当時の旅団長および飛行長が逮捕された[4]。
→詳細は「2020年チュグエフAn-26墜落事故」を参照
2024年12月5日、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、名誉称号「ウラジスラフ・ルイコフ」を旅団に授与した[5][6]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “УТОЧНЕНА ІНФОРМАЦІЯ щодо авіаційної... - Командування Повітряних Сил ЗСУ / Air Force Command of UA Armed Forces | Facebook”. web.archive.org (2019年6月2日). 2024年12月10日閲覧。
- ^ “Одеський авіазавод звинувачує Мотор Січ в аварії L-39 ЗСУ”. web.archive.org (2021年9月17日). 2024年12月10日閲覧。
- ^ “На Харківщині розбився військовий літак, є загиблі | Українська правда”. web.archive.org (2020年9月27日). 2024年12月10日閲覧。
- ^ “Катастрофа Ан-26: суд арештував командира військової частини з Чугуєва | Українська правда”. web.archive.org (2020年12月22日). 2024年12月10日閲覧。
- ^ “На честь загиблого пілота із Луганщини перейменували 203 авіаційну бригаду ЗСУ” (ウクライナ語). РБК-Украина. 2024年12月10日閲覧。
- ^ “УКАЗ ПРЕЗИДЕНТА УКРАЇНИ №830/2024"Про присвоєння почесного найменування 203 навчальній авіаційній бригаді Повітряних Сил Збройних Сил України"”. ウクライナ大統領府. 2024年12月10日閲覧。