福岡縣護國神社
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福岡縣護國神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 福岡県福岡市中央区六本松1-1-1 |
位置 | 北緯33度34分54秒 東経130度22分56秒 / 北緯33.58167度 東経130.38222度座標: 北緯33度34分54秒 東経130度22分56秒 / 北緯33.58167度 東経130.38222度 |
主祭神 | 護国の英霊 |
社格等 | 内務大臣指定護国神社・別表神社 |
創建 | 明治元年(1868年) |
例祭 |
5月3日・4日 10月体育の日とその前日 |
地図 |
福岡縣護國神社(ふくおかけんごこくじんじゃ)は、福岡県福岡市中央区にある神社(護国神社)である。
明治維新から大東亜戦争/太平洋戦争までの国難に殉じた福岡県関係の戦没者約13万柱を祀る。祭神の柱数は護国神社では沖縄県護国神社に次いで2番目に多い。
歴史
[編集]明治元年(1868年)11月、福岡藩主・黒田長知が、戊辰戦争に殉じた藩士を祀るため那珂郡堅粕村(妙見招魂社)と馬出村(馬出招魂社)に招魂社を創建したのに始まる。明治39年(1906年)6月27日、馬出招魂社に妙見招魂社を合祀して妙見馬出招魂社とした。昭和13年(1938年)に福岡招魂社と改称し、昭和14年(1939年)、招魂社の制度改正により福岡護國神社に改称した。これとは別に、県内には他に4つの護国神社があった。
- 山川護國神社(三井郡山川村(現・久留米市)。明治元年、久留米藩知藩事有馬頼咸により創建)
- 柳河護國神社(山門郡三橋村(現・柳川市)。明治元年、柳川藩主立花鑑寛により創建)
- 八景山護國神社(京都郡祓郷村(現・みやこ町)八景山。明治元年、小倉藩主小笠原忠忱により創建)
- 田川護國神社(田川郡伊田町(現・田川市)。明治2年、華族高千穂教育により創建)
昭和18年(1943年)4月、現在地の福岡城址南側の練兵場跡に遷座し、上記の4つの護国神社を統合して「福岡縣護國神社」に改称、内務大臣指定護国神社となった。第二次世界大戦後は正中宮と称していた。日本の主権回復後の昭和32年(1957年)5月17日、元の福岡縣護國神社に復した。
平成23年12月には特攻勇士の像を建立した。
環境
[編集]福岡市街地の中心に位置し、境内には隣接する大濠公園・舞鶴公園と共に、約46,000ヘクタールもの緑が残る都心の緑地となっている。しかし木が生い茂っていることからか、10年ほど前から野犬が住み着き、繁殖による子犬が確認された上、通行人に噛み付くなどの被害が出ており、餌付け禁止を呼びかけるなどの対策が試みられている[1]。 対策として、境内の廻りに鉄製の柵を設置したため、現在野犬はみられない。