破敵剣
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破敵剣(はてきのつるぎ/はてきのけん)は、大刀契のうち、護身剣と並んで重視された御剣。将軍剣(しょうぐんのけん)、三公闘戦剣(さんこうとうせんのけん)とも。
概要
[編集]刃の長さ76.5cm、把の長さ16.2cm、全長92.7cm、先は両刃、身は片刃の刀である[1]。護身剣と共に百済王が倭王に献じたものという伝承をもつ[原 1][2][3]。
『塵袋』によると、護身剣・破敵剣の両剣は天皇行幸時の大刀契のひとつで、名称のとおり護身・破敵の機能を果たした[4]。
天徳4年(960年)に焼失、応和元年(961年)に安倍晴明・賀茂保憲らによって再鋳造されたが、寛治8年(1094年)に焼失した。
銘文
[編集]符図〔左〕
三皇五帝形 南斗六星 青龍形 西王母兵刃符 |
符図〔右〕
北極五星 北斗七星 白虎形 老子破敵符 |
解釈
[編集]左には三皇五帝の形・南斗六星・青龍の形・西王母が兵刃符が、右には北極五星・北斗七星・白虎の形・老子の破敵符が刻まれている。
峯に銘文があったのかは不明だが、仮に金象嵌の刻文があったとすれば、護身剣と同様な銘があったと考えられる[2]。
関連する刀剣
[編集]奈良県天理市に鎮座する石上神宮が所蔵する七支刀は、護身剣・破敵剣に少し遅れて372年あたりに百済王世子から神功皇后に献じられたとされている[5]。
関連資料
[編集]- 破敵剣が記録される資料
脚注
[編集]原典
[編集]- ^ 『塵袋』
注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 岩田慶治、松前健、水野正好、他『神と人―古代信仰の源流』大阪書籍〈朝日カルチャーブックス 58〉、1986年3月30日。ISBN 978-4754810580。