田辺晃
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田辺 晃(田邊 晃、たなべ あきら、1903年(明治36年)5月20日[1] - 1979年(昭和54年)3月6日)は、日本の地主[2][3][4]・実業家。神奈川県多額納税者[2][3][4]。東土地合名会社代表社員[1]。早稲田大学評議員[1][3][4]。
人物
[編集]神奈川県出身[1]。田辺郷左衛門の三男[3][4]、あるいは四男[5][6]。1925年、早稲田大学専門部法律科卒業[1]。1936年、家督を相続[4]。
貸地業を営む[1]。1938年、蒙疆連合委員会の招聘に応じ渡蒙し、蒙古聯合自治政府嘱託となる[4]。趣味は音楽、読書、旅行[4]。宗教は真言宗[2][3][4]。住所は神奈川県横浜市中区中村町[1][3]。
家族・親族
[編集]- 田辺家
- 父・郷左衛門(1866年 - ?、神奈川平民[5][6]、神奈川県多額納税者、神奈川県会議員、横浜市会議員、地主)
- 妻・津多子(1909年 - ?、東京、楠八十兵衛の三女)[1][2][3]
- 次男[1][2]
- 三男[1][2]
- 四男[2][4]
- 長女[2][4]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』498頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』神奈川75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第14版 下』タ60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第13版 下』タ60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月24日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第3版』た10-11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月24日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第4版』た8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903-1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。