田辺南龍
田辺 南龍(たなべ なんりゅう)は、講釈師の名跡。簡略して田辺南竜の字を用いる時がある。
初代 田辺南龍
[編集]本名は荻沼作内(荻原作内説もある)[1]。文化7年(1810年) - 慶応元年10月8日(1865年11月25日)[1]。
下総国佐原在森戸村の農民作右衛門の子として生まれる(越後国出身説もある)[1]。初代田辺南鶴門下[1]。軍談を得意とし、「のんのん、ずいずい」が口癖であった[1]。この口癖は2代目田辺南龍に引き継がれた[1]。
2代目 田辺南龍
[編集]本名、松野 房次郎[2]。天保10年(1839年) - 1884年12月10日[2]。
御家人の家に生まれたが道楽者で、釈場の下足番から初代田辺南龍門に入り、龍子、何遊と名乗る[2]。龍子と名乗ったとする説は、2代目小金井芦洲と混同した可能性がある[2]。2代目田辺南龍を襲名した時期は不明[2]。
修羅場や人情講談を得意とし、口癖は「のんのん、ずいずい」であった[2]。夏目漱石の晩年の随筆『硝子戸の中』にも「のんのんの南龍」として登場する。
3代目 田辺南龍
[編集]本名、高宮半治郎[3]。生没年不詳[3]。2代目田辺南龍の弟とも言われる[3]。3代目田辺南龍を継いだ時期は不明だが、1885年か1886年頃に襲名と推測される[3]。
4代目 田辺南龍
[編集]本名、生没年不詳[4]。2代目松林伯圓の門人松林伯一(円慶、伯一、4代目南龍、円玉と名乗る)が襲名した[4]。伯一南龍、しゃも屋円玉とも呼ばれた[4]。
5代目
[編集]五代目 | |
本名 | 関川 正太郎 |
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生年月日 | 1878年3月9日 |
没年月日 | 1954年10月8日(76歳没) |
出身地 | 日本・東京府 |
師匠 | 四代目宝井馬琴 早川貞水 |
弟子 | 十二代目田辺南鶴 |
名跡 | 1.宝井琴紅 (不詳) 2.双竜斎鏡水 (? - 1906年) 3.五代目田辺南龍 (1906年 - 1954年) |
受賞歴 | |
1948年∶芸術祭賞受賞 | |
五代目 田辺 南龍(1878年3月9日 - 1954年10月8日[5])は、講談師。本名∶関川 正太郎
経歴
[編集]東京都神田区紺屋町に生まれ、神田小学校卒業後、錦町に移る[5]。
幼少期から本牧亭に通い、13歳で二代目宝井琴凌に入門して、宝井琴紅を名乗る[5]。病気療養の後、双龍斎貞鏡に入門し、双龍斎鏡水となる[5]。1899年、師の双龍斎貞鏡が真龍斎と改めたため、鏡水も真龍斎と改める[5]。
1906年、五代目田辺南龍を襲名[5]。戦中は教育講談師として活動した[5]。1953年、芸術祭賞受賞[5]。