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山形土偶は、縄文時代後期中葉に登場する<ref name="大阪歴史博物館"/><ref name="はじめて78-81"/><ref name="美術527-9"/>。この土偶の登場は、関東地方では加曽利B式土器{{refnest|group="注釈"|name="加曽利B式"|大正時代に加曽利貝塚で行われた発掘調査の際、「B地点」から出土したことによる名称<ref name="加曽利B式">{{Cite web |url=https://www.kasori.net/%E5%8A%A0%E6%9B%BD%E5%88%A9%EF%BD%85%E5%BC%8F%E5%9C%9F%E5%99%A8%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE/ |title=土器と加曽利貝塚 |publisher =kasori.net(NPO法人加曽利貝塚博物館友の会) |accessdate=2023-08-20}}</ref>。地層の上下関係により、縄文後期中頃の土器型式とされる<ref name="加曽利B式"/><ref name="八幡>[[#八幡|『陶器全集29 縄文土器・土偶』、pp.10-11.]]</ref>。}}が作られていた時期にあたる<ref name="甲野>[[#甲野|『日本原始美術2 土偶・装身具』、p.131.]]</ref><ref name="江坂124-134">[[#江坂|『日本の土偶』、pp.124-134.]]</ref><ref name="米田74-80"/><ref name="論争・学説">[[#論争・学説|『論争・学説 日本の考古学 第3巻 縄文時代II』、pp.89-90.]]</ref><ref name="美術527-83-84">[[#美術527|『日本の美術 第527号 土偶とその周辺II(縄文後期-晩期)』、pp.83-84.]]</ref>。
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山形土偶では身体の造作が写実的に近づき、全体的に均整がとれたものが多い<ref name="甲野/><ref name="はじめて78-81"/><ref name="江坂・野口">[[#江坂・野口|『古代史発掘3 土偶芸術と信仰』、pp.31-34.]]</ref>。ハート形土偶にみられる脚部や態勢の誇張は抑制され、肩の開き具合も自然な形になってきた<ref name="はじめて78-81"/>。顔面は横幅が広く、T字型の隆帯{{refnest|group="注釈"|name="隆帯"|縄文期にみられる粘土の紐を貼った文様<ref>{{Cite web|url=https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/maibun/knowledge/detail.php?seq=30 |title=ためになる?豆知識 |format=PDF |publisher =公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター |accessdate=2023-08-17}}</ref>。}}で眉と鼻を、へこませた粘土の粒で目と口を表し、さらに隆帯を用いて顎の形を強調する例が多い<ref name="藤沼76-78"/>。
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2023年9月11日 (月) 01:16時点における版

山形土偶(茨城県利根町 立木貝塚出土、東京国立博物館所蔵)[1]

山形土偶(やまがたどぐう)は、縄文時代後期中葉(約4,000年前-3,700年前)に関東地方を中心とした地域で製作された土偶の形式である[2][3][4]。その名称は、頭部が山形ないし三角形の形状を示すことに由来する[3][4][5]。関東地方以外でもこの形式の特徴を示す土偶は東北地方北部でも出土例がみられるが、遠く離れた橿原遺跡奈良県橿原市)や三万田(みまんだ)遺跡(熊本県菊池市)などでも出土している[5][6]。山形土偶はもっとも広い分布圏をもつ土偶形式であり、そして西日本での後期土偶の成立に深いかかわりを持つという説がある[5][7][8]

最初期の研究史

今日、山形土偶の名称で呼ばれる土偶が学会に紹介されたのは、1888年(明治20年)のことである[6]。この年、真崎勇助[9]秋田県仙北郡大曲村(現:秋田県大仙市)の館の下(たてのした)遺跡[10]での出土例について発表した[6]

発見されたのは1865年(慶応元年)のことで、小川が涸れたために田口惣右衛門という人物が川底をさらってみたところ、5月8日に出土した[6]。この土偶は左脚部が欠損していたものの、ほぼ全体の構造がわかる状態であった[6]。当時描かれた図では三角形の頭部に加えて、細い粘土紐を使った目や口の表現、豊かな胸部や丸い腹部など山形土偶と共通する特徴がよく描き出されている[6][11]

しかしこの土偶は、当時の学界では注目されずに終わった[6]。再び存在が認識されるのは70年以上経過した1960年(昭和35年)のことで、この年に秋田県の指定文化財となってからである[6][10]。上野修一はその理由について東京から遠い東北地方で出土したため、研究者が実物を見る機会が少なかったことが一因と推定している[6]。この土偶は出土状況を記した由緒書とともに現存し、個人が所蔵している[6]

形状

ハート形土偶から山形土偶へ

山形土偶という名称の起こりは明治時代までさかのぼる[3][6][12]。この時期、在京の研究者や収集家は東京から比較的近い千葉県や茨城県の貝塚に頻繁に通いつめていた[3][12][6]。彼らの間で土偶は人気があった[3][12]。頭部が山形ないし三角形の形状を示すことから、彼らによって「山形土偶」と呼ばれるようになり、その名称が定着した[注釈 1][3][12]

山形土偶は、縄文時代後期中葉に登場する[2][3][4]。この土偶の登場は、関東地方では加曽利B式土器[注釈 2]が作られていた時期にあたる[16][17][18][19][20]

この形式の土偶は、先行するハート形土偶の影響を受けている[3]。ハート形土偶は縄文時代後期に関東地方で盛んに作られた形式の土偶で、名称の由来は顔面がまさしくハート形を呈することによる[3][21]。特徴としては、左右へと大きく開いた脚部と踏ん張るような態勢が強調され、肩は水平に開いている[3]

山形土偶では身体の造作が写実的に近づき、全体的に均整がとれたものが多い[16][3][22]。ハート形土偶にみられる脚部や態勢の誇張は抑制され、肩の開き具合も自然な形になってきた[3]。顔面は横幅が広く、T字型の隆帯[注釈 3]で眉と鼻を、へこませた粘土の粒で目と口を表し、さらに隆帯を用いて顎の形を強調する例が多い[5]

後頭部は半円形ないし球体状をなし、手の先は外側に反り返っている[3][24][8]。胸には大きな乳房、腹部には柔らかなふくらみが造形され、胸部から腹部にかけて正中線が沈線を用いて表現される[3][5]。胴体にはのこぎりの歯のような鋸歯文が腰回りに刻まれ、刺突文(しとつもん)[注釈 4]も首などに限定的に施されている[5][24]。山形土偶は他の形式の土偶に比べると小ぶりなものが多い[22]

藤沼邦彦(1997年)は山形土偶について「土偶のなかで、もっとも人間に近い形態や特徴をもつものが多いのも、大きな特徴といってよい」と評した[5][7]。譽田亜紀子(こんだ あきこ)は『はじめての土偶』(2014年)で「山形土偶は柔和で親しみやすい土偶の筆頭に挙げられるかもしれません」と記述している[3]

みみずく土偶への変化

山形土偶は縄文時代後期後半にみみずく土偶へと変化していった[26][18]。小野美代子(1981年)は山形土偶について分類を試み、4段階に分けている[18][19][20]。第1段階から第3段階では、いずれの段階においても後頭部の隆起が共通した特徴である[18]。山形土偶の終焉期である第4段階では隆起がみられなくなるものもあるが、装飾化されて一部残る場合もある[18]。米田耕之助(1984年)は「形状的には、小野の山形土偶第四段階の土偶からの変化であろう」と記述している[18]

変化の例として、余山貝塚(よやまかいづか、千葉県銚子市)から出土した初期のみみずく土偶にその過程がよく示されている[18][27]。この例では後頭部にみられる隆起や目の部分の表現などに山形土偶の特徴が残存しているが、顔面部の輪郭を隆帯で囲むというみみずく土偶に近似した要素も含まれている[27]

設楽博己(2021年)は山形土偶と後続のみみずく土偶のプロポーションを比較し、みみずく土偶に比べて山形土偶の頭部が小さいことを指摘した[26]。山形土偶ではおよそ四頭身だったものがみみずく土偶では時代が下るごとにどんどん頭が大きくなっていき、ついには二頭身程度に到達している[26]。設楽はミャオ族の風習(木製の巨大な櫛に自らの髪とともに先祖代々の遺髪や毛糸などを巻き付けて巨大化させた女性の髪形)を例に挙げ、みみずく土偶の頭部の誇張表現に言及した[26]

製作年代と分布

ここまでの節で触れたとおり、山形土偶の製作時期は縄文時代後期中葉(約4,000年前-3,700年前)とされる[2][3][4][6]。分布については、比較的早くに常総地域を中心とし、一部は東北地方南部に及んでいるという認識が定着していた[6]

山形土偶はもっとも広い分布圏をもつ土偶形式である[5][7][17]。分布の中心は関東地方であるが、それ以外でもこの形式の特徴を示す土偶は東北地方北部でも出土例がみられる[5][11]。遠く離れた橿原遺跡(奈良県橿原市)や三万田遺跡(熊本県菊池市)などでも出土している[5][17]

三上徹也(2014年)は、山形土偶が房総台地(千葉県)を中心とする東関東地域で多く発見されることを指摘した[24]。その上で三上は「もともとの出自はやはり東北地方の影響が強いようです」として、腰部に刻まれた鋸歯文に言及し「東北、関東、そして中部に共通して見られるものです」と記述している[24]

山形土偶は広範囲の土偶のデザインに影響を与えた[8]。そして近畿地方や九州地方にも近似した特徴を示す土偶が出土するため、西日本での後期土偶の成立に深いかかわりを持つという説がある[5][7][8]

著名な出土例

椎塚貝塚出土山形土偶[7][28]
1893年(明治26年)[29]に椎塚貝塚(茨城県稲敷市)で発見[28][29]。山形土偶の代表的作例の一つとされる[28]。首は短く表情は男性的ながら、豊満な胸部を持ち正中線が表現されていることから女性を模ったものとされる[28]。大きさは12.2センチメートルで、大阪歴史博物館の所蔵[28]
江原台遺跡出土山形土偶[30][31][32]
江原台(えばらだい)遺跡(千葉県佐倉市江原台)[33]で発見[30][31][32]。発見時には右腕と右足が失われた状態であった[31][32]。山形土偶の特徴である反り返った手先がみられ、腰回りには鋸歯文が巡っている[30]。表情は優しげで、譽田亜紀子は『にっぽん全国土偶手帖』(2015年)で「女性に人気のある土偶」と評している[30]。大きさは11.9センチメートルで、明治大学博物館の所蔵[30][31]
駒形遺跡出土山形土偶[34]
埼玉県秩父郡皆野町駒形遺跡第3次調査(皆野総合センター拡張工事、1983年)にて発見[34]。通常、土偶は体の一部分のみが発見され、同じ遺跡から発掘された他の部分が接合する例はほとんどない[34]。この土偶は全身分がそろって発掘され、全体が接合できた[34]。1993年(平成5年)5月28日、皆野町の有形文化財となった[34]
中根八幡遺跡出土山形土偶[35]
中根八幡(なかねはちまん)遺跡(栃木市藤岡町)で発見[35]。中根八幡遺跡は直径約160メートルの環状盛土遺構で、縄文時代の集落跡である[35]國學院大學栃木短期大学奈良大学による共同調査によって2022年(令和4年)9月4日に頭部が出土し、特に顔部分はほぼ完全な姿であった[35][36]
加曽利貝塚出土山形土偶[37]
加曽利貝塚(千葉県千葉市若葉区)で出土[37]。顔や腕、胴体などがバラバラの状態で発見された[37]。一部に赤と黒で彩色された痕跡が残っている[37]。加曽利貝塚では、これ以外にも山形土偶の発見例がみられる[38][39]

脚注

注釈

  1. ^ ただし、山形土偶の頭部は個体差が大きく、中には楕円形のものや金洗沢遺跡(かねあらいざわいせき、茨城県水戸市)出土例のように四角形を呈するものもみられる[6][13]
  2. ^ 大正時代に加曽利貝塚で行われた発掘調査の際、「B地点」から出土したことによる名称[14]。地層の上下関係により、縄文後期中頃の土器型式とされる[14][15]
  3. ^ 縄文期にみられる粘土の紐を貼った文様[23]
  4. ^ 竹管やへらなどの鋭角的なものの先端で突いて付ける文様のこと[25]

出典

  1. ^ 山形土偶”. ColBase 国立博物館所蔵品統合検索システム (ColBase). 2023年8月17日閲覧。
  2. ^ a b c 椎塚貝塚における山形土偶の多様性” (PDF). 大阪歴史博物館. 2023年8月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『はじめての土偶』、pp.78-81.
  4. ^ a b c d 『日本の美術 第527号 土偶とその周辺II(縄文後期-晩期)』、p.9.
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『歴史発掘3 縄文の土偶』、pp.76-78.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本の美術 第527号 土偶とその周辺II(縄文後期-晩期)』、pp.82-83.
  7. ^ a b c d e 『歴史発掘3 縄文の土偶』、p.25.
  8. ^ a b c d 『土偶・コスモス』、pp.66-73.
  9. ^ 真崎 勇助”. コトバンク日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)). 2023年8月20日閲覧。
  10. ^ a b 館の下(秋田県遺跡地図情報)”. 秋田県教育庁. 2023年8月20日閲覧。
  11. ^ a b 『日本の美術 第527号 土偶とその周辺II(縄文後期-晩期)』、p.86.
  12. ^ a b c d 『縄文土偶ガイドブック-縄文土偶の世界』、口絵11.
  13. ^ 『土偶を読むを読む』、pp.56-60.
  14. ^ a b 土器と加曽利貝塚”. kasori.net(NPO法人加曽利貝塚博物館友の会). 2023年8月20日閲覧。
  15. ^ 『陶器全集29 縄文土器・土偶』、pp.10-11.
  16. ^ a b 『日本原始美術2 土偶・装身具』、p.131.
  17. ^ a b c 『日本の土偶』、pp.124-134.
  18. ^ a b c d e f g 『考古学ライブラリー21 土偶』、pp.74-80.
  19. ^ a b 『論争・学説 日本の考古学 第3巻 縄文時代II』、pp.89-90.
  20. ^ a b 『日本の美術 第527号 土偶とその周辺II(縄文後期-晩期)』、pp.83-84.
  21. ^ 『土偶界へようこそ 縄文の美の宇宙』、pp.62-63.
  22. ^ a b 『古代史発掘3 土偶芸術と信仰』、pp.31-34.
  23. ^ ためになる?豆知識” (PDF). 公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター. 2023年8月17日閲覧。
  24. ^ a b c d 『縄文土偶ガイドブック-縄文土偶の世界』、pp.25-28.
  25. ^ えひめ弥生土器文様素描(まいぶんえひめ29号)” (PDF). 公益財団法人愛媛県埋蔵文化センター. 2023年8月17日閲覧。
  26. ^ a b c d 『顔の考古学 異形の精神史』、pp.126-131.
  27. ^ a b 余山貝塚出土土偶群の構成” (PDF). 大阪歴史博物館. 2022年8月14日閲覧。
  28. ^ a b c d e 『にっぽん全国土偶手帖』、pp.60-61.
  29. ^ a b 『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』、p.108.
  30. ^ a b c d e 『にっぽん全国土偶手帖』、pp.66-67.
  31. ^ a b c d 『ときめく縄文図鑑』、p.22.
  32. ^ a b c 『国宝土偶展 : 文化庁海外展大英博物館帰国記念』、pp.54-55.
  33. ^ 江原台遺跡-印旛沼を臨む大集落-” (PDF). 公益財団法人印旛郡市文化財センター. 2023年8月20日閲覧。
  34. ^ a b c d e 駒形遺跡出土山形土偶” (PDF). 皆野町. 2023年8月17日閲覧。
  35. ^ a b c d 栃木市藤岡町の中根八幡遺跡で山形土偶が出土 現地説明会開かれる” (PDF). とちぎテレビ. 2023年8月17日閲覧。
  36. ^ 中根八幡遺跡の発掘調査・研究”. 國學院大學栃木短期大学. 2023年8月21日閲覧。
  37. ^ a b c d 山形土偶”. 明治大学生田情報メディアサービス. 2023年8月17日閲覧。
  38. ^ 貝塚博物館紀要 第32号” (PDF). 千葉市立加曽利貝塚博物館. 2023年8月17日閲覧。
  39. ^ 貝塚博物館紀要 第33号” (PDF). 千葉市立加曽利貝塚博物館. 2023年8月17日閲覧。

参考文献

  • 江坂輝彌 野口義麿編『古代史発掘3 土偶芸術と信仰』講談社、1974年。
  • 江坂輝彌『日本の土偶』講談社〈講談社学術文庫〉、2018年。ISBN 978-4-06-292463-4
  • 甲野勇『日本原始美術2 土偶・装身具』講談社、1964年。
  • 誉田亜紀子取材・文 武藤康弘監修『はじめての土偶』世界文化社、2014年。ISBN 978-4-418-14222-4
  • 誉田亜紀子著 武藤康弘監修『にっぽん全国土偶手帖』世界文化社、2015年。ISBN 978-4-418-15224-7
  • 文:誉田亜紀子 監修:新津健『ときめく縄文図鑑』山と溪谷社、2016年。ISBN 978-4-635-20236-7
  • 誉田亜紀子『土偶界へようこそ 縄文の美の宇宙』山川出版社、2017年。ISBN 978-4-634-15114-7
  • 桜井清彦坂誥秀一編『論争・学説 日本の考古学 第3巻 縄文時代II』雄山閣出版、1987年。ISBN 4-639-00645-4
  • 設楽博己『顔の考古学 異形の精神史』吉川弘文館、2021年。ISBN 978-4-642-05914-5
  • 竹倉史人『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』晶文社、2021年。ISBN 978-4-634-15114-7
  • 原田昌幸著、株式会社至文堂編集、独立行政法人国立文化財機構監修『日本の美術 第527号 土偶とその周辺II(縄文後期-晩期)』ぎょうせい、2010年。
  • 藤沼邦彦『歴史発掘3 縄文の土偶』講談社、1997年。ISBN 4-06-265103-3
  • 文化庁、東京国立博物館、NHKNHKプロモーション 編『国宝土偶展 : 文化庁海外展大英博物館帰国記念』NHK、2009年。
  • 三上徹也『縄文土偶ガイドブック-縄文土偶の世界』 新泉社、2014年。ISBN 978-4-7877-1316-2
  • MIHO MUSEUM編『土偶・コスモス』羽鳥書店、2012年。ISBN 978-4-904702-37-6
  • 望月昭秀(縄文ZINE)編『土偶を読むを読む』文学通信、2023年。ISBN 978-4-86766-006-5
  • 八幡一郎『陶器全集29 縄文土器・土偶』 平凡社、1971年(第8刷)。
  • 米田耕之助『考古学ライブラリー21 土偶』 ニュー・サイエンス社、1984年。

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