「原憲一 (ジャーナリスト)」の版間の差分
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山陽放送へ復帰後は取締役報道制作局長、常務取締役を経て[[2011年]]取締役社長、のちに取締役会長を経て、[[2019年]]、山陽放送の[[認定放送持株会社]]移行に伴い、RSKホールディングス初代会長となり今日に至る<ref name="ir /><ref name="f.ir /><ref name=gendai3/>。 |
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== 著書 == |
== 著書 == |
2023年6月29日 (木) 00:13時点における版
はら けんいち 原 憲一 | |
---|---|
生誕 |
1947年5月27日(77歳) 岡山県備前市 |
国籍 | 日本 |
職業 | ジャーナリスト、実業家 |
原 憲一(はら けんいち、1947年(昭和22年)5月27日[1][2] - )は、日本のジャーナリスト、実業家。RSKホールディングス会長。元(RSK)山陽放送アナウンサー、JNNカイロ支局長[3]。岡山県備前市出身。
人物・略歴
1970年、当時の山陽放送にアナウンサーとして入社し、ニュース・報道を中心に担当。RSKラジオディレクター時代には岡山刑務所で行われる刑務所内放送のディスクジョッキーの指導に携わる。その後RSKテレビ報道部に配属、ハンセン病療養所の取材などに携わる。
1990年、TBS報道局へ出向、JNNカイロ支局長に赴任し、湾岸戦争と、その引き金を作るイラクのクウェート侵攻などの取材に携わり、海鳥が湾岸戦争による重油流出で油まみれになった様子を、CNNの記者共々アジア人で唯一取材した。帰国後もTBSテレビに残り、『JNN報道特集』の総合司会を2年間にわたり担当した[3]。
山陽放送へ復帰後は取締役報道制作局長、常務取締役を経て2011年取締役社長、のちに取締役会長を経て、2019年、山陽放送の認定放送持株会社移行に伴い、RSKホールディングス初代会長となり今日に至る[1][2][3]。
著書
- 『戦場特派員―湾岸戦争を伝えたテレビ取材の舞台裏』蒼洋社、1995年3月。ISBN 978-4892427725。
- 『踏ん張れ地方局 片隅からのジャーナリズム』山陽新聞社、2021年7月。ISBN 978-4881977637。
出典
- ^ a b RSK HD|役員の状況 - 原憲一 IR BANK
- ^ a b RSK HD 有価証券報告書 - 第72期
- ^ a b c 地方局の記者から「TBSの看板キャスター」になった、RSK山陽放送の原憲一会長が語る、テレビ業界「地方局の使命」 - 現代ビジネス(2022年12月22日)2022年12月26日閲覧。