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*『話題が豊かになる外来語典』講談社ミリオン・ブックス1963
*『話題が豊かになる外来語典』講談社ミリオン・ブックス1963
*『日本の外来語』[[岩波新書]] 1964
*『日本の外来語』[[岩波新書]] 1964
*『世界のことわざ 民族の知恵』[[社会思想社]]([[現代教養文庫])1965
*『世界のことわざ 民族の知恵』[[社会思想社]]([[現代教養文庫]])1965
*『世界の民話』社会思想社(現代教養文庫)1966
*『世界の民話』社会思想社(現代教養文庫)1966
*『外来語小事典』社会思想社(現代教養文庫)1970
*『外来語小事典』社会思想社(現代教養文庫)1970

2023年3月11日 (土) 01:11時点における版

矢崎 源九郎
人物情報
生誕 (1921-03-26) 1921年3月26日
日本の旗 日本山梨県
死没 1967年2月23日(1967-02-23)(45歳没)
出身校 東京帝国大学
子供 矢崎滋(俳優)
学問
研究分野 言語学文学(児童文学)
研究機関 善隣外事専門学校大阪外事専門学校東京教育大学
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矢崎 源九郎(やざき げんくろう、1921年大正10年)3月26日 - 1967年昭和42年)2月23日)は、日本言語学者北欧文学者翻訳家善隣外事専門学校教授、大阪外事専門学校教授、東京教育大学助教授。

経歴

1921年、山梨県生まれ。静岡県東京府と各地を移りながら幼少期を過ごし、成城高等学校に入学。高等学校卒業後は東京帝国大学言語学科でビルマ語を専攻した。1943年に東京帝国大学を卒業し、副手となった。1944年、善隣外事専門学校教授に着任。1945年からは大阪外事専門学校教授。

戦後の1950年、東京教育大学助教授となった。1966年、胃がんの手術を受ける。翌1967年2月16日に教授に昇進したが、その7日後に45歳で死去した。

受賞

研究内容・業績

家族・親族

著作

著書

  • 『王さまとうぐいす』講談社 1955
  • イタリア語の話』1959 大学書林(語学文庫)
  • 『これからの日本語』三笠書房 1960
  • 『外来語の履歴書』角川新書 1961
  • 『話題が豊かになる外来語典』講談社ミリオン・ブックス1963
  • 『日本の外来語』岩波新書 1964
  • 『世界のことわざ 民族の知恵』社会思想社現代教養文庫)1965
  • 『世界の民話』社会思想社(現代教養文庫)1966
  • 『外来語小事典』社会思想社(現代教養文庫)1970

共編著

  • 『子どもに聞かせる世界の民話』(編)実業之日本社 1964
  • 『世界文学入門』(編)三笠書房 1964
  • 『愛は永遠に』(編)三笠書房 1965
  • 『芸術家の名言』(編著)実業之日本社(実日新書カルチュア)1966
  • 『子供に読ませたい本』神宮輝夫共編著 社会思想社(現代教養文庫)1966

翻訳

脚注

外部リンク