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「第155独立親衛海軍歩兵旅団 (ロシア海軍)」の版間の差分

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ドネツィク州での戦闘参加を追記。内部リンクの追加など記述整理。中華人民共和国での創設という記述は削除(中国の建国前かつソ連対日参戦前なので明らかに不自然)。
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2023年3月1日 (水) 00:04時点における版

第155独立親衛海軍歩兵旅団
155-я отдельная гвардейская бригада морской пехоты
創設 1944年11月
所属政体 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシアの旗 ロシア
所属組織 ロシア海軍
部隊編制単位 旅団
兵科 ロシア海軍歩兵
兵種/任務 水陸両用作戦
所在地 沿海地方ウラジオストク
上級単位 太平洋艦隊[1]
担当地域 沿海地方
戦歴 第二次世界大戦
エリトリア独立戦争
第一次チェチェン紛争
ロシアのソマリア沖海賊対策
ロシアのウクライナ侵攻[1]
指揮官 アレクセイ・ベルンガルド大佐
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第155独立親衛海軍歩兵旅団(だい155どくりつしんえいかいぐんほへいりょだん、ロシア語: 155-я отдельная гвардейская бригада морской пехоты)は、ロシア海軍歩兵旅団の一つ。太平洋艦隊隷下[1]

概要

ソ連地上軍

第二次世界大戦中の1944年11月、赤軍(後のソ連地上軍)第342狙撃師団隷下の第357狙撃連隊として創設され、1945年8月、ソ連対日参戦に投入された。

1957年、部隊の機械化に伴い、第390自動車化狙撃連隊に改編した[2]

ソ連海軍

1963年6月7日、ソ連海軍に編入され、太平洋艦隊に配属され、第390独立海軍歩兵連隊に改編した[3][4]

1968年8月、部隊の増強に伴い、第55海軍歩兵師団に改編した。

ロシア海軍

1992年12月26日、ソビエト連邦の崩壊ロシア連邦の独立に伴い、創設されたロシア海軍に編入された。

1995年1月から、第一次チェチェン紛争に投入され、隊員61人が戦死した。

2009年12月1日、部隊の縮小に伴い、第155独立海軍歩兵旅団に改編した。

ロシアのウクライナ侵攻

2022年2月24日から、ロシアのウクライナ侵攻では、ヴォルノヴァーハの戦いマリウポリの戦いキーウの戦いブチャの戦いに投入され、隊員600人が戦死し、600人が負傷で部隊は大損害を受け壊滅した[5]ウクライナ軍は、隊員1600人のうち220人が戦死し、530人が負傷で5割の損害と発表した。キーウ方面では、民間人に対する戦争犯罪も指摘されていた[6]

2022年4月1日、マリウポリ方面での戦いが評価され、ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチンから「親衛隊」の名誉称号を授与された[7]。同年11月までにドネツク州内の戦闘に投入され、4日間で約300人が死傷する被害を出した。旅団は軍上層部を批判する書簡を、同艦隊の本拠地があるロシア沿海地方の知事に送った[8]ロシア国防省は公開書簡の内容を否定し「10日間で海兵隊はウクライナ軍の防衛域内に5キロメートル以上前進した」と表明[9]。しかし、同月11日にニューヨークタイムズの記者の協力を得て人権団体グラグ・ネットロストフタンボフモスクワ地域の軍病院に入院中の負傷兵にインタビューし、動画をアップロードした。負傷兵たちの証言によると、9月に動員された動員兵は十分な訓練も受けず、兵士たちは1960-70年代の自動小銃を与えられ、30年以上前に製造された歩兵戦闘車に乗せられて、地図や通信機器、ドローンもなしに前線に送られた。自国の部隊との同士討ち砲兵からの誤射も体験している。装甲兵員輸送車の運転手が兵士の遺体の上の道路や畑を走ることを拒否する一方、司令官は兵士の遺体を回収しないように命じ、何週間も放置しているという[10][11]

アメリカ合衆国の政治サイト「ポリティコ」やロシアの独立系メディア「重要な物語」などは、2023年2月6日、ウクライナ東部ドネツィク州ウグレダルへの攻勢でウクライナ軍に迎撃され、大きな損害を出したと報じた[1]

編制

ギャラリー

脚注